金木犀

刹那的な言葉を*福祉と教育を学ぶ大学院生*心を整理するためのnoteです

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最近の記事

コミュニティを渡り歩く

コミュニティってなんだろな。 居場所ってなんだろな。 私は一定のコミュニティにとどまり続けることをしんどく感じるのかなと思う。学校は小中高と毎日通ったし、大学にも通ったわけであるから、適応する力が身に付いたとは思う。やりたいことをやるためには部活に所属するという手段が適切だったので参加した。でも「ひとりになりたい!!!!」という心の叫びが止まらなかった。バイトもいくつかやっていたが、そこがコミュニティ化していくことに耐えられなかった。バイト後にしゃべったり、休日に遊びに行っ

    • 私がこぼれ落ちていく果てに

      危ない、危ない 私を形作る要素たちが網目からこぼれていく 両手で器を作っても、器の縁から、指の間の隙間から こぼれていくものと残っているもの どれが重要で、どれが必要ないかの判断がつかない 今目の前で落ちていくのを見送ったものや、 ついさきほど繋ぎ止め損ねたものは、 社会的存在であり続けるために必要だったかもしれない そして今手元にあるものは、 私が持て余しているものだったりする ただ日常に身を任せているなかで 私は知らぬ間に形を失っていく 昨日も少し崩れ、今日も少し取り

      • 「嫌悪感」と「多様性尊重」の狭間で

        今回は、年上の異性の友人に関するジレンマのお話です。 私はジレンマに悩んでいたんだなぁ、と最近ようやく気づきました。 他者を大切にすることと私を大切にすることの両立は難しいですね。 1.友人について友人の名前をAさんとしましょう。 Aさんは私よりも4歳上で、4年前に出会いました。 Aさんは猪突猛進タイプで、独りよがりで、頑固な性格。人情に溢れていて、仕事熱心なところはとても素敵なところ。尊敬する友人の一人である。でも彼は、人情に溢れすぎていて、他人との適切な距離感が分から

        • 息をするようにエネルギーを消費する社会に対する無力感

          とても暑い。 今日の夕方、家に帰ってくると、室内の温度は37度を超えていた。 ちなみに昨日は38度。これまでの最高気温は40度。 最近は35度を下回る方が珍しい。 私はワンルームマンションの角部屋で一人暮らしをしている。 最近の帰宅後のルーティーンは、 扇風機の風力を最大にして、大きな窓2つを開けて、換気扇をつけて、 蹴とばせば穴が開きそうな玄関のドアに、靴を挟んで少し隙間を確保する。 リビングの電気はつけない代わりに、レースカーテンだけ閉める。 風が入ってきやすいようにね

        コミュニティを渡り歩く

          この頃、価値のない私

          最近の私は腑抜けている。気づけば7月も20日が過ぎようとしている。 今月、私は何をしていたか?何もしていない。締切があるものをただこなしただけ。ただただやるべきことを最低限やっただけ。 周りと比べる癖を早く治さないと。ご飯の食べ過ぎをやめないと。マンガを読みすぎるのをやめないと。時間を有効に使わないと。私も何か行動しないと。早く、早く、早く!!!! 何も、何も進んでいない。誰に対しても不誠実になっている。最悪。 実践的なことも全然できていない。 何も価値を生み出していない

          この頃、価値のない私

          つまらなくない人                                                                                                                                                                                                                     

          私は、つまらない人だ。 私は、私をつまらない人だと思ってきた。 私は、周囲の人も私のことをつまらないと思っていると思っていた。 私は、新たに出会う人にもつまらないと思われるだろうと思っている。 私にとっては、どんな他者の存在も面白いのに。 私は、本当は、つまらなくない人でいたかった。 なぜつまらないのかを分析して、その要素を軽減することに努めた。 「私がありのままでいること」=「つまらない人」の等式がみえてきた。 それに気づいたのは小学生の時だった。 まじめに、正義感をもっ

          つまらなくない人                                                                                                                                                                                                                     

          人の顔色をうかがうとはどういうことか

          「あ、今の発言、ずれていたんだな。」 あなたがこれを感じ取る頻度はどのくらいですか? あなたがこれを感じ取った時、次にどのような行動をとりますか? あなたは、これを感じ取ることにどれほどエネルギーを費やしていますか? あなたの言葉で、これを説明してみてください。 私も自分の言葉で表現してみようと思います。 (2024年6月中旬~7月上旬に執筆) 何のために顔色をうかがうのか人とのコミュニケーションとは、本当にエネルギーを使う行為だなと思う。 相手のことを思いやることは美

          人の顔色をうかがうとはどういうことか

          明日は、行きたくない

          明日は、行きたくない。 家にいたいわけではない。とにかく行きたくないんだ。 明日の朝、大熱が出ていたらいいのに。頭痛がひどければいいのに。 電車が止まってしまえばいいのに。 でもそれをどう伝える?私が背負っている責任はどうするの? 今日だって行きたくないって言えずに行って、疲労したのに。 今の状態3月中旬から先週まで、とにかくやることが多くて駆け抜けてきた。 ろくにリラックスもできやしない日々。常に戦闘態勢。 weekendなんて概念はなかった。院生はそれくらいして当然だ。

          明日は、行きたくない

          感情が死んでいく

          20240405 私を守るために 私の感情が失われていく感覚がある。 社会に存在しないといけない。 でも怖くて不安で面倒くさくて仕方がない。 スキルを磨いても、やる気で補っても、愛想を良くしても、ギャップが埋まらない。だからといって諦めるわけにもいかない。苦しくてつらい。 すべての行為がただただ面倒なことに思える。 生きていたくないのだけれど、生きることをやめるわけにはいかない。 だから私は、様々な感情を抱くことを禁止する癖がついている気がする。 何も感じなければ、苦しくも

          感情が死んでいく

          具体的な文章が書けなくてこわい、悔しい、情けない

          少し前に、文章を書くこと、言葉を話すことへの恐怖感について記事を書いた。恐怖感の原因についても分析してみた。 今回のテーマは「具体的な文章を書くことができない苦しさ」 これも私が文章に苦手意識をもった原因の一つなんだろうな。 大学院の指導教員に研究計画書などの書類を見せた時、言われるお決まりの話がある。 「やっぱり言葉が小難しくて抽象的なんだよね。もっと具体的に書かないと。読む人が情景をイメージできるような言葉、メッセージ性の強いワードとかね。」 「はい、わかりました。

          具体的な文章が書けなくてこわい、悔しい、情けない

          「ベクトルを外に向けないと。」そう言い聞かせていたけれど

          気づけば内省を始めている。 これは私の思考の癖だ。 私の長所と呼んでもいいのだが、毒となることも日常茶飯事。 だから、内省しすぎる自分を封じたい、隠しておきたいと思ってきた。 しかし、今日、少し考え方が変わった。 「孤独」に対するポジティブな議論を知ったことで、内省好きな自分への見方が変わったので、記録しておきたいなと思った。そういう話。 推敲をしていないので、読みにくいかも。 終わりなき自己との対話INFJの方はご承知の通り、過度な内省は、高すぎる理想と現実のギャップ

          「ベクトルを外に向けないと。」そう言い聞かせていたけれど

          弱い自分を選択してきたのは自分。

          メンタルが急降下する時があって。 それはじんわり始まって、3週間くらいは続く あーまたかーという感じで、少なくとも1か月は無駄になる たいていやらなきゃいけないことを抱えている時 心が弱っている時に 自分の嫌いなところやできないことばかりにフォーカスして、メンタルと突き落とし続けることを選択しているのは自分 できない、不安だ、動けないと弱い自分が自分を占領していくことを許しているのも自分 '立ち上がれない'という幻想にとらわれているのも自分 全部自分の責任だ なんてアホら

          弱い自分を選択してきたのは自分。

          社会に価値提供する方法を考えるにあたって

          去年12月頃の内省のテーマは「目的志向の生き方」 その下書きに加筆したくなった。 影響を与えたのは『やりたいこと大全』、精神科医のYouTube、『チーズはどこに消えた』、『アルケミスト』、『現代思想入門』。過去に読んだ『七つの習慣』『幸福論』なんかも参考になった。 結局、幸福感を得られる人生のロジックは同じ。 ある程度自分の価値観に沿った生活が実現できていれば幸せなんだろう。ウェルビーイングの枠組みとして、having loving beingというものがあるが、これは

          社会に価値提供する方法を考えるにあたって

          書くこと、語ることを好きになりたい話

          私が抱えてきた悩みの1つに「書くことや語ることへの苦手意識」がある。 社会科学系の大学院生であるにもかかわらず、である。 まぁ、自分で選んだ道ではあるのだが、この悩みによるストレスのせいで、私の院生生活の楽しさは半減しているといっても過言ではない。 その分、素敵な文章を書ける人への尊敬や憧れの念が強い。 「いやいや、お前は文章が書けるから卒論も修論も提出できたんやろが。」 そんなヤジが聞こえてきそうだが、私は私なりに苦しんできたのもまた、 事実なのである。 周囲からは「ち

          書くこと、語ることを好きになりたい話

          たぶん、道をひらく時が来ている。

          こんにちは。金木犀です。 この春は、人生の節目というものにあたる日々を過ごしています。 大学院の修士課程を卒業して、そのまま博士後期課程に進学することになりました。 覚悟やモチベーションが揺らいで、一歩踏み出したいのに足がすくむ。 今日のテーマは、そんな「もやもや」です。 学部時代の友人の多くはもうすぐ社会人2年目を終え、 修士課程をともに戦った同期は、就職して新しい一歩を踏み出します。 そのなかで、1人、春からドクターになる私。 それなりに考えて、20代を捧げるつもり

          たぶん、道をひらく時が来ている。

          「私」変化の中間報告

          私がnoteを書き始めるタイミングは2つある。 1つは、身体が割けてしまいそうなほどに内側から溢れてくる「何か」がある時。涙を流すだけじゃ足りない。内と外の矛盾が限界を迎えた時。 こういう時は、言葉を綴る手が止まることはない。ちぎれてしまった自己を紡ぎ直していくように、自ら消そうとしていた火を優しく包み込むように、必死に、「何か」を言葉の形にしていく。 記事を公開して、日々何度も読み返すことによって治療が進んでいく。 もう1つは、「私」の変化の手応えを感じられた時。 質の

          「私」変化の中間報告