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五千人の給食、聖餐の原型

【2011年6月にブログに綴った記事です。この年はA年でマタイが読まれていました。訂正なしで転載いたします。】


13イエスは〔洗礼者ヨハネが死んだこと〕を聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。 14イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。 15夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」 16イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 17弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」 18イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、19群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。 20すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。 21食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。 (マタイによる福音書14.13-21)

とても有名な5つのパンと二ひきの魚で五千人に食べ物を与えた奇跡伝承である。この記事は四つの福音書すべてが伝えている伝承で(マルコ6.30-44、ルカ9.10-17、ヨハネ6.1-15)、初期キリスト者共同体でかなり重要視された伝承だと思われる。旧約にも酷似している記事があるので(列王記上下にあるエリシャの奇跡物語)その影響下にある奇跡伝承と思われる。

13節-14節で出来事の背景が語られ、15-18節でイエスと弟子たちとの会話があり、19-21節で起こされた奇跡が語られる。

マルコの並行記事では弟子たちの帰還とイエスの指示により「人里離れた所」に退くが、マタイでは15節まで弟子たちの存在について言及されていない。イエス一人が「人里離れた所」にゆく。マルコと違いマタイはイエスにスポットをあて意図的にあるイエスの姿と重ね合わせてこの奇跡物語を編集している。そのイエスとは「最後の晩餐のイエス」である。そのことを前提にこのテキストを読んでみたい。

まず、この奇跡の背景として、イエスの群衆への思いと関わりがある。「深く憐み」と訳された「スプランクニツォマイ」は直訳すると「はらわたする」となる。だから、ここは「あわれむ」というより「はらわたが突き動かされる思い」と訳したほうがいいかもしれない。イエスの群衆に対する思いは、はらわたが突き上げられるいてもたってもいられないほどの共感である。イエスに従い後を追った群衆とは、病を抱え、社会のなかで底辺に追いやられた人々である。当時、病気は本人か先祖誰かの罪の結果と考えられていたので、病を抱える人々は罪人・悪魔憑きとして社会に居場所を与えられない存在であった。その差別され苦しみの上に苦しみを負わされた人々に対しイエスは「はらわたを突き動かされる思い」を抱き、深く共感する。そのことがこのパンの奇跡の背景だ。

しかし弟子たちは極めて常識的な提言をイエスにする。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」と。人数も人数であるし、人里離れた所である上に、そこにいる群衆は貧しく病を抱えイエスに癒された人々である。常識的と言えば常識的であるし、人の力のみに頼るのは無理な話である。

弟子たちに対しイエスは「行かせる必要はない、あなた方が与えなさい」と答える。群衆に食べ物が必要だという点においてはイエスと弟子の意見は一致している。しかしでしたちは「ここ」では無理だと言い、イエスは「ここ」に持ってきなさいと言う。ここから出て行く必要があるという弟子と、「ここ」に持ってきて「ここ」で与えなさいというイエスの対立がある。弟子たちは一般的な社会的な必要なものを買いに出かけると言う下からの意見を言い、イエスは「ここ」すなわちイエスがいるところこそが食糧を供する場であると言う。

マルコでは弟子を介して間接的に群衆へ指示をだすが、マタイではイエス自身が群衆に直接草の上に座るように命じる。マルコでは群衆が組になって座ったことを述べているが、マタイではそれを省いている。この変更はイエスにフォーカスをあてるためだけでなく、イエスの動作が一連のながれ、一つのつながりとなるための編集である。そのことによって、「取って」→「天を仰ぎ」→「賛美の祈りを唱え(賛美と感謝は一体の概念で、その祈りはそのまま祝福の祈りでもある)」→「裂いて」→「お渡しになった(与えた)」という一連の動作となる。

グレゴリー・ディックの提唱した主の晩餐での四行動構造説を思いだしたい。「取り」「感謝」「裂く」「与える」というイエスの四つの行動がミサの構造をなしていると前にも書いたが、マタイはこの奇跡物語に最後の晩餐のイエスの行動を重ね合わせて描いている。魚も祝福しているはずだが、渡されたのは裂かれたパンだけであるのも、最後の晩餐で魚が供されなかったことと無関係ではないだろう。

このテキストでは、群衆との関わり、イエスのはらわたが突き動かされるほどの共感、糧の供給、そして12の籠がいっぱいになる、すなわち満ち溢れるほど完全な恵みに満たされたという結果が書かれている。苦しんでいる人への共感と同時に、社会の論理では満たされない必要を根本的に満たすことができるのは「ここ」すなわちイエスそのものにあるということが描かれている。すなわち、人の命は神と人、人と人とのつながりと共感のなかにこそある、ということである。教会のあり方の原型、と言ってもよいかもしれない。

弟子たちは自分の力の限界を知っていたがイエスの力と人々と共感し連帯する中からの力には信頼おらず、社会の論理で満たそうとしている。しかし、イエスが示す道ははっきりとした連帯の道であり、人と人とのつながり、しかもはらわたが突き動かされるほどに苦しみを負った人達との連帯と共感の道である。最後の晩餐の出来事はこのイエスの思いと結びあわされていることをわたしたちは知らなければならない。

旧約において神がイスラエルの民を沙漠へ導きだし40年間養ったように(距離的に40年も必要な道のりではなく神とイスラエルとの関わりの中で40年の時間が必要だったのだが)、イエスも人里離れた所で群衆を養われる。人間の必要を完全に満たすのは社会の論理ではなく、イエスご自身である。町や村に象徴される社会の論理ではなく、イエスという場、イエスという力、イエスの関わりと社会の論理とはまったく異なることを明らかにするために人里離れた所が選ばれている。また5つのパンはトーラーを暗喩しあまった籠は失われたイスラエルの12部族を暗喩する。それはイエスによってはじまった神の国に信頼し、イエスの死と復活に結ばれるようにとのマタイの主張ともとれる。

ともすれば、教会共同体を人里離れた所と勘違いしてしまいがちだが、そうではない。教会共同体が社会の論理で動かされるのならそこにはイエスの力はない。では浮世離れした、社会の論理を否定した、なにか奇跡的なことを望めばよいのだろうか。そうではない。キリスト者はイエスの選び、イエスの共感、イエスがはらわたを突き動かされたのと同じように苦しむ人や社会的に小さくされた人々と連帯するようにまねかれているのだ、ということ。そして、その連帯と信頼のうちにこそにキリストの力が満ち溢れ余すところなく発揮されるのだ、ということに信頼しなければならない。

わたしたちがパンを裂くとき、キリストの体に与ります。
パンが一つであるから、わたしたちは多くいても一つの体です。

この与るという言葉は「コイノニア」という言葉だ。交わり、という意味なのだがそれは同じことに関心がある人々や同じようなレイヤーに属する人々の「交流会」といった交わりではない。キリストの体によって結びあわされるという意味である。だから、自分が共感したい人と共感するのではなく、イエスが選ぶ人と共感し連帯する共同体が教会共同体であり、その前提なしに礼拝共同体では決してあり得ない。ただの宗教祭儀としての礼拝、ならば別だが、はたしてそこにイエスはおられるのだろうか?

五つのパンと二ひきの魚の奇跡が、苦しんでいる人への共感(コンパッション=コム・パッション=苦しみに結ばれる)を前提としたものであり、主の晩餐という出来事からその奇跡を見るのなら、わたしたちの捧げるミサ、わたしたちの囲む主の食卓も同じでなければならない。主の食卓を極度に精神化しこの前提から切り離して考えるのなら、イエスの福音を骨抜きにしてしまうことになるのではないだろうか。

それは決して居心地の良いものではないかもしれないし、傷つく関わりかもしれない。口で言うほどたやすいものではないだろうし、もし関わったとしてもわたしたちのキャパシティーをオーバーするものかもしれない。五つのパンと二ひきの魚で五千人を満たしなおそれにあまりあったということを信じ信頼し関わることも、関わらないことも、その応答はわたしたちの自由に委ねられている。それが、キリスト教信仰だ。

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