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障害児の親として、乗り越えよう!

こんにちは、石川です。
うちの二番目の娘に「障害」(というか当時は病気だと思っていた)があると気付いたのが、生後6か月目のことだった。
明らかに「呼吸が止まっているのでは」という事が、毎日何回か起こっていたのだ。
当時のうちの家庭の状況は、数年に及ぶ不妊治療を経て、何とか第一子が誕生し、慣れない子育てを3年間ほど続けて、やっと「二人目」のことに頭がまわる頃だった。

だから、なんかわからんけど、子どもの様子がおかしいと気付いた時、なんとも言い難い不安な気持ちに襲われた。
とかく男親だけがあたふたするものだが、今回の件は夫婦でパニック状態であった。

いくつかの病院に行き、最終的に地元の大学病院にたどり着いたのだが、診断の結果は予想を遥かに超えていたのだ。

「てんかんですね」

て・ん・か・ん

大変なことになった、あーどうしよう、と落ち込んだ。なんでうちがこうなるんだ、とも思った。それよりも「この先、私たちはどんな人生を歩むのだろう」とも思った。

てんかんに関する情報がほぼ無かったので、地元で同じような境遇にある人のミーティングに参加した。
参加してさらに落ち込んだ。なにせ、うちよりも重度な状態の、もっと年齢が上の子どもさんがいる世帯の人がほとんどで、病院の事、学校の事など困りごとが結構あると話し合いがされていたからだ。

やはり「なんでうちが?」という思いは強くなっていった。

そうして落ち込んでいるとき、20年以上の友人とお酒を飲む機会があった。僕は自分の抱える「苦しさ」や「罪悪感」を話した。とくに障害児として今後育っていく子供に対しての罪悪感が芽生えていた。こんな結果になったのは、親である自分のせいなんだ、と。

その僕の話を聞いたのちに、友人はこう言った。

「石川よう、神様は乗り越えられない試練を与えんと思うぞ。お前の世帯だったらきっと乗り越えられる、と神様は考えていると思うよ」と。

そうか、そう考えるのか。そう考えたら、前向きに進んで行けるのか。

目からうろこが落ちた。そして友人に感謝した。

それに子どもは何があろうと、子どもの人生なんだ。

僕たちは、彼女の人生にどんな困難が待ち受けていようと、しっかりとサポートをする。これが親が果たさないといけない役割なんだ、と。

こう考えが及んだ時、結果的に、僕は「障害受容」をしたのだと思う。

この後は、同じような環境にいる世帯をサポートしたい、と考え、ファイナンシャルプランナーとしてできることをすることにした。また、より専門的な知識が欲しいと思い、精神保健福祉士の資格を取るために専門学校に入学し、取ることができた。

こうして、自分のライフワークを見つけてから10年以上が経った。世間にはまだまだ「障害受容」に抵抗感がある世帯も少なくない。

子どもに障害があるという事を親として諦めるためではなく、家族も本人も前を向いて進んでいけるために「障害受容」をしてほしい。

特に田舎には子どもの障がいをオープンにしない傾向がいまだにある。
しかしそれゆえに、子どもの未来を考える「材料」に近づけないかもしれないのだ。
親としてできることは多い。
その一つが「乗り越えて、未来を見る」ことだと思う昨今である。

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