見出し画像

突き抜けて向こう側へ

歌を歌いたい。音楽をやりたい。

5年前ぐらい前だったか、躁状態の時に再びステージへ返り咲こうと20年ぶりに音楽活動を再開した。メンバーもBAND名も決めてSNSで発信し、手応えは充分にそのまま行けると思っていたが、私が鬱になり全て中断、遮断。人に迷惑をかけ、そのことに対して何の責任も取れず、ただ消えた。騒ぐだけ騒いで所詮、口だけだったという恥ずかしさ。私は自意識が過剰なのだろう、死にたいぐらいの恥ずかしさに襲われてしまう。実際はみんな理解してくれてそっとしておいてくれているだけなのに、自分で自分を呪い責め立て嫌悪する。

そして2年前にも全く同じことを繰り返した。大きな会場のイベントにも呼んでもらって、出演すると、この口で言ったのにキャンセル。メンバーにも迷惑をかけてしまった。そしてもう二度と、また歌を歌うなんて口には出さないと心に決めた。もう私には無理だと痛感した。それでも去年また少し元気になったときに、宣伝はせずに友人の店で弾き語りLIVEをした。その後また落ちてそこから1年で今に至る。どうしても諦められない気持ちがここにある。

若い頃に、もう目の前にメジャーへの道が拓けていたのにも関わらず私たちは解散した。事務所にも関係者にも多大な迷惑をかけて解散した。音楽を仕事にするということがわかっていなかったと思う。自分たちの音楽が日に日に会社の商品になっていくことに耐えられなかった。順調に拓けて行くほどに縛られていくことに限界を感じてしまった。今思えば仕事なのだからあたりまえのことだろう。

それから職人の世界に入り、やり甲斐を見出し独立して20年、夢中になって打ち込んできたが、その重圧から精神を病んでからも20年。ジェットコースターのような激しい浮き沈みを繰り返してきた。自分の感性を仕事を通して表現して、いくつかのものを残すことが出来たが、これにも限界を感じてしまった。定期的になにも出来なくなってしまうのでは、自分のやることに長期的な責任が持てない。

思えば音楽をやめてからずっと燻り続けているものがここにある。それを色々な別の手段で慰めてきたのかもしれない。手を放せば衝動のままに行動を起こしてしまいそうになるが、元気になってきてまだ3ヶ月足らずなのだ。最近も、ふとした瞬間に心の中に不安の種のようなものを感じると、恐怖に呑み込まれてしまいそうになる。立ち止まって人目を避けて目をつむり心を整える。次の朝に目覚めればまたあれがやってくるかもしれないという不安がつきまとう。朝起きる度に心の中を確かめている。綱渡りのような不安と背中合わせだが、これぐらいが良いのだと思っている。もうどんなに楽しいことでも手放しで喜ぶようなことはしたくない。狂喜は絶望を連れてくる。

私にはこの内側にあるものを解き放ってみたいという衝動があり、同時にそれに対する羞恥心がある。尊大な自尊心と臆病な羞恥心。私の病の根はここにあるように思われる。つまり私を抑えつけているものは私自身であり、他の何者でもない。音楽は、歌は、歌詞は、内面を表すものだけれど、少し間接的に表現することが出来る。詩は直接的だ。出来るだけ正直に正確に描写すればするほど当然に直接的になっていくのだが、それでなければ書く意味はない。これを誰にでも見せるのは私にはハードルが高い。その反動にはもう何度も苦しんできたので、これはもうトラウマのようになってしまった。

しかし音楽には、歌には、感情の爆発がある。間接的なフィルターを通して直接的に自分を表現することが出来る。私には自分を解放できれば何かしらの結果を出せるという確信めいたものがある。だから諦め切れないのかもしれない。そして生半可な結果や、一般的な評価には甘んじたくないという傲慢もある。そこに自己嫌悪もあるのだが、だからこそ出来ることもある。どこまで突き抜けられるかわからないが、保険をかけながら、見かけ上は趣味程度に、極端な感情は表には出さないように自分を抑えながら、少し歌ってみようかと思う。やればおそらくエスカレートしていくのは自分でわかっている。ステージの上にあって自分を抑えることの無意味さはよく知っているつもりだ。

私にとってはかなりリスキーなことであるのは承知の上だが、これが完治のための唯一の道であるように思われる。また勝手に薬も通院もやめてしまったが、それを続けていても低空飛行で死ぬまで燻り続けながら病と付き合っていくだけだろう。私はそこに生きる意味を見出せない。正直なところ、次に激しく落ちたらもういいかなと思っている。もうそろそろ私はあれには耐えられない。背水の陣を敷いて、気楽に振る舞いながら、行けるところまで行ってみようか。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?