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日本の信徒発見の聖母

今日、3月17日は日本の信徒発見の聖母の記念日だ。

1549年、聖フランシスコ・ザビエルによって日本にもたらされたキリスト教は身分を問わずに大きく広まった。信長はキリシタンに覆いに関心を抱き、秀吉はポルトガルなど諸外国との貿易を考えパワーバランスを図りながら禁教令をだしつつも実質上、宣教師や信者の活動を認めてきた。だが、江戸幕府は宣教と植民地化をセットで行ってきたポルトガルやスペインの方針に加え、取り締まっても取り締まっても、殺しても殺しても、活動をやめず信仰を捨てない信者達の姿勢を見て、幾度も大殉教をひきおこし、大々的に取り締まりを行い、ついには1614年に宣教師と信者の国外追放を行った。この中には信仰のために身分も職務も捨てた高山右近も含まれる。

檀家制度を強いて出生と葬儀は必ず檀那寺を通じて行われ、近隣住民で組を作りキリシタンの活動に抑制をかけ、密告報償を与えそれを推奨した。また、キリシタン集落を見張らせるために周囲の集落に圧力をかけ見張らせた。棄教のしるしとして正月に踏み絵を踏ませ、その風習は開国まで続いた。

それから251年という月日が過ぎ、日本にキリスト信者は根絶やしにされてしまったかのように見えた。

開国の声も聞こえ、長崎にはカトリック、函館にはロシア正教、横浜にはプロテスタントの教会がたてられた。だが、それらは原則的に寄留中の外国人のためのものであり、日本人のキリスト教信仰はまだ御法度だった。

というものの、長崎・大浦の教会には大きく「天主堂」という文字が教会の尖塔の下に掲げられていた。この教会は日本の1597年2月5日日に秀吉によって処刑された日本の二十六聖殉教者に捧げられた聖堂で、殉教地である西坂の丘に向けられて建てられた聖堂である。

1865年3月17日。大浦天主堂に配属されたパリ外国宣教会プチジャン神父(後に司教)は見物人に紛れて一般の農民たちが人目を忍んで聖堂に入ってくるのを見るが、警戒されないように、ご聖体の前で祈っていると、一人の農婦・イザベリナゆりが話しかけてきた。

「わたしたちの胸、あなたと同じ胸を持っております。サンタマリアの御像はどこ?」と押し殺すように、でも畳み掛けるように問いかけられ、プチジャン神父は聖母像を安置してある脇祭壇に案内するとその一行はため息とも歓喜の声ともつかない声をあげ「本当にサンタマリア様だ。おん子イエズス様を抱いていらっしゃる」と祈り始めたという。

日本の信徒発見の聖母(サンタ・マリア)



そして、その信徒たちは、クリスマスや四旬節といった暦を守っているということを打ち明け、ローマのお頭様(教皇様)から派遣されたかどうかということ、そして、その宣教師が独身であるかどうかということをそれとなく訊ねたという(せっかくですので奥様とお子様にご挨拶を…と言ったらしい)。

そして、長崎の多くの地域で「同じ胸」の者たちが潜伏しており、宣教師の来日を7代に渡って待ち続けてきたことを告げた。

プチジャン神父は早々にこの出来事をパリ外国宣教会本部に手紙にしたため書き送り、その知らせはヨーロッパ中に驚異と感嘆のうちに走り廻ったと言われている。

1600年ごろに殉教したといわれている「バスティアンさま」という日本人伝道師が「今から7世代が経つと、バテレンさまが戻り、大きな声で公然と祈りが唱えられるようになる」と予言し、決して信仰から離れないように励まして死んでいったという伝承がある。彼らの信仰はその明確な方針によって支えられてきた。

今までは、踏み絵を踏むたびに、胸を打ちつつ痛悔のオラショ(祈り)を唱え、葬儀があげられている間に別室で経消しのオラショを唱えてきた。十字のしるしも洗礼の時と死ぬ時以外はすることもはばかられて、何度にキリストや聖母のメダイを隠し、観音像に聖母の面影を見とりながら祈ってきた。だが、この日、短時間であったが、公に、大きな声で祈りを唱えることを出来たわけだ。彼らでちょうど7代目と言われている。

待って待って待ち続けたすえ、そこには聖母が御立ちになっておられ、その腕には人々を迎え入れるように手を広げた幼子イエズスの姿があった。

踏み絵を拒み、殉教で死んで行った者の苦しみは想像を超える苦しみと痛みと恐怖だ。だが、遠藤周作の「沈黙」のセリフではないが、踏み絵を踏む者の足の痛み心の痛みも、いまのわたしたちは想像出来ないもののように思う。この子孫たちは転ばぬために「転び」続けてきた信仰者だった。

文字通り赤い殉教を遂げた殉教者たちが掲げられた正面にその殉教者に捧げられた白亜の聖堂で、その殉教者たちの子孫、そして、血を流すことはなくとも踏む足と心に痛みを抱き続けた「白い殉教者」であるその人々が、自らの信仰を告白する。

251年の間一人の司祭も持たずに、独自の組を作り暦と洗礼と祈りで信仰を守ってきた奇跡があらわになった日。

現代のわたしたちも、日常生活や様々な煩いに遮られてしまい、大きな声で公然と祈りが唱えられるにもかかわらず、出来なくなっているように思う。信仰の大先輩達の生き方、そして、その命をかけた祈り・オラショに学ぶものは多すぎるように思う。

日本の聖なる殉教者と信仰を守り続けてきた人々の命の祈りに、わたしたちの祈りをそえて神を賛美することができますように。

日本の信徒発見の聖母、わたしたちのために祈ってください。
父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。


信徒発見記念にフランスから寄贈された御像

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