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「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(自作曲)のX投稿と楽譜

 今回は、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(自作曲)を自分で歌い、fm.standとXに投稿しました。

 テキストは、聖書新改訳第三版 伝道者の書3:11、3:1です。

 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
 天の下では、何事にも定まった時期があり、
 すべての営みには時がある。

聖書新改訳第三版 伝道者の書3:11,3:1

 参考までに、他の訳も掲載します。

(聖書新改訳2017)
 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
 すべてのことには定まった時期があり、
 天の下のすべての営みには時がある。

聖書新改訳2017 伝道者の書3:11,3:1

(口語訳)
 神のなされることは皆その時にかなって美しい。
 天(あめ)が下のすべての事には季節があり、
 すべてのわざには時がある。

口語訳聖書 伝道の書3:11,3:1

 (新共同訳)
 神はすべてを時宜にかなうように造り、
 (また、永遠を思う心を人に与えられる。)
 何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

 

聖書新共同訳 コヘレトの言葉3:11,3:1

(聖書協会共同訳)
 神はすべてを時に適って麗しく造り、(永遠を人の心に与えた。)
 天の下では、すべてに時機があり
 すべての出来事に時がある。

 

聖書協会共同訳 コヘレトの言葉3:11,3:1

(聖書バルバロ訳)
 神のなさることはすべて時に適っている。
 この世には、すべてに時があり、それぞれ時期がある。

聖書バルバロ訳 コヘレットの書3:11,3:1

(聖書フランシスコ会訳)
 神はすべてのものを、その時にかなったものとして美しく造られた。
 天の下のすべてのものには、その時期があり、
 すべての営みにはその時がある。

聖書フランシスコ会訳 コヘレト3:11,3:1

 ところで、書名が聖書の訳によって異なっていますね。
 「伝道者の書」、「伝道の書」、「コヘレトの言葉」、「コヘレットの書」、「コヘレト」・・・そもそも「コヘレト」とはどういう意味でしょうか?「コヘレト」つまり「伝道者」(今日的な意味での、大衆伝道を行うような人?)ということでしょうか?
 実際には、「集会で話す人」の方が、より原語に近いそうです。
 そのため、新共同訳以降やカトリック系の訳では、あえて訳さず、「コヘレト」、「コヘレット」としています。
 バルバロ訳にある「コヘレットの書解説」冒頭から引用します。

 旧約聖書の本は数多いが、特にこのコヘレットの書は、異彩を放っている。この作者は、みずから「コヘレット」と名乗っている。この名は、ヘブライ語の「カハル」という動詞から出ている。カハルとは「人を集める」の意味である。
  ギリシア語では、このコヘレットを「エックレジアステス」と訳している。このことばは「集会で話す人」の意味なので、日本語でも「伝道の書」といわれるようになったのだろう。しかし、ヘブライ語のコヘレットの意味からすれば、「伝道の書」というよりは、「司会の書」という方が近いように思われる。

聖書バルバロ訳 P.1086

 「コヘレトの言葉」は、旧約聖書でもかなり異質な書です。勧善懲悪的な内容が多い旧約聖書の中で、きわめてリアリズムに満ちた内容です。
 私にとっては、実は旧約聖書で初めて読んだのが、「コヘレトの言葉」でした。
 高校生の時、スタインベックの『怒りのぶどう』という小説を読みました。その中に出てくる、「ジム・ケイシー」という説教者が、会話の中でひんぱんに「コヘレトの言葉」から引用をします。それがなぜか、私に「旧約聖書をぜひ読んでみたい!」という気を起こさせた作品でした。
 「伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
 日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。

(伝道の書1:2~3口語訳)
 まるで「方丈記」の冒頭のような、東洋的無常観にあふれた智恵の言葉が、私を魅了しました。
(ちなみに、最初に買った聖書は、口語訳でした。
しかしあまりに訳文がつまらなく、出エジプト記あたりで挫折しました・・・
新共同訳と新改訳その他の訳は相当な回数通読を重ねていますが、
口語訳だけは、いまだに1回も通読していません。参照にとどめる程度です。)

この地上には空しいことが起こる。
善人でありながら
悪人の業の報いを受ける者があり
悪人でありながら
善人の業の報いを受ける者がある。
これまた空しいと、わたしは言う。

(コヘレトの言葉8:14新共同訳)
太陽の下に起こるすべてのことの中で最も悪いのは、
だれにでも同じひとつのことが臨むこと、
その上、生きている間、人の心は悪に満ち、
思いは狂っていて、その後は死ぬだけだということ。

(コヘレトの言葉9:3新共同訳)
 善人は祝福され、悪人は裁きを受ける、という旧約の宗教観に対して、
聖書自身が、アンチテーゼを主張しているのが興味深いですね。
 「コヘレト」のように、人生を斜めに見る存在を、正典に編入したのが、
ユダヤ人の卓見である、ともいえましょう。

 さて、ようやく自作曲について触れておきます。
 この曲には、特別な思いいれがあります。
ちょうど、ニ十数年前、父方の祖母が亡くなった時に、
心に浮かんできたものです。
 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
 (旧約聖書 伝道者の書3:11新改訳)
 神様に「なぜ?」と問いたい時というのがありますね。
しかし、「あえて」主を讃美するしかない時も多いのです。
この曲のトーンは、その「あえて讃美する」ものですが、
同時に、不思議な慰めもあります。

 楽譜を公開します。


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