自己紹介①
Twitterで仲良くさせてもらっている岩切さん、フォアグラさんの影響を受けて半生を振り返ります。
いじめっこ→いじめられっ子→卓球バカ→大学デビュー→会社経営→脛かじり→自律→結婚→離婚→再婚→FP-UNIV起業(今ここ)
1980年2月14日 山口県山口市に末っ子として産れる。
幼少期の記憶はあまりなく、わずかに残っていた写真により捏造された記憶の一部から復元します。
幼稚園
倫理観のないのないやんちゃもの。
遡ると、ここが後悔の始まりだった。
覚えているのはイメージは2つ。
•スカートめくりブーム。
•大型積木の部屋でのイジメ。
スカートめくりブーム
これは、時代ですね。TVの影響です。きっと。
大型積木の部屋でのイジメ
幼稚園のころのサイズ感なので、記憶が怪しいですが30cm四方の大きな積木を身の丈以上に積み重ねられる「積木の部屋」がありました。
髪の毛の色が少し茶色くなっていた子に対して、揶揄いながら、積木の山を投げつける。
そんなシーンが残っています。
とても酷い事をしていた。
小学校
低学年
幼稚園と比べ先生が厳しくなったせいか、幼稚園時代の記憶がなくなり孤独感を味わっていました。
「行ってきます」と言って庭に隠れていた事も。
半数以上は幼稚園からスライドで小学校に上がっていたので友達もいたはずなんだけど。
記憶は、おばあちゃん先生を先頭に4ー5人で列になってホウキをはく時間。電車ごっこのようで楽しかった。唯一の遊びの時間??
後は初恋!可愛い子がいた。
基本シャイなので、ほとんど話もしないまま。
学年が上がっていきます。
中学年
幼なじみとの間で、タコの口真似をした事がきっかけで、以降高校卒業まで「タコ」というあだ名を引き継いでいく事に。
漢字が覚えられずに居残り。
やっとで50個覚えたのが一番の記憶。
ビックリマンシールを盗み親に泣かれる。なお盗んだシールは雑魚と交換して返せないという情弱ぶり。ちなみに交換した相手にちくられて人間不信に。(自業自得)
親に泣かれたのは初めてで猛烈に反省。
その癖、約束を守ってもらえなかった相手の足にしがみつき給食時間を台無しに。
泣き虫でわがままで無茶苦茶でした。
ただこの頃からアイデアを考えるのが好きで、「モウセンゴケ自動水やり器」とか作っていた。元の水を空にして枯らしてしまったけれど😅
注)モウセンゴケ:食虫植物
高学年
どうも、特定のグループから攻撃を受けたり、物を隠されたり、ケンカを仕掛けられるようになってきた。
自分はケンカは強くないのに、負けず嫌いで戦っていた。つもりかもしれない。
だんだんと主犯格が分かってきたが何故私がターゲットになっていたのか卒業してもわからなかった。彼は空手を習っていたらしい。
卒業文集によると将来の夢は「普通のサラリーマン」
この夢は叶わなかった。
中学生
小学の途中から親とやっていた卓球が「メイン」となる中学生活。
そこに何故か、小学の時に嫌いだった彼が同じ部に。何故だかわからなかった。
彼は部活をサボることも多かった。
部活への所属は強制の中学校だったので、ラクそうだからきたのかな?と思っていました。
稲中流行ってたいたし。
私は、卓球部では部長になる予定が、先輩のクリーナーを無断使用した容疑がかかり、後輩が部長に。この件にも例の彼が絡んでいる。
なんだかんだで卓球に明け暮れる毎日でした。
が、ここで不思議な事が起こりました。
極力避けていた彼から卒業間近に年賀状が届いたのです。
私の字と変わらないぐらい汚い字で、
「たこシャンへ」と。
多分返事は書いたのだけれど。
とても複雑な気持ちでした。でも素直に嬉しかったのです。事あるごとに私を攻撃してきた彼が。
何故、ずっと近くにいたのか。
彼は私を嫌っていたのではないか?
結局まともに話もしないまま卒業となりました。
高校生
相変わらず卓球三昧の高校生活。
中学からの同級生はほとんどいなくなったので、タコのあだ名も残りわずか。
1年時にバンドに誘われて、ドラムの練習をするも挫折。ますます卓球一筋に。
ガールズパンク「少年ナイフ」と出会ったのはこの頃。
好きな子はいたけど言わずじまいで幕を閉じる。
学校の成績は中ぐらいで、大学でも卓球やりたいと思っていたけれど、志望校に受かる自信がなく。そんな時に新設校が指定校推薦枠にあったので挑戦してみることに。
「経営情報学部」
なんかカッコ良さそう!
書き忘れていたけれど、お年玉貯めてワープロ「書院」を購入。タイプの練習を始め、親の仕事の手伝って表計算を組んでいた。この頃の体験が今の仕事に影響与えているのは間違いない。
指定校推薦のために、小論文の書き方を初めて教わる。ここで将来の夢と初めてまともに向き合った。
「自分の好きな卓球を活かして経営してみたい。」
「コンビニ内に卓球台を置く構想」
を持って受験して無事合格。
単純に自分が一番行く場所を掛け合わせただけという発想だったが、私ではない方が実際にやられたようで驚いている。
https://rallys.online/life-tech/akiba-takkyu-style/
学費は他の学校より高かったのだけれど、好きなようにやりなさいって後押ししてもらえたらのも大きいかった。
自分が親になって、はじめて「正直キツかっただろうな」と思っています。
大学へ
大学からは福岡に。
はじめての一人暮らし生活が始まります。
ここからは、高校までの同級生は1人もいない。🐙のイメージもない。
イメチェンして優等生を演じよう。
卓球部もないから作ろう。
自分を作り直すチャンスだ。
一人暮らしの時に持って行ったのは、卓球用具と高校卒業までの写真一式。
今と同じように過去を振り返っていました。
入試の前にも何度も振り返っていた。
小学校の時普通のサラリーマンになりたいって書いていたけれど、恥ずかしくて本心書けなかっただけだから。本当は発明家になりたかったんだ。
自分のなにがいけなかったのか?
ここでふと、幼少期の映像が頭をよぎったのである。えっえっ!?
続く
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