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ピーターサイト

このよろず帖を、別段パワーストーンの話で埋めてゆくつもりはありません。
でも、先日ラピスラズリとの出会いや思い出を書いていて、急にもう一つの石についても触れたくなりました。

石の名はピーターサイト。別名「テンペストストーン」と呼称され、わりと近年になってから発見されたんだそうです。その模様はまるで渦を巻く嵐のようで、非常に荒々しいパワーが秘められているのだとか。たとえ嵐の中に放り込まれたような状況にあっても、常に心の迷いを鎮め、向上心を煽り、前進する力を与えてくれるとされています。

他方、タイガーアイという石はご存じでしょうか。鉱物が幾層にも織り重なって、まるで虎の目のように輝くパワーストーンです。金運によいともいわれますね。あのタイガーアイが地殻変動によって細かく砕かれ、擦り潰され、石英によって再び固められたのがピーターサイトなのだそうです。ちなみにピーターサイトの和名は角閃石入り石英。一般的にはナミビア産のブルーカラーのものが珍重され、近年では中国産のイエローやブラウン、レッド系も出回っています。

わたしが惹かれて購入したのは、濃いブルーベースの中に、黄や茶の鉱物がうねるように纏わりつく、油絵のような丸玉のブレスレットでした。信じてもらえないかもしれませんが、パワーストーンって、その人に合う合わないが確実にあって。酷い時はよく低気圧がやってきた時のような頭痛がしたり、吐き気がしたり、いわゆる「石酔い」という症状が出るんですね。
で、その石酔いは、必ずしもダメというわけではなくて、好転反応といって持ち主に馴染もうとしている経過段階、過渡期というわけ。と、ここまで書くと「コイツ相当やられてんな」と笑われてしまいそうですが、まぁいいや(笑)。わたしが手に入れたピーターサイトのブレスレットは、ほとんどこの好転反応がなく、昔っからの中学の連れのようなフィット感でびっくりさせられました。ここ数ヶ月はこのピーターが、「今日やれることは、今日のうちにやっておきなよ」と、無精なわたしの背中を押してくれています。

実は昨年、郷里の母が「どうしても東京に行きたい」と言い出して……。上京して長らくこちらに住んでいるわたしに連絡を寄越したのです。
父は猛反対。歳をとって歩くのさえ覚束なく、やや認知症も患いつつあった母を独りでは行かせられない。かといって自分は付き添いたくない。今さら東京には出たくない。かつて若い頃、意気揚々と東京へ出て、そこでさまざまな挫折に遭い、嫌々ながら郷里へと戻ったと聞いています。そんな父にしてみれば、彼の地はあまりいい思い出のない忌地のような場所だったと思うんです。

結局、わたしが一旦実家へ帰り、責任を持って同伴するからと、頑なに拒んでいた父をなんとか説得。母とともに新幹線で東京駅へと向かいました。その翌日、母方の叔母のうちへ遊びに出かけたのですが、これがよくなかった……。泊まっていきたいという母のわがままに、叔母も久しぶりの姉妹水要らずの再会だったためでしょう。一緒になって甥っ子のわたしに懇願するのです。その日は母を預けて自宅へ帰ることにしました。

ところが翌朝、電話のベルで目覚めた時に嫌な予感がしたんですよね。案の定、母は慣れない叔母宅で転倒し、そのまま動けず、具合が悪そうにうずくまってしまっているとのこと。すぐに駆けつけ、救急車を呼び、結局は緊急手術。お医者様曰く、硬膜下出血で再起は難しい、手は尽くしてみるがどうなるかはわからない、そのまま息を引き取ってもおかしくないから覚悟しておくように、という診断でした。

幸い母は奇跡的に回復して、MRI検査を何度か繰り返す毎に、頭の中に澱んでいた血液の影が消えてなくなるほどに治癒しました。しかし、高齢者が長く入院すると一気に気力体力を奪われてしまうという話は本当だったんですね。リハビリを繰り返してもなかなか改善されず、今も車椅子から離れられない生活。父には、無理やり引き剥がすように連れていってしまったことを心から詫びましたが、肝心の母は認知症がさらに進んでしまったようで、別人のように変わってしまいました。

なんでもかんでもスピリチュアルな解釈をしてしまうのはよくないのかもしれません。が、ちょうどこの頃わたしの左手首にあったのは先日のラピスラズリ。思いがけないトラブルには慣れっ子でしたが、さすがに愕然としました。これほどまでの激しい試練を、天は我にあたえたもうのか、と。

ただね。悪いことばかりではなかったのです。

母の上京がきっかけとなって、疎遠だった叔母たちと連絡を取り合えるようになり、父とも先々のことや母の介護の件で会話を重ねる場面が増えました。今までは何か意見すると、すぐに怒り出して手を付けられなかった父が、息子の言葉にも耳を傾けてくれるようになったんです。大袈裟に聞こえるかもしれないですが、中学から高校時代、東京に進学し就職してからも、ほぼほぼ会話を交わすことのなかった父とわたし。その歪な関係性が一転して、この一年くらいで一生分話をしたんじゃないかっていうくらい、日常の出来事から深い話まで、何度も何度も対面や電話で相談したり報告し合うようになりました。お互いに抱えていた遠慮や誤解もどんどん解けていき、関わるのが苦手だった父がわりと近い存在になっていました。

それを石のおかげ、石の巡り合わせというには安直すぎるかもしれません。でも、こうした壁を目の前に立ちはだからせて「乗り越えて見せよ」というのはまさにラピスラズリの真骨頂。「それでも前へ、前へ」はピーターサイトのそれなのです。
ラピスは常人なら避けて通りたくなるよな茨の道をドS気質たっぷりのしたり顔で提示し、ピーターは真っ直ぐな瞳で頑張ろうぜと励ましてくれるイメージ。考えてみれば、ちょうどいいコンビネーションなんです。踊らされているこっちは、ゆったり立ち止まってる時間がなくて慌ただしいのが玉に瑕なんですけれども。

現在、母は、わたしの自宅近くの養護施設でお世話になっています。たまに父がやってきては面会に、わたし自身はカミさんといっしょに3日と置かず会いにいっています。意識や記憶が不明瞭で会話が成り立たなかったり、ムチャばかりいって困らせられる時は悲しくなりますが、調子がよくて昔話に花が咲いたり、ありがとうといわれた時は、涙がこぼれるほどの幸せを噛みしめています。

確かに短期間でいろんなことが起こって、嫌が応にも人としての柔軟性や決断力を迫られる場面がありました。これを成長と捉えていいのか常に自問自答していますが、なんにもなく、のほほんと生きていたら気づかなかったこと、出会わなかったことが、やっぱり幾つもあったと思います。


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