メンタルケアのためにまずは「ブロイラーランチ」をやめてみる。

ぼくは50代男性だが、加齢とともにメンタルケアの重要性を感じている。メンタルが好調であれば思考もよく回るし、仕事の効率も上がる。フリーランスの僕にとって思考が回らないと死活問題にもなりかねないので、生きていくうえでの重要課題でもある。
ちなみに今年の夏は、率直に言って思考が十分に回らなかったと思う。長期間にわたる酷暑の中、たとえば朝起きて窓を開けベランダに出る際のムッとする暑さ、そんなもので鈍る思考をなんとか回そうと悪戦苦闘し続けた末に疲労がたまって倒れてしまった(と自己解釈している)。
色々と心がけていることがあるのだけど、その一つに「ブロイラーランチをしない」ということがある。「ブロイラーランチ」は僕の造語だ。
20代の頃に某リサーチ会社で働いていた時、そこのボスが僕らのことを「ブロイラーのように働く」と皮肉で言っていた。ここでの「ブロイラー」とは、ひたすら机に向かってせっせと報告書を量産し続ける状態のことを指している。当時は、リサーチの発注が来て、振り分けられた発注分を各自が黙々と調べて、あるいはひたすら電話取材をして、調べた結果をまとめて提出する、そういう日々だった。ワープロが普及し出した頃で、当初はたしか5行ぐらいしか表示されないモニターで、それでも喜んで入力していた記憶がある。昼も夜もメシは近所の牛丼屋で、牛丼屋と言っても500円ぐらいでカツ丼が食べられた気がして、一日二食のカツ丼を食べ続けてたらカツ丼がいっとき食べられなくなったのではなかったか。そんな日々を2年ほど続けた後、ぼくはその会社を辞めた。それがテレビ業界に足を踏み入れたきっかけだった。乃木坂に小さなオフィスがあったが、当時はバブル絶頂期で、六本木の路上は毎晩パーティのようで、気持ちの悪い時代だった。
ともかく当時の「ブロイラー仕事」を振り返ると、そんな仕事ぶりには牛丼屋のカウンターに並んで運ばれてきたカツ丼をただ黙々と食べる「ブロイラーランチ」がぴったりくる。牛丼屋だけではない。いま流行りのラーメン屋なども、並んで、食券買って、カウンターに座って、流れ作業で効率的に生産されたであろうラーメンが目の前に置かれて、それ食べたら出ていく。回転率でまわしているリーズナブルな料金設定においては、僕らのランチは単なる流れ作業の一環にすぎない。腹はいっぱいになる。味は店にもよるが概して悪くないだろう。が、そんな流れ作業にランチを落とし込んでしまったら、生きる質が落ちる気がする。僕らはブロイラーのように食べたり、仕事したりしてはいけない。
というわけで、ちっともロジカルになってはいないのだが、お昼はセントラルキッチンで作られた工業製品などではなく、お店の方が作ったものを美味しくいただく。町中華のカウンターでもいい。おやっさんに「チャーハン」と頼むと、年老いたおやっさんが重いフライパンを振り回してチャーハンを作ってくれて、それを食べるのはブロイラーランチなどではない。ちゃんとしたご飯だ。
回転率と流れ作業で安いランチを多くの消費者に供給して利益をあげている企業の方々には申し訳ないのだが、一度そのアリ地獄から外に出てみてはどうだろうか。
少なくとも僕は、そのほうがメンタルの好調を維持できる。たまに仕方なくブロイラーランチをしちゃった日には、とてもがっかりな気分になってしまい良くない。

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