ブルックナー:交響曲第9番第1楽章のテンポ雑感~チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルの演奏を聴いての違和感
先日、チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルによる、ブルックナーの交響曲選集SACDボックスを入手しました。
今まで、チェリビダッケの演奏は敬遠してきました。
今回、SACD化されることにより、ようやく手をつけてみよう、という気になりました。
なぜか6番から聴き始め、7番、8番、5番と順調に聴き終わり、素晴らしい演奏だと思いました。気にしていた、やたらと長い演奏である、という事も、あまり気になりませんでした。むしろ、第8番あたりでは大歓迎でした。
ついに第9番!ところが・・・
演奏そのものは、瑕疵がなく、見事なものでした。
ただ遅い、弛緩したという感じはしませんでした。
でも、第1楽章のテンポ感がどうもブルックナーがこの楽章で描こうとするものと違っているように思えました。
参考までに、この演奏と、代表的な2盤の録音時間を記載します。
チェリビダッケ盤(WARNER)
第1楽章 32:26
第2楽章 13:47
第3楽章 30:37
ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデン盤(WARNER)
第1楽章 23:11
第2楽章 9:59
第3楽章 27:45
ジュリーニ指揮ウィーン・フィル盤(DG)
第1楽章 28:10
第2楽章 10:50
第3楽章 29:35
ヨッフムとチェリビダッケだと、第1楽章が約10分違う訳です。
私のイメージだと、この第1楽章は、世界が崩壊していくかのような光景です。終末論的イメージというか・・・
それから「審判」や、カトリック的な「煉獄」のイメージの第2楽章、
そして浄化された、「天国」や「新しい天と地」を思わせる第3楽章へと続きます。
ヨッフム盤や他の盤(カラヤンや朝比奈、その他ほとんどの盤・・・)では、そのイメージから外れることはなかったのですが、チェリビダッケのこの盤だけ、テンポで違和感を感じてしまいました。世界が崩壊していく、切迫した情景から、ただの音の羅列、特に意味を持たせていないきれいな音・・・
キリスト教の世界観における時間の流れは、「直線」です。世界のはじめから、終わりに向かって進んでいきます。
対して、ギリシャ・ローマの世界観や、東洋的世界観における時間の流れは、「円」です。
何度も繰り返す・・・
チェリビダッケは、おそらくキリスト教的世界観からではなく、東洋的なアプローチをしたかったのかもしれません。そういう「終末」などないと・・・
まぁ、こういう解釈もアリなのでしょう。
第2楽章、第3楽章は問題なく聴けました。
ところで、ブルックナーの交響曲第9番で最も好きな演奏は、やはりジュリーニ/ウィーン・フィル盤です。
第3楽章は大天使がラッパを鳴らしながら終末後の世界を見せてくれるかのようです。
改めて、こういう事を考えさせてくれたチェリビダッケ盤を聴けたことに感謝!
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