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レベルアップしているのか?

 こんにちは、村瀬です😌

 寒くなりましたね。急ぎの案件で、急遽電車に乗って区役所に向かいます。令和の時代でも、紙媒体の申請書と委任状を持って、今日も歩きます。

 さて、池袋という街を歩きながら、ふと1人で考えます(結構、僕は1人でいろいろ考えながら歩くタイプです。普通に考えたらヤベーやつ)。僕が、開業した練馬区の当時の事務所を離れ、池袋という街に移転したのが2013年くらいだったと思います。

 当時のメンバーと「飲み」ながら意気投合し、池袋への移転を決めました。よく、「池袋にお客さんが多かったからですか?」と聞かれますが、実は全くそんなことはなく、池袋は、東京都、埼玉県、茨城県、神奈川県と、わりと広範囲で移動しやすいターミナルステーションというのもありましたし、「山手線上に事務所をおく」というのがやたらテンションあがったからです。

 僕は根っからの田舎者ですから、まさか自分が池袋に事務所を構えるとは思ってもみませんでした。今でこそ、某司法書士から、「村瀬は青葉区とかより池袋が似合う」という、褒め言葉なのかなんなのかわからないコメントを貰うようになりましたが、未だに僕は池袋に慣れません。

 さて、よりよい毎日にするための本日の考えゴトは、「レベルアップ」について。

 いくら池袋が、東京23区でもテナント相場が低い地域といわれても、池袋は池袋です。それなりの構えにしようと思えば、テナント料はあがります(自宅から離れれば、定期代も必要ですね)。つまり、支出が増えるからこそ、収入も増やさないといけない。収入を増やすには、己がレベルアップしつ続けなければいけない(少なくとも、当時はそう考えました)。

 レベルアップってなんだろうなと。2011年に開業して以来、自分たちはレベルアップしているのだろうかと。ちょっと考えて、まとめてみます。

 それでは、以下のタイトルでスタート。

【1】「レベル」の定義

 そもそも、レベルとは何か。

水準。質的あるいは数値的に全体としてどの程度の高さにあるかとみたときの、その高低の度合い。(デジタル大辞典引用)

 重要なのは、「全体としてどの程度の高さにあるか」という点。仕事も受験も、「他人は気にせず、自分の課題に集中しよう!」というのは対内的にはとても重要ですが、残念ながら、今の日本社会は競争社会です。開業すれば、なおさらですよね。

 そうすると、たとえば、外国人の在留資格の仕事をするとして、対内的にはすごく努力した(例 遅くまで事務所に残って作業した、何件もこなした)と思っていても、対外的にはそれが「普通」であり、むしろもっとやれよ!と言われてしまうことは少なくありません。

 「自分なりに凄く頑張った」と「対外的な評価」は全く違う。特に、営業のような売上に直面する分野で結果を残している人は、ここをシビアなくらい直視しているように思います。

 新人時代、凄いなと思った先輩に、「なんでそんなに仕事できるんですか?」と言ったときに、「私くらいで仕事できるとか思わない方がいいよ。所長はもっとヤバイから。」というセリフが印象的。

 「あの人はすごい、自分はダメ」みたいな卑屈した考え方じゃなくて、「あの人はすごい、こんなとき、あの人ならこうするはずだ!」みたいな思考で日々仕事に対峙しているのだから、何も考えずボケッと目の前の仕事だけをこなしている僕とは、どんどんどんどん差が開いていくわけですね。それもたった数ヶ月で。

 「レベル感」を考えるときは、自分の枠内で考えるのではなく(そもそも自分の低い次元で物事判断しても低い環境にしかならない)、メンターをみつけて、常にメンターならどうするか?を考えるだけでも、日々の過ごし方が変わるかもしれません。

【2】「思考」のレベル

 ビジネスでも受験でも、

量×質×時流、あと時の運

 これは重要ですね。これ、メチャクチャ難しい式です。だって、自分の立ち位置を、正確に分析できていないと方法間違えるから。

 たとえば、今、プログラミングの分野は、引く手あまたといいます。息子が、「行政書士試験とプログラミング、どちらか迷う」といえば、「プログラミングだろ」と、もしかしたら言うかもしれません(笑)。

 息子がプログラミングを始めるにあたって、「少しでも効率的に、無駄のない勉強をした方がいいよね?」と言ったら、どう答えるか?実は、この問いかけは、息子の現在地を正確に知らなければ答えられない質問です。

 つまり、息子が全くの初心者(できない)で、パソコンもろくに打てないレベルなのか。それとも、ある程度、前提項目はこなせる(ある程度できる)上で、次の一手を考えているのか。

 勉強何年目だからとか、形式的な指標は役にたちません(ここ重要)。「できるのか、できないのか」。数ヶ月やればかなりできるようになることもある一方で、何年やってもできないもんはできん!ということを、少なくとも僕は、仕事でも試験でも味わっていますから、「何年やってるから、できるだろう」みたいな根拠なき判定は、未来を狂わせます。我が子に伝えられるのは、そのくらいとも言えます。

 もし、息子が初心者ならば、

とりあえず圧倒的に量をこなせ!まずは量をこなせ!

と言うんじゃないかなと。「質×量」ではなく、「量×質」と書いたのは、量なき知見に質は見いだせないと学んだし実感があるからです。「スラムダンク」の桜木花道も、合宿で実践するよりジャンプシュート2万本を安西先生は課しました。あれと同じですね。

 翻って、僕の入管業務のレベルも、新人時代と今なら、全然違いますからね。今なら、当時お世話になった行政書士法人で、もう少し戦力になれるはずです。

 でも、当時は圧倒的にこなした案件数が少なかった(能力低くて対応できなかった)から、質云々のレベルに至れなかった。800~1,000件くらいこなしてやっとみえてくることって、やはりあります。それくらいの気持ちで継続しないと、そこに至る前に、「ビザって、簡単ですよ」とか言っちゃうのは失笑ですし、逆にいえば、そこまで続ける強い意志がないと。

 ・・・たしか、2~3件対応して、「入管、だいたいわかりました」みたいに言ってた当時の私。所長や先輩は、心底ムカついてたと思う。笑

 もちろん、どんなに量と質をこなそうにも、時流に乗っていなければ、やはり結果にはつながらない。当時、司法書士事務所の補助者として勤務していたときに、「オンライン申請」とか「決裁は司法書士だけ(※中には、補助者が決裁してしまう事務所があったそうです)」みたいな流れの真っ只中でした。

 行政書士試験を受ける前でしたから、「司法書士試験には破れたけれど、司法書士補助者として頑張ろう」と思っていたものの、自分の能力に加えて、補助者にできる範囲が狭まっていく実感がありましたので、行政書士試験(つまり、資格者)を受験した、という経緯もあります。

 あとは、時の運。これは、残念ながら絶対あるし、自分でコントロールできないことでもありますから、あまり深く考えないようにしています。少なくとも、メチャクチャ量をこなして、ゆくゆく質にこだわるようになればなるほど、運も引き寄せられるかもしれません。

 このnoteを閉じたら、自分のタスクを紙に書き出し、それぞれの現在地を把握し、今の課題は量なのか質なのか、はたまた時流にあっているのかなどを考えてみようと思います。

【3】「技術」のレベル

 開業した頃は、仕事あるかな?みたいな漠然とした不安がありましたが、今はどうかといえば、やはり仕事あるかな、はもちろんありますが(笑)、「インプット」に時間を割かなきゃな、というものがあります。

 つまり、月に30件も40件も抱えると、当時の僕なら超喜んでいるわけです、待ってましたと言わんばかりに。

 じゃあ今は?というと。

 やはり、「待ってました!」と喜んでいるわけです。しかし、同時に、不安もうまれている今日この頃。なぜなら、案件に集中すればするほど、目の前の対応をガシガシやっていく一方で、新しい情報に触れる時間が減っていくからです。

 「じゃあ、人を雇ってやらせればいいじゃない」とよく周囲からアドバイスを受けるのですが、おっしゃるとおり、それは僕の課題なのかもしれません。

 でも、「やっぱり自分でやりたい」と思う自分がいるわけです。この発想がある限り、いわゆる本来的な「組織」的事務所には至らず、せいぜい4~6人くらいの規模に止まるであろうことは自明の理。

 かつては、同期や友人がどんどん組織拡大していく姿をみて、「やっぱり組織拡大を目指したほうがいいのかなぁ・・」という葛藤やプレッシャーみたいなものを、勝手に考えていました。結果、十分な理念や体制を整えられず、連携不足からささいなミスが連発され(僕らにとってささいでも、依頼者にとっては重大!)、ストレスも増え、優秀な若手を守る力もありませんでした。

 でも、最近は開きなおりました。「組織をつくることが目的」なのか「いい仕事を提供することが目的」なのか。周りと比較して、あれこれ考えても無駄。俄然、後者でした。いい仕事をするのは、立地でも、組織規模でもない、最も重要な「誰のために動くのか」を、うっかり忘れるところでした。

 先日、共に開業10年目を迎える事務所のパートナーと話しました。「これからは、こんな風にしていこう。やり方を変えていくのも、10年目の節目だな。」と。目の前には、一緒に活動するメンバーがいる。共同事務所ではありますが、「情報共有」できる今の環境こそ、1人で開業したあの日にはなかったこと。もちろん、意図的にではなく、同じような考えの方とご縁があれば、事務所にはあと何席か机を置けます。これは、ご縁ですね。

 改めて、初心忘るべからず。

【4】「習慣」のレベル

 頭で考えて、よしやろう!と思いながらやるのは、まだ本当の意味で、習慣になっていないでしょうね。たとえば、ありきたりな例えですが、「歯を磨く」ことに精神統一して、気合いを入れないとできないレベルでは、まだ「習慣化」してはいません(息子たちは、「歯を磨きなさい!」と言ってからタイムラグがあるので、まだ習慣化していません)。

 もちろん、「よしやるぞ!」とメリハリつけることの方が多いわけですが、せめて、「己のレベルアップのための時間」については、「習慣化」を目指さないといけないと思ってやっています。

◆入管法の本を読むこと。
◆noteで考えゴトを書くこと。
◆YouTubeを収録編集すること。
◆試験勉強をすること。
◆業務上のメールをすぐ返信すること。

 一例ですが、誰に強制されたわけでもない、自分自身で始めたこと(続けようが辞めようが誰も関心がない)にもかかわらず、気合い入れないとできないようでは、まだまだハマっているとは言い難い。まぁ、仕事のように責任を伴うものは、意識してしっかりやるべきではありますが。

 その意味では、僕は結構ムラがあるのが反省点。行動力と言ってもいいかもしれません。むしろ、こういうことを、毎日当たり前に意識せずとも勝手に身体が動く(やらないと気持ち悪い)くらいのレベルにならなければ、やはり次のレベルには上がらないと深く反省しています。

 習慣化、言うは易く行うは難し。

【5】レベルのモノサシ

 と、まぁ、ここまでツラツラと書いては来ましたが。結論、こういうのをあまり深く考えすぎると、ストレスになっちゃうよと。どんなにクチでカッコいいこと、エラソーなこと言ってても、「健康」を害してたんじゃ、意味ないですからね。

 20代のときは、日々時間無視で働いてましたけど、やはりオーバーワークになってしまっていました。今は30代後半を迎え、ちょっとコントロールするようになりました。気が乗らなければ、休むし、勉強しない、です。

 ドラゴンクエストのように、レベルアップするごとに効果音が入ってくれたらいいんですが、実際はそうはいきません。自分からだけだと、それこそ自己満足に終わり、正確なモノサシがわかりません。

 だから、あくまでモノサシは、他者。

◆仕事なら、相談数、案件数、売上といった明確な数字
◆試験なら、正答率、得点といった明確な数字
◆周りのメンバーの意見(厳しいことをしっかり言いあえるのが信頼。気持ちいいだけの意見は傷の舐めあい)

 そこから逃げずに、受け止め、習慣化できるまで、嵐のようにやりまくる。その道中はものすごい辛いし、でもそこから逃げてたら、そこで終わっちゃう。依頼者やメンバーに、感謝されたら、全部の疲れは吹き飛びますからね。

 さて、本日のnoteも、そろそろお開きです😌


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