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創価学会の言論出版妨害と東北福祉大の遺跡ねつ造事件

 創価学会でかつて保守派の政治評論家の藤原弘達の『創価学会を斬る』という暴露本に関して組織を上げて徹底した妨害を浴びせた悪名高い事件が存在する。

 藤原弘達が創価学会という宗教団体のカルト性や自浄作用のなさや組織を守るための秘密主義や情報公開を拒む独善的な体質は大いに問題があると猛批判した事件であるが、40年経過した今も創価学会や公明党を批判する関係者は言論出版妨害を語り草にしている。

 今も創価学会・公明党のイメージを悪化させた事件として言論出版妨害事件を繰り返し引き合いに出して批判を加える関係者が多いということはそれだけこの事件に関する社会的なインパクトが大きかったということではないだろうか?

 右翼も左翼も創価学会・公明党の言論出版妨害事件を猛批判した

 創価学会の言論出版妨害に関して自民党や民社党の反共保守勢力も事件に関して猛批判し、反自民党・反民社党だった日本共産党や日本社会党も創価学会・公明党もこれまた創価学会・公明党を猛批判した。

 保守右翼で日本共産党を蛇蝎のように嫌っていた藤原弘達本人もたまりかねてついに日本共産党の『赤旗』に言論出版妨害の顛末を内部告発のように暴露記事を書き、騒ぎは余計に大きくなっていく。

 結局、創価学会側の池田大作が言論出版問題に関して「猛省」ということで公式に謝罪して、事件の決着は一応、解決したような扱いになったものの、関係各位は創価学会・公明党の本質は変化なしということで今も事件を覚えていて自浄作用のない創価学会の在り方に疑問符を投げかけた事件として悪名高い事件として語られるようになった。

 右翼も左翼も公明党・創価学会の引き起こした悪質極まりない言論出版妨害事件ということで40年前の過去の事件を克明に覚えている関係者も多い。

 結局、創価学会側も言論出版問題に関しても何があったのか?を積極的に答えることもなく、創価学会に対しての批判者と嫌悪を増大させた事件でしかないということで、世間では今も手厳しい批判が継続している。

 言論出版妨害事件に関しては韓国のKCIAが引き起こした金大中事件のようなうやむや決着のまま、後味の悪い事件として関係者が批判を浴び続けていることは少し日本の戦後史に詳しい人ならば誰でも知っていると思う。

 東北福祉大学の遺跡ねつ造事件も残念ながら創価学会の言論出版妨害と同じように痛烈な批判を浴びても仕方がない悪質な事件だった

 私のいた東北福祉大学も遺跡ねつ造事件に関しては創価学会の言論出版妨害のように事件をうやむやにして、なかったことにする悪質な事件と同類という批判が今も継続している。

 遺跡ねつ造事件に関してなのだが右翼も左翼も激怒して東北福祉大学に対して猛批判をしたのは関係者ならば誰でも知っていて、立場は創価学会の言論出版妨害のようなものだったのではないか?と私は考えるようになった。

 残念ながら今も当事者の東北福祉大学の関係者が事件に関して積極的に謝罪したわけでもないし、事件をうやむやにしようということで情報公開にも応じようともしないとなれば、やはり創価学会的な体質というか、閉鎖的で非民主的で学問の自由を否定するような暴挙をやって恥じない体質があるのではないか?ということで批判が継続することは無理もない、と私は思う。

 東北福祉大学も創価学会の言論出版妨害事件のように遺跡ねつ造事件のことを糾弾され、事件は創価学会の言論出版問題のようなことをしているのではないか?となれば大学当局に対する不信感や信用を大いに失い、周囲とも揉め事をおこしたまま、関係は悪化したままになってしまうのではないか?

 東北福祉大学は仏教系の大学であるので遺跡ねつ造事件に関して「あれは過去の事だ」とか「ねつ造はFがやったことで我々は関係がない」などと勝手に解決済みという態度を取り続けるのであればお前の大学は創価学会のような悪しき体質ということで周囲は容赦なく批判を継続し、挙句の果てに「東北福祉大は創価学会」のような偏見も出てしまうは辛いものがあるのではないだろうか?

 私事で恐縮でもあるのだが遺跡ねつ造事件の件でお前の大学は創価学会か!と罵倒されて、大学名を隠したことも度々、ある。

 同じような体験をした東北福祉大学OBは自分だけではないはずだ。

  私個人の意見でもあるのだが、残念ながら東北福祉大学の関与した遺跡ねつ造事件も創価学会の言論出版妨害事件と同様に後味の悪い事件として今後もかなり影響が出るのは必須だろう。

 東北福祉大学に求められる真の『猛省』

 東北福祉大学は創価学会関係者が多い大学ではない。

 しかし、遺跡ねつ造事件に関する情報公開を拒み、事件をなかったことにするような東北福祉大学の悪しき体質は残念ながら藤原弘達の『創価学会を斬る』の発刊の際に組織ぐるみで圧力をかけ、事件をなかったことにするという言論出版妨害のような悪しき体質をまざまざと見せつけるような悪名高い事件であったのは確かだ。

 言論出版妨害から40年も経過しても事件の真相究明のために反創価学会のライターが執拗に事件を蒸し返し、創価学会批判を継続するように、東北福祉大学の遺跡ねつ造事件に関しても事件の真相をうやむやにして責任逃れをする悪しき体質はそれこそ創価学会の言論出版問題のような悪しき態度ではないか?ということで批判が継続するのは当然ではないか、と私も思うようになった。

 実際、日本の考古学をねつ造事件で破壊した東北福祉大学の悪名は関係者に次々と伝わり、事件の当事者たる東北福祉大学が事件に対する真相をそれこそ創価学会の言論出版事件のようにうやむやにして、恥ずべき振る舞いをしているという痛烈は批判はそう簡単に消えることではないだろう。

 創価学会の最高権力者の池田大作も藤原弘達の『創価学会を斬る』に関する言論出版妨害事件で『猛省』という公式の謝罪をしたが、我が東北福祉大学も創価学会の池田大作の『猛省』のような遺跡ねつ造事件に関する反省が絶対に必要なのではないか?といわせていただく。

 

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