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おかしいものを「おかしい」と言えない社会は、おかしい

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ミートホープ

組織の現場でおかしな事が行われている事に気付いた時、どうしたらいいだろうか。

得てしてこういうものは上からの圧力(悪意の有無に拘らず)により下の人間が実行しているものである。
上記の事件のように不正が明るみに出るのはむしろ稀であり、実際には殆どの場合、問題が発覚してもやらされた人を生贄として内部的に揉み消されているだろう。圧力をかけた上の人側はお咎め無しだ。上からの圧力はその内容が曖昧な事が多く(結果を出す事を強要する割に、手段に関しては根性論だったりする)、両成敗となるケースはむしろ少ない。
上の人間ほどローリスクハイリターンで、下の人間、組織内で立場的に弱い人ほどリスクは高い。しかしながら、おかしいと思う感覚もやらされる度に薄まっていき、いつしか疑問も消えていくものだ。
たぶん、それなりの業歴や、事業規模のある組織の中で働いている人は、口に出せないだけで大なり小なりこういった経験はあるだろう。例え内容が小さく、目の前の事自体が問題にならなかったとしても、そういう体質になっている組織は一事が万事、似た事が起こればすぐ同じ状態になり、いつかは問題が発覚する。

おかしいものをおかしいと感じ、
おかしいと口に出す事はいけない事なのだろうか。

口に出すと、最悪、
上記の事件のように人生が絡む話になる。
口に出す事の是非を私が語る資格は、正直、
私にはないと思う。


しかし、私でもはっきり言えることがある。
おかしいものを、おかしいと感じている時は、その仕事をたのしいと思い、本気で取り組んでいる時だ。
見逃せない、口に出してしまうという人は、それだけその仕事に本気で取り組んでいる人だと、私は思う。
おかしいと思わない、又は思わなくなった時は、その仕事はたのしくない、又はなくなったという証拠なのだろう。

今私がそういう場面に直面した時、たぶん、私は口には出せないだろう。しかし、おかしいとは確かに感じるし、口から出掛かると思う。
口に出せない自分は、この仕事に心底本気になっていないのだろう、と確かに思うが、少なくとも、その「おかしい」という感覚は、たぶん正しい。
そして、実際にそういった場面にさらされ、その、とてもとても大切な「おかしい」という感覚をすり減らしつつある若い人たちを見ていると、
なぜだろう、少し寂しい気持ちになってくる。

たとえ組織の全員が「いいよそんなの」と言ったとしても、私はおかしいと感じた気持ちを、忘れないようにしたい。

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