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三千年の歴史

 育児エッセイのようなものを読んでいて、『オムツ無し』というのをみて初めて理解できた
 世界中どこにでも赤ちゃんのオシメがあるわけではないのだが、赤ちゃんはどこでもダダ漏らし オシメが無いと不便だ 昔ときどき遭遇していたのが、赤ちゃんの肌着が股割れズボンになってて、局部が露出してるタイプのやつがある それを中国のお母さんが持参するときがあった
 若い私はオシメを出すように説明し、お母さんが「いるの?」という顔でさしだす 日本語は使えるが完全ではないので、お母さんが何を意図してこの服を出してきたのか聞くことはできなかった
 家に帰ったらオシメどうするんだろう、土間や木の上に住んでるわけでもないんだから、カーペットや畳がドロドロになるのに一晩かからないよ、入院してるときにずっとオムツ替えてたでしょ?それを中国語にすることは今でもムリ
 オシメを使わずに、オマルに座らせていくらしい スポック博士もびっくりである 現代ならできるだろうが、日本でこれが普及してない歴史があるのはわかる お産のあと、日本人の体力ではそんなに動けないからだ 今どきのお母さんは元気だから、お産のあとに気が向いたらチャレンジできるかもしれない 昔はお産が終わったら皆、泥のように疲労困憊していた オムツくらい使わないと母の体がもたない
 長年の謎がとけて満足である
どうしても一言書きたいことは、完全母乳もオムツ無しも、母に余裕があるからできるのです 選択権は母にしかありません ミルクもオムツも使うことは尊いことです 他人は、たとえ夫であっても決めたことに口出しなりませぬ 母が神様