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とある勇者の冒険譚

私は村でもわりかし有名な勇者をやっている。
今日は、誰も入ったことがない、
入ったら戻れないという秘境に
足を踏み入れようと試みている。

「忘れ物はない?」
心配そうに母親が訊ねる。
私の母はいつだって心配性だ。
「うん。ちゃんと持ったよ」
入り組んだ草を切り取るハサミ、
獲物を誘き寄せるための蜜、
秘境を傷つけないための安全靴、
そして、怖がらない心である。


戻って来れないと有名な秘境に行くもんだから、
村人総出で送り出してもらった。
「いってきます」
生きて帰ってこれるかはわからないけど。
そんなことよりも、私の好奇心が優った。




道なき道を行く。
通ったことある道はあるが、
立ち入り禁止の看板を通り越えなきゃいけない。
「よし」
私は看板同士の間にある鎖を跨いだ。

噂で聞いた通り、草が生い茂っていて
先に進めそうになかった。
「草さん、ちょっと通してね」
草も生き物だ。
すくすくと育った雑草やツタに敬意を払いつつ、
私が通りやすいように丁寧に切り取った。

丁寧に丁寧に、2時間かけて綺麗に掃除した。
すると.....これは知らなかった...
菊の紋様が描かれた、
固く閉ざされた扉が聳え立っていた。
「ここが、秘境....?」

力尽くでは簡単に開きそうにないことがわかる。
私は、ここで家に出る前の私に感謝した。
獲物を誘き寄せるための蜜をここで使うのだ。
滑りを良くすれば、扉が開くかもしれない。

私は菊の紋様にキスをした。
敬意を払いたかったのだ。
「優しくするからね」
そう言って、固く閉ざされた菊の紋様に
蜜をたっぷりと塗った。

ここからは体力勝負。
私は忍耐強いから、絶対に負けない。
それに、この秘境と仲良くなりたいし。
念入りに撫で、時に抱きしめ、キスをしながら、
私は扉を絆していった。

すると.....
人1人入れる程度に、少しだけ扉が開いた。
「受け入れてくれてありがとう」
菊の紋様を撫でてから、
ゆっくりと足を踏み入れた。
ここで安全靴が役に立った。
扉の内側は、鍾乳洞のような、
でこぼことしていて、滑りそうで、
踏ん張っているのに精一杯だった。

ゆっくり、ゆっくりと奥に進んでいく。
「ん....?あれはなんだろう」
こんな湿り気の多い鍾乳洞に、
小さな薔薇の花が咲いていた。
とても小さくて、今まで見たことのない
それはそれは美しい薔薇の花。

「君だったんだね」
私は薔薇の花を撫でた。
すると、突然地震が起こった。
驚いた私は、秘境から抜け出すべく、
来た道を戻ろうとした。
どんどん道が狭くなっていく。
早く歩けば歩くほど、秘境の縦揺れは激しくなった。

「大丈夫だよ。ごめんね」
私はこの大自然に向かって声をかけながら、
出口を探っていく。

微かに開いている扉を見つけた。
幸い、私はスリムだったため、
通り抜けることができた。
菊の紋様は扉を閉じた。



「はぁ....はぁ.......」
帰って来れないかと思った。
怖いもの見たさの私は身震いがした。
また、この秘境に来たい。
次は地震が起こっても怖がらずに、
あの愛らしい薔薇の花を愛でたい。

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