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世界禁煙デー

5月31日は世界禁煙デーなんですってね。

実はもう5〜6回は失敗してます。禁煙。
自分では決して意志薄弱だとは思っとらんのですが、これだけはなぜかダメだったんです。学生の頃、盛んにやってたパチンコ、麻雀、競馬は、もう一切やってないし、酒もやめようと思えばいつでもやめられます。女性? もはやそんな元気はどっかにいっちゃったし(お下品ですみません)。でも煙草だけは…。


よく、化かされそうなときは煙草を飲め、などといいます。

わたしの父方の祖父は、生前マタギをやっていまして。若い頃は鉄砲撃ち、後年はククリ罠でテンやタヌキを捕って、最晩年にいたっては毛皮の鞣しや剥製づくりを生業としていました。
で、猟師を引退してからも、時折、山菜採りや岩魚釣りで山へ入るわけですが、マタギにとってどうやら煙草は禁忌らしいですね。
山火事の原因になるからかしら。それとも、もっとスピリチュアルな意味があるのかも。朝、ご飯に味噌汁をかけてはいけない(これは山に雨を降らすから、とのちに判明)と口酸っぱくいわれたのと同じように、まだ子どもだったわたしに対しても「タバコはまいね(ダメだ)」と、説いてました。「まだボクは吸えないよ」と何度もいってるのに。

一方、同じ祖父でも母方の祖父は、やっぱり山をフィールドにしていて。農業や畜産をしながら副業で山師(サギ師のほうではなく伐採・植林関連のほうネ)もやっていたんです。こちらは、山で道に迷ったときは、狐狸に騙されたことをまずは疑い、どうにも困り果てた時は彼らが嫌う「煙草を吹かせ」というとりました。「まだボクは吸えないよ」と何度もいってるのに。

こっちのほうが先に挙げた「化かされそうなときは煙草を飲め」につながっているんでしょうね。
尤も、相手が魑魅魍魎の類いでなく人間だったとしても同じ気がします。仮に腹に一物抱えて、なんぞよからぬことを企んでる奴が近づいてきたとしても、煙草を一服して、冷静に相対すれば、ウソをウソと見抜けるかもしれません。


さらに話は変わりますが、沖縄のユタ(霊能者)も煙草を好んで吸うそうですね。嗜みというよりは、邪を退けるため、魔を除けるため。アメリカ先住民族の部族たちが儀式の際に喫煙を行うのと似ています。

どっちかっていうと、わたしも、このシャーマニズム的考え方や、先ほどの母方の祖父にいわれた「困った時は立ち止まって煙草を飲め」のほうに、なんとなく波長が合うというか,軍配をあげてしまいたくなるんです。煙草の煙を深く吸い込むと、なんだか昂る精神が落ち着いてゆき、いいアイデアや閃きのようなものが降りてくる気がして。長年手放せずにいたのです。

しかしながら、とあるヒーラーさんにお聞きしたところ、煙草はやっぱり良くないそうです。ネイティブ・アメリカンが聖なる植物と尊んでいるモノとはまったくの別物、添加物だらけの現代の煙草は体のエネルギーの流れを阻害し、バランスを乱してしまうと、けちょんけちょん。煙草の風味を出すためにあれこれ化学物質が使われている電子タバコはもっとよくないっていわれましたんで、「じゃあ、添加物が少なそうなピースの両切りだったらいい?」と尋ねたら、「ピースだって添加物入っとるわい」「ニコチンとタールもよくない」「しのごの云わずにやめなされ」とお叱りを受けました。 わ か り ま し た よ。

というわけで、7度目の禁煙を開始します!

前回は小賢しく、ニコチンパッチでうまく凌ごうとして失敗したんでね。今回はノーガードでまいります。
べつに長生きしたかぁありませんが、思考を明晰に保ちたいのと、感覚を鈍らせたくないので。まぁやってみます。やってみせますよ。

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