酸欠少女さユりという
さユりちゃん
は私の人生で1番ライブに行ったことのある歌手
さユりのことはわたしが高校1年生の秋
フォークソング部にいた頃、ミカヅキという曲を友達がやりたいと言い出して、その時に初めてそのさユりの存在知った
フォークソング部は私がひどい辞め方をしたので、あまり思い出したくはないけれど人生の中では割と濃い時間だったから、振り返ればいろんなことを思い出す。
さユりが命を削るようにギターを弾きまくる路上ライブ動画は、これまでギターにまるで興味がなかった私のギター弾いてみたい欲に初めて火を付けてくれた。
ミカヅキをアルペジオで弾き、光と闇やちよこれいと、さユりバージョンのゆるふわ樹海ガールの動画を何度も見てその手元を真似てコピーして歌ってnanaという歌ってみた投稿サイトにたくさん上げた。
ギターがなんかうざくて嫌いだったのに、少し弾けるようになったのはさユりのおかげでしかない。
初めてライブに行ったのは、心斎橋のFANJ Twiceみたいな名前のハコでのライブだったと思う。
普段田舎に住んでる芋高校生の私が夜の大阪の都会でライブに行くのは新鮮な時間だった。
さユりは小さくてめちゃくちゃかわいかった。
ちよこれいとを歌いながらチョコを投げてた。神様みたいに白く光ってた。衣装も白いポンチョだった気がする。2017年くらいかな?
そこからもタワレコ、阿倍野キューズモール、アニメイトのリリイベに 心斎橋のライブ会場に足を運んだ
かなり宗教的な感じでさユりを崇め奉ってたと思う。
ツイートの仕方、喋り方、餃子をかわいいという感性、ボブカット、私にとっては歌手というよりもかわいいかわいいアイドルだった。
そんなさユりにもう会えないらしい。どうにもこうにも。
さユりは歌うことが生きることだったのかな?
そんなの、私にわかるわけがないけど
歌じゃないとダメだったのだろうか
私の生きることってなんだろう
ただおいしいスイーツを食べるだけじゃダメな気がする
私にとって一時期さユりは神様だったのに、そんな素敵で仕方ないさユりがこの世界にいないとなったら自分の人生もなんなんだろうって考えさせられる
別に人生に価値も生きる意味も何もないんだけど、でも自分の中ではある程度それを明確にしながら生きたい 今ここで答えられなくてもいいから、もう少し考えてみる。
最後にわたしがさユりのだいすきな曲を並べたい。なんとなく寂しいので
・ちよこれいと
・蛍
・夏
・いくつもの絵画
・酸欠少女
・ミカヅキ
・よだかの詩
・夜明けの詩
・レテ
・プルースト
そういえばさユりって大阪が好きで昔インターネットのプロフィールに出身じゃないのに大阪に住んでるって嘘をかいてたみたいなことを言ってた気がする(気のせいかも)。
大阪を好きって言ってくれてたのうれしいな。
そういえばbirthday songで、「死にたいと生きたいの間を何度も何度も彷徨いながら」っていう歌詞があって、さユりでもそんなこと考えるんだ、と思った。私からみたらさユりは崇高なかっこいい、かわいい存在だったけどみんなそんなもんなのかも。
私も生きる意味というか目標がほしいな
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