哲学と宗教の類似点、あるいは相違点

ゴールデンウィーク真っ只中ということで(もちろんこの時期レジャー業で働く人間に休暇はないのだけれど)、ちょっとした隙間時間を利用して本屋さんに立ち寄った。

最近は電子書籍ばかり読んでいたので、偶発的な出会いを求めて久しぶりに大型書店に足を運んでみたのだが、少し驚いたことがある。

それは、ここ数年のうちに、いや、厳密には遥か前の「ここ数十年のうちに」なのだろうが、明らかに「哲学」コーナーと「宗教」コーナーの境界線が曖昧になってきている。

なんなら、そのコーナーにいわゆる「スピリチュアル系」の本や、「人生の癒し」といったジャンルも堂々と紛れており、ついでに新興宗教や陰謀論としか思えないような似非科学書も混じっている。

一体これはどういうことなのかと、わたしは目を疑った。

わたしは、各本のジャンルに拘泥するつもりは毛頭ないのだが、あまりにも人文系の書籍の扱いが「ないまぜ」になってきているのではないだろうかと思わずにはいられない。

これは一括りに、書店員による選書能力の零落だと結論づけていいものだろうか。

ひとまず、哲学と宗教の類似点と相違点を考えてみることにした。

類似点

まずは、類似点というよりも共通点から考えてみたい。

わたしが思うに、哲学も宗教も「普遍的な真理を把握したい」という願望に駆り立てられた体系的な思想である、という点は共通しているはずだ。

加えて、どちらも個人レヴェルの思想に留まるのではなく、それを多くの人に分かる形で示そうという傾向が認められる点も似ている。

もちろん、仔細に見ればまだいくらでも枚挙できるが、共通点をざっくり言うとこれだけになるのかもしれない。

しかし、これがあまりにも学問として根幹の要素であるから、結局のところ「哲学にも宗教的な要素が多く含まれ」「宗教にも哲学的な要素が含まれ」ていると言うことができるだろう。

そして両者ともに、普遍的な真理を把握することによって、あわよくば魂の安らぎとでもいうべきか、精神の救済を求めていたりする。

相違点

次に相違点を考えたい。

これは、先ほど述べた「真理を把握したい」という言葉の内実を深く見ていくことで、より明らかになるのではないかと思う。

要するに、この文を哲学と宗教で厳密に分けると以下のようになるとわたしは思う。

哲学:普遍的な真理を「探究したい」(そして、問いたい)
宗教:普遍的な真理を「所有したい」(そして、信じたい)

つまり、これは学問側の特徴でもある一方、個人の態度とも言えるような区分なのである。

具体的にいうと、もし哲学的な思想を「所有」したいだけの人間であれば、結局はその知識を得る過程も宗教化していくだろうし、具体的な宗教を「探究」していくのであれば、これは非常に哲学的な態度だと思う。

おそらく、哲学が宗教的に扱われるのも、それを学んだ者が盲目的にその知識を所有することに躍起になったり、それを誇示することに留まるからである、と考えられる。

そして哲学の肩を持つと、やはり問いの可能性を無限に秘めているという点において、ロマンがある。

なぜなら現行の哲学的な思想が、本当に普遍的な真理として正しいのかを疑う姿勢は、常に自己点検と他己点検の目を免れない。

加えて哲学の場合、よりふさわしい思想が生まれればそれは新しい学派として成立する一方、宗教の場合は単に「異端」として排除されてしまうからである。

結局は、こういった「正しさが」エビデンスを持たずに数値で扱われないという点において、科学以外のジャンルはどれも「宗教的」だと思われているのかもしれないが、わたしから言わせれば「科学的」というだけで何事も信じられるその姿勢もまた、「宗教的」だと判断せざるを得ない。

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