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東京コンプレックスの解放とグランディング


こんばんわ。Kaloです。

突然ですけど。
私は東京のど真ん中に住んでいまして。
ここに住みはじめてかれこれ、17年くらいです。

ものごころつくかつかないかぐらいの2〜3歳から東京に住んでいるので、基本東京っ子です。
でも街の変化の流れが速くて、どんどん増すスピード感みたいなものに、
高校生くらいの時にすでに「疲れ」を感じたりしていて。
自分が育った東京という街にも、
特に関心も愛着も持っていなかったのです。

でも、なんとなく意識が変わり出したのが昨年で、
映画を観た帰りに六本木の街を歩いている時にふと、
なぜか愛情が芽生えたというか...。

そんな経緯の話を、昨年こちらに書きました。

この時は、どこに住んでも同じ。
自分がエネルギースポットなんだから。っていう話のオチ(笑)
になってるんですが。
今読んでみると、けっこうな東京コンプレックスを抱えていたのです。

実際、この記事で書いている

海辺の町へ引っ越したいという気持ちと
今住んでいる東京のど真ん中を愛している気持ち。
どちらもあって、どちらも捨てがたい。

確かに自然が多い場所は地球をより身近に実感できるので
地球と同化したい、その中に共に在りたいって憧れます。
それこそ自然の、地球の「エネルギー」。

って。この気持ちは変わらないままで。

自然の多い場所の方が、地球と繋がれるんだ。
=こんなコンクリートジャングル(←死語?)の東京では
「地球と繋がなれない」って、
やっぱりずーーーっと、無意識に思っていたわけです。

自然に還りたいたい信仰。みたいな。


でも最近。本当に最近。あ、東京でも繋がれるよね。
いつでもどこでも地球と繋がれるんだ。って気がついちゃったんです。


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それは、うちのベランダからの景色を観ていた時からはじまって。


今のマンションに17年前に住みはじめた頃は
ほとんど高層ビルもタワマンもなくて、
広々とした空に東京タワーがぽつり。
目の前の公園の緑が見えました。

それから、あれよあれよという間にニョキニョキとビルが立っていき…..
なんだか空が急激に減ってしまって。

一番古い写真を探したんですが、携帯では2011年のものしか遡れず。
17年前(2006年当時)は、右側の手前から3つの建物(ビル)もありませんでした。

さらに昨年にはとうとう、公園の前にどーーんと中学校の低層ビルみたいな巨大な校舎ができてしまい、とうとう緑も見えなくなって(涙)
気分的にはかなり残念な景観になってしまったなぁ。と思っていたんです。

さらに夜になるとビルの明かりがすごすぎて、
最初は「深夜なのに明るすぎるでしょー」とちょっと腹立たしかったものの
だんだんと慣れてきて、最近では毎夜、「ブレードランナー(映画)っぽいわぁ〜」と思ってみていて。
(高層ビルの夜景といえばブレードランナー一択な私(笑))

そうして先日ふと、
Mマークのついたビルがいっぱいあることに気がついたんです。

写真が鮮明じゃなくてMマークがほとんど見えないですが😅

そう、これ森ビルなんです。

森ビルって、ウィキにあるように、東京のここら界隈では、かなり昔から有名なデベロッパー・不動産会社で、有名なところでは六本木ヒルズをはじめとした「ヒルズブランド」のビルの開発・企画・開発・設計監理・営業・運営管理などをしている会社です。

その森ビルが知らない間にめちゃめちゃ増えていて。
それも巨大化している…。
わぁ…どんだけビル持ってるの。すごいなぁ〜。と思いつつ
森ビルに対して、感情的に良いも悪いも特に何も持っていなかったので
「森ビルだらけで、まさに『森』。都会の森の中に住んでいるみたい〜♪」と、能天気に「森をたくさん見つけた」くらいに思っていたら
(ベタすぎて自分で自分に笑っちゃっていたんですが)
なんだか気分的にもしっくりくる感じで。(笑)


ちなみに今、この記事を書くために森ビルのウィキを読んだら、
ただの不動産会社じゃなくて、
やっぱり考え方が「都会の森」っぽいんだ。と、初めて知り、
ちょっと森ビルが好きになりました。

1993年に創業社長・森泰吉郎が死去したのち、次男森稔が社長に就任し、路線対立から三男森章の森トラストをグループから分離するなどして、2012年3月8日に亡くなるまで長らくトップ(会長)を務めた。
森稔は、信奉するル・コルビュジエの思想に基づいて、港区を中心とした東京都心部での衣・食・住・文化を一まとめとした職住近接型の総合的な街作りを行っている。森ビルは、
密集している低層建築物を高層ビル化と地中化により垂直に集積させ、緑地面積と公開空地を確保する再開発手法をとっており、このようにして生み出した都市を「垂直庭園都市(バーティカルガーデンシティ)」と呼称している。
森稔の都市や文化に寄せる強い思いは森ビルの経営に大きく反映されており、かつてのセゾングループを強く意識しているとも指摘されている。

また、市街地再開発に当たっては、自社の社員の手による地上げを行う数少ない不動産会社である(他に住友不動産も自社で地上げする)[注釈 1]。

※注釈1^ 地域住民との折衝を辛抱強く重ねて説得する手法を取っている。

セゾングループの堤さんといい、昔の経営者は思想があったなぁ。と
あらためて。



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さて、そんな「都会の森」を見つけて数日経った日。

歩いて10分ほどの場所にあるアトリエへ行くために歩いていたら、
たまたま途中の道路を工事していた。
まぁ、道路工事なんて日常茶飯事。
しょっちゅうなので、普段は気にもとめていないのだけれど。

でもその日、道路工事の現場を通り過ぎる時に
ちらっと、アスファルトを掘り返しているところを見たら。

あたり前なんだけれど、「土」が見えた。

で、その瞬間、「わっ!!!」って思ったんです。

そして「わぁーーーーーー!!!」ってなって。
この時、アスファルトで覆われたその下にある、
日本のすべての「土」と繋がった
んですよね。


あーーー。
私は普段、なーーーんにも見えてなかった。

自然が剥き出しの海や川や山だけに「自然」があると
無意識に思っていた自分の馬鹿さ加減にびっくりした。

すぐに掘り返せるほどの、
そんなに厚くない数センチほどのアスファルトのすぐ下には
「土」があって。
ここに、自然が、地球があるじゃーーん!!!
この土は全部繋がってるじゃーーーん!!!って。


それはたとえば
雲に覆われて太陽が見えない日にも、
雲の向こうには太陽が在るのと一緒で。

またはスーパーに並んでいる
魚や食肉が調理しやすいように便利に切られて並べられているけれど、
その大元には生きていた動物の姿と生命があるんだよ。
と、そこに思いを馳せるようなもので。


いやいや、自然あふれる場所に行きたいってなんだ。
地球と同化したいってなんなの。(←自分に言ってる)

自然はすぐ足元にも、目の前にもあるのに。
そもそも地球に住んでいる時点で、
自分自身がすでに自然であり地球(の一部)なわけだし。

ただ、気がついていなかっただけだったじゃーん。と。


ーーーー
そして今日、近所に自転車で買い物に行って。
大きな幹線道路を走りながら
そこに並ぶ街路樹を見ていて、つくづく思ったんです。

以前、植物の気持ち的なことを書いた本を紹介していた友人のインスタに、その本では「街路樹にされた樹は家族から離れ離れになって寂しく思っている」みたいなことが書いてあったそうで。
私もきっとそうだろうな〜、とその時は共感したのですが。

でもそれ、「違うな。」って、今日思いました。

街路樹は、歩道の脇の、四角く仕切られた土の部分のすごく狭苦しい場所に植えられているように、ついつい見えちゃっていましたが。
この下はどこまでいっても全部土なわけで。って思ったら。
根っこはどこまでも伸びることができて、全地球と繋がっている。って。

だから大丈夫。って思いました。
街路樹たちもお日様をあびて、
風に吹かれてニコニコしているように感じましたよ。

ちなみにトップ画像は今日あちこちで見つけた
歩道のコンクリートの隙間から生えてきている雑草たち。


よく考えたら、
私が小さい頃は東京も全然舗装されていなくて、道路は土のままでした。
確か小学生くらいの時に家の前にある道が舗装されたのです。
アスファルトに埋め尽くされたのなんて、そんなに遠い過去じゃない。
それにしょっちゅう掘り返しているのだから、
土が息ができていないわけでもない。

ほんの数センチ下には土がある。

植物たちは、みんな元気に伸びている。

どこにいても、自分の意識次第で、
地球とつながることができるし
グランディングができるんだ。と改めて。

そうしたら、抱えていた「東京コンプレックス」が軽くなって。

そして、とっても新鮮な気づきだったのでシェアしました〜。

ではでは、また。




明日の午後は満月のインスタライブでーす。







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