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島バナナと、ふと気づいた最近の違和感について

こんにちわ、Karo.です。


食欲の秋とはよく言ったもので、最近、ほんとによく食べています(笑)。

特に今ハマっているのが島バナナで、先日ビオセボンでかわいい緑色の島バナナをみつけて購入したものの、食べ方を知らず、とりあえずそのまま切って食べてみました。ら。

ぎゃっ。固っ、シブっ。

と、びっくりして(笑)。食べられるものではなかったのです。

あわてて食べ方をネットで検索したら、島バナナはちゃーんと熟してからじゃないと食べられないのですね。なので10日ほど、房ごと吊るしておいて、いい塩梅に黄色くなったところで紙に包んでレンジで1分ほどチンして食べてみたら、、、

ヤバーーーい!!!

めっちゃくちゃ美味しかったのです。バナナの味が凝縮されていて、さらに複雑な味がします。これぞ本当のバナナです。って味でした。温めないでそのままでも食べましたが、それでも味が濃くて美味しいです。でもやっぱり温めた方が、より島バナナの良さが感じられる気がしました。

ということですっかりハマって、島バナナが今、マイブームです。


そんな話を先日、仕事の打ち合わせ終わりにしていたら、ある女子が「私、最近バナナよく食べているんです。本当はバナナは好きじゃないんですが、栄養のために朝食べることにしていて....。」と言っていて、ん?と思いました。


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私はそもそも好き嫌いがほとんどなくて、なんでも美味しいって思えるタイプではあるのですが、身体の中の宇宙が拒否しだしてからは(笑)、身体に入れるモノを選んで食べるようになりました。つまり余計なもの(小麦グルテンや添加物や砂糖)はなるべく身体に入れないというようなことです。

それ以外では身体が歓ぶ感じがするかどうか、という、「身体感覚に聞く」ということを判断基準にしているので、基本的には、好きなものしか食べていないのですよね。

だから、好きじゃないのに食べることにしている。ってどういうことだろう?と、一瞬、理解ができなかったんですね。


でも、あ〜〜...と最近気がついたのは、「目的のために(好きじゃないけど)食べている」ということなんだなぁ。と思いました。「栄養を摂る」という目的。ですよね。

そういえば私も5年前くらいまでは、サプリメントをたくさん飲んでいたクチなので、サプリメントに近い感覚なのかもしれないなぁ...。と。

まぁ、サプリメントは好きとか嫌いとかいう感情すらもなく、目的のためだけに摂取していましたけれど。

で、ですね。話が戻りますが、栄養摂取という目的のために好きでもないバナナを食べる。っていう感覚って、打ちたくないけどワクチン打つっていう感覚にとっても近い気がして、これ、自分の気持ちよりも別の何かを優先する。っていうことなんですよね。この場合「バナナは栄養がある」とされている世間一般で言われている価値観や、栄養を摂取するという「目的」が、自分の気持ちよりも上なんですよね。

なんかこれ、ちょっと違っているような気がしたのですよね。


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そして、さらに、この「目的」というものに、最近の私は特に違和感があるのだと思いました。

「目的」、いわゆる「意図」ですよね。

昨年、クリスタルボウルを始めて、受けた講座では「意図を持って鳴らす」と言われました。「意図」を持つということが重要であると。

その時に「意図ってなんだろう?」っていう、頭の中が???マークだらけで、いろんな人に「意図って、どういうこと?」と聞いたりもしました。でもみんな解っている様子で、私だけが???(ハテナ)だったんです。

多分、私はそもそも目的意識が低いというか、「目標を持って生きる」ようなことをあまりしてきていないのですよね。比較的、流れるままに生きていて、以前の記事でも書いたかもしれませんが、たとえば、スポーツクラブでゆるーく泳いでいたら、インストラクターの人に、毎回何分で何キロ泳いだかを記録しましょう、みたいなことを言われたのですが、ごめんなさい、こちらは速く泳けるようになるとか、泳ぎが上手くなるようにとか、そういった何かの目的のために泳いでいるのではなくて、泳ぐこと=瞑想っていう、ただ気持ちがいいから泳いでいるというだけなんです。っていう感じで。

ヨガもそうですね、ただ身体を伸ばすのが気持ちがいいからやっている。


それでも、以前は健康のためにサプリを飲む。ということはしていたので、目的意識がゼロというわけでもなく、多少は持っていたのです。

が、食べたい時に食べたいモノを食べる。眠りたい時に眠る。どんどん、その瞬間の気持ちに従うというようになってきて、最近はその多少あった目的意識さえも減っているのですよね。

さらにいえば3次元的な価値観がすっかり崩壊してしまったので、起きること全部が、ただ楽しいRPG体験であって、3次元的な価値観の中には、これから手に入れたい「目標」などもなくて(すべてはここに在るから)、そのために何か努力をするという必要すらないという気持ちになっていて...。


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多分、今、手に入っていない、自分は持っていない、自分には出来ていないというような自分に対しての「不足感」があるから「目標」が生まれるわけで、その目標を叶えるために「時間をかけて」「がんばる努力」というものがついてくるんだと思うのです。で、その楽しさは私ももちろん知っていて、がんばった達成感とかって、めちゃめちゃあるわけです。

で、それをちゃんと達成するにはまず明確な「意図」「目的」があったほうがいいよ。夢を叶えるには明確であればあるほどいい。と言われます。

確かにそうだと思います。たとえば、意図を持って食事をすることで、体内に伝わるっていうことも言われていますし。

でもですね。最近の私は「意図」とか「目的」って言われた時点で、アタマで考えてしまうのですよね。「意図、意図...明確な意図ねぇ...。」って。

で、思考がはじまったところで、なんか違和感がある。

そもそも、3次元的に叶えたい夢とかが、今のところないので、なおさら違和感で。さらにいえば、そこには「距離」が発生していると思うのです。ナビに目的地を入れたらそこに到着するまで「あと〇〇分、何kmです」と言うように。

人は人生においても明確な目的地を決めないといけない。と思っている。

でも本当にそうかな?もうすでに目的地に来ているんじゃないのかな?って思ってしまうんですよね。


多分、「意図」は3次元的な目的を叶えたい人のためにはあったほうがいい、必要なのかもしれないです。


たとえば、クリスタルボウルの場合、セッションを受ける側が3次元的に叶えたいことがある場合は、その本人が「意図」を持つ必要はあるけれど、奏でる側はなるべく無の空間的な存在で「意図」を持たずに鳴らした方が良い気がしているのですよね。

これは私自身の感覚なのですが、次元を越えると「意図」は分離になるというか、重たくて、邪魔になる気がしているのです。


なにか、そんなことをつらつらと考えた朝でした。



ではでは、また。







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