自分の知識についての知識

わたしは、勉強することによって「知識」が欲しいのではない。

おそらく、現代において必要な「知識」は調べたら出てくるし、加えて、知識はつければつけるほど、どれだけ自分は知っているのかという点にフォーカスが当たるようになるからだ。

わたしは、「自分の知識」に関する知識が欲しい。

自分は何を知らなくて、何を知っていて、どんな知識を持つことにエネルギーが湧くのかを知りたい。

だからこそ、結果的には多くの知識が必要にはなるのだが、それは全部「自分が何を知らないか」を知るための構成要素になるからだ。

(たぶん、本当に人生を豊かにするために必要なのは「知識に関する知識」で、大学受験で必要なのは「知識」なのだと思う。)

ある程度のテーマを体系的に勉強すれば、自分が一生かかっても学びきれない量の知識がこの世界には存在するのだ、ということに嫌でもふと気づく。

自分が知っている地図を順番に色を塗りつぶしていっても、その地図はどんどんズームアウトして広がっていく。自分が塗った範囲が、どれだけ局所的なものなのかを思い知ることになる。

このペースで勉強していても、いや、たとえこのペースがどんなに上がったとしても、絶対に一生では知ることのできない学問領域がこの世にはたくさんあるということに気づくことは、正直嬉しいことではない。

でも、それを知ることで生まれる問いが、また新たな余白を生み出す。

自分らしさとは、「どんな問いを立てる人間なのか」という点に、結局のところ収斂されるのはないだろうか。

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