「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(自作曲)のX投稿と楽譜
今回は、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(自作曲)を自分で歌い、fm.standとXに投稿しました。
テキストは、聖書新改訳第三版 伝道者の書3:11、3:1です。
参考までに、他の訳も掲載します。
ところで、書名が聖書の訳によって異なっていますね。
「伝道者の書」、「伝道の書」、「コヘレトの言葉」、「コヘレットの書」、「コヘレト」・・・そもそも「コヘレト」とはどういう意味でしょうか?「コヘレト」つまり「伝道者」(今日的な意味での、大衆伝道を行うような人?)ということでしょうか?
実際には、「集会で話す人」の方が、より原語に近いそうです。
そのため、新共同訳以降やカトリック系の訳では、あえて訳さず、「コヘレト」、「コヘレット」としています。
バルバロ訳にある「コヘレットの書解説」冒頭から引用します。
「コヘレトの言葉」は、旧約聖書でもかなり異質な書です。勧善懲悪的な内容が多い旧約聖書の中で、きわめてリアリズムに満ちた内容です。
私にとっては、実は旧約聖書で初めて読んだのが、「コヘレトの言葉」でした。
高校生の時、スタインベックの『怒りのぶどう』という小説を読みました。その中に出てくる、「ジム・ケイシー」という説教者が、会話の中でひんぱんに「コヘレトの言葉」から引用をします。それがなぜか、私に「旧約聖書をぜひ読んでみたい!」という気を起こさせた作品でした。
「伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。」
(伝道の書1:2~3口語訳)
まるで「方丈記」の冒頭のような、東洋的無常観にあふれた智恵の言葉が、私を魅了しました。
(ちなみに、最初に買った聖書は、口語訳でした。
しかしあまりに訳文がつまらなく、出エジプト記あたりで挫折しました・・・
新共同訳と新改訳その他の訳は相当な回数通読を重ねていますが、
口語訳だけは、いまだに1回も通読していません。参照にとどめる程度です。)
「この地上には空しいことが起こる。
善人でありながら
悪人の業の報いを受ける者があり
悪人でありながら
善人の業の報いを受ける者がある。
これまた空しいと、わたしは言う。」
(コヘレトの言葉8:14新共同訳)
「太陽の下に起こるすべてのことの中で最も悪いのは、
だれにでも同じひとつのことが臨むこと、
その上、生きている間、人の心は悪に満ち、
思いは狂っていて、その後は死ぬだけだということ。」
(コヘレトの言葉9:3新共同訳)
善人は祝福され、悪人は裁きを受ける、という旧約の宗教観に対して、
聖書自身が、アンチテーゼを主張しているのが興味深いですね。
「コヘレト」のように、人生を斜めに見る存在を、正典に編入したのが、
ユダヤ人の卓見である、ともいえましょう。
さて、ようやく自作曲について触れておきます。
この曲には、特別な思いいれがあります。
ちょうど、ニ十数年前、父方の祖母が亡くなった時に、
心に浮かんできたものです。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」
(旧約聖書 伝道者の書3:11新改訳)
神様に「なぜ?」と問いたい時というのがありますね。
しかし、「あえて」主を讃美するしかない時も多いのです。
この曲のトーンは、その「あえて讃美する」ものですが、
同時に、不思議な慰めもあります。
楽譜を公開します。
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