オッサンを置いていく文学作品

純文学において、若い女性が主人公となる作品は多い。

これらは女性作家がデビューして最初の数作のうちにほぼ必ず書いている作品だと思うし、そこにはある程度の共通したテーマが流れているとわたしは思う。

要するに、女子同士の友人関係のもつれや月経などの身体的な重さ、母と子のしがらみや家族関係の問題を含む社会的役割の苦しさ。

最近現れた実力者でいうと宇佐見りんさんとか、有名どころは村田沙耶香さん、話題全盛期の綿矢りささんとか大御所の小川洋子さんとか。

このあたりの作品が、自分にはイマイチ理解しずらい。

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実際、何回か前の芥川賞で宇佐見りんさんの『推し燃ゆ』が受賞した時も、世間の意見は二つに割れていたと思う。

圧倒的な文体で共感した(それによって救われた)人と、言っていることはわかるけど特に刺さらなかった人。

彼女のエッセイなんかは読んだことがあるから筆力がハンパじゃないのはわかるのだけれど、これが刺さらないということは、推し文化に向き合う女性に対してあまりにも自分が疎いのだろうと思う。

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象徴的なのが直近の芥川賞で、『ブラックボックス』が受賞した回だ。

このとき女性作家の作品で、『school girl』という母と娘の関係に関する作品が候補に上がっていて、自分にはこちらの方がうまく仕上がっているのではないかと思った。

でも、選評によると『school girl』はオッサン三人が推したが、受賞には至らなかっという(島田雅彦さんによると)。

この三人は、長くから文学の世界にいる人たちだったので、それなりにこちらの作品も完成度は間違いないとおもうのだが、衝撃なことにその回の女性選考委員がだれも強く評価していなかった点だ。

それぐらい、母と娘の確執について書くのは難しいということなんだろうと思う。

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父と息子の衝突は、ポジションの違いや時代の違いにおける、広い意味での政治的イデオロギーの対立がそこに存在しているように思う。

一方で母と娘は必ずそうとも言えず、もちろん思想の違いはあるのだろうけれど、端から見るには、妙に一体的で粘着性があるのだ。

逆に言うと、男性作家によってよく見られるテーマ(性の衝動や政治的イデオロギーによって突き動かれる)の主人公を女性に投影すると、オリジナリティがあって面白いかもしれない。

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