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江戸時代の宝くじ「富突」とは?本日、9月2日は「宝くじの日」!

今から300年ほど前の江戸時代の頃、寺社が主催していたあるイベントが当時の江戸っ子たちを熱狂させたという。それが「富突」(とみつき)です。一獲千金の夢を見る多くの庶民が番号が記された富札をこぞって買い求めました。

同じ番号を記した木札が箱にまとめて入れられ、興行当日に錐(キリ)で箱の中を突く。見事に突かれた木札の番号が当たり~♪ 現在の貨幣価値で1000万円以上が手に入り、一気に江戸長者の仲間入りです。

そう、今でいう宝くじのルーツというわけです。1等賞は「一の富」といい、続いて二の富、三の富、その他に前後賞や組違い賞などもあったらしい。

もともとは護符(御守り)を授与するための抽選方法として、摂津国の瀧安寺(大阪)や山城国の鞍馬寺(京都)で行われていた宗教行事だったようです。

その催しが上方から全国に広がっていき、やがて護符だけでなく品物も加わるようになると・・・、金銭が抽選対象になるのも時間の問題でした。こうなるともはや宗教行事ではなく博打ですが、射幸心を煽られた江戸っ子たちの間で大流行します。

さて、流行に商売が絡むというのは、今も昔も変わりません。富札は、主催する寺社の境内だけで売られるのでなく、町人たちによる札屋が市中に続々と出現します。仲買として卸売りする仕組みをつくり、売れ行きを伸ばすための宣伝はもちろんのこと、枚数まとめ売りなどの工夫もされました。当然ですが、手数料を上乗せして売るので、販売促進に精が出るというものです。

ただ、富札は1枚が金二朱(約1万2000円)もしたので、当時の庶民が買えたのはせいぜい1枚・・・。そこで札屋は庶民が買いやすいように「割札」というものをあらたに作り出します。これは分割した価格の仮札を売っておいて、当選したら割合分を渡すというものです。

商魂アッパレですよねえ。^^; 1枚の富札を数人で共同購入できるならと、さらに需要は高まっていきます。また、これは儲かる!と札屋も増えていくことで、2~3日に一度はどこかで興行されるほどの熱狂ぶり。

しかし、当選番号を対象に「影富」という、私的な賭け事までが流行するようになります。今でいう闇カジノみたいなものでしょう。そのように博打化して市中の風紀が乱れることを幕府が放置するわけがなく富突の禁令が発せられます。

富札の収益は主催していた全国の寺社にとって、修復や再建費などの貴重な財源でした。収益を断ち切られた寺社は幕府に助成を求めますが、幕府もまた財源不足でそんな余裕はありません。そこで、幕府が認めた特定の寺社であれば、富札を許可するということに方針転換。

その頃には、寺社が興行元であっても販売するのは札屋という仕組みが確立していたので、幕府公認の富札を売りたい町人が殺到します。寺社もまた境内の販売だけでは事足らず、市中で大量に売りさばく札屋の存在は大歓迎の立場。

一方で、一部だけ良い思いをするのは許せないと他の寺社も黙っているわけがありません。幕府に強く助成を求め、同時に認可の申し出をします。幕府も次々と認可せざるを得なくなり、富札ブームが以前に増して再燃することに!

ところが、札屋が激増したことで飽和状態になり、富札が売れ残り赤字となるケースも出てきます。つまり、需要を上回る供給過多によって、寺社も札屋も共倒れ・・・。商売は需要と供給のバランスが重要です。私利私欲の行き過ぎが招いた悲劇ですね。

近代日本では、金銭を対象とする富札は賭博行為として取り締まられるようになりました。そして、戦後から現在に至るまでは、地方自治体の資金調達など公共目的として、宝くじが販売されるようになったとのことです。

PS
当選すればそれはそれで嬉しいことですが、宝くじは確率からして勝負できるギャンブルではありません。

では、なぜ藤ノ井先生はそんな大金を突っ込むのか!?その謎にテレビ取材のオファーががキター(゜∀゜)!!

▶ 人気芸人サンドウィッチマンも驚くその理由とは?

YouTube史上最高額!?1800万円(6万枚)分の宝くじ

PPS
毎年9月2日は「宝くじの日」(「92→くじ」)。知っていました?ハズレ券には敗者復活戦がある(°∀°)!年に一度、過去1年間のハズレ券から抽選で賞品が当たるんです。

ただし、困ったことに売り場窓口に持っていっても当選マシンで確認してはくれません。1800万円分の宝くじを購入したときには、そのおよそ6万枚のハズレ券を1枚1枚、手作業で見ていかなければならなかったのです。

そこでボランティアを集い、一斉調査を実施しました。

はたして敗者復活アタリ券は出たのか!?

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