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スピード

編集というよりは、今回はライターとして。

同業のお仲間さんに話を聞くと、発注元のご担当者さんから記事を1本書くお仕事のオファーがあったとして、お引き受けして、お金の相談をして、段取り組んで、取材を終えてから「原稿を書き上げるまで」の「純粋な時間」は、どなたもだいたい「1週間から10日は欲しい」と仰います。

わたしもそうですね。最低で1週間はいただくようにしています。1週間あれば必ず土日も確保できるからです。

あ、もちろんボリュームがどれくらいかにもよりますよ?
社内回覧用の膨大な量の報告書作成や、一冊まるっと抱えるムックとかじゃなくて、です。ここでいう記事1本とは、せいぜい3000〜4000字から長くても8000字。

わたしがいつも執筆をご相談させていただく複数のライターさんは、いずれも筆がめっぽう速い方ばかりでして。いつも〆切に余裕を持って送ってくださるんで、内容チェックや裏取り、とりまとめに悪戦苦闘するこちらは大変助かっております。
でも、自慢じゃないけどわたしも相当速い方だと思います。例えばインタビューなら、テープ起しののちに要点をザックリとまとめて1日(実質数時間)、一気に書き上げて1日、念のため一度寝かせて推敲し、冗長な部分を削り、足りてない要素を書き加え、バランスをとるための1日、の計3日でフィニッシュといった感じでしょうか。
小品のコラムやエッセイなら、あらかじめ構想さえまとまっていれば小一時間程度で書き上げます。深夜のうちに海外チームから送られてきた写真素材と英語の原稿を、翌朝からザッと翻訳して意訳して、10p展開程度の日本語の読み物にローカライズして、正午には入稿したことがあります。急ぎのお仕事の時はブルドーザーのように働きます。

でも、仕事というものは、ゆったり1つの仕事に集中できるもんじゃありません。異なる案件が複数またがり、並行しながら進んでいくものです。
日々のメール連絡にレスして、急ぎの要件に先に手を付けたり、少し前に脱稿したページの初校があがってきてその著者校に時間を割いたり、クライアントからの新たなリクエストに応えて加筆や訂正を行ったり、その合間に作業を一時中断して打ち合わせに出かけたり、別の取材に出かけたり。運悪く物事が重なり、その上で、今、施設に入所している母が転んで怪我をこさえたとか、血圧が安定しないので「息子さん悪いけど病院に付き添って」といったトラブルが発生すると、なかなか肝心の作業に100%ドップリと浸れる時間は作れなくなります。そのため、保険として「1週間から10日」をいただくことにしています。たぶん外部ライターの皆さんもそんな感じです。

作家さんにも、筆を進めるスピードが尋常じゃない人がいると聞きます。
多産で知られた立原正秋などもそのようでしたし、現代作家だと西尾維新さんとかがそうみたいですね。一日に2万字も書き、それ以上は書き過ぎちゃうからあえてやらないなんてモンスターです。常人には真似できません。

ただ、なんかのインタビューだか対談だかで読みましたが、氏は物語のプロットやアイデアをメモしたり、何かに書き溜めておくようなことは一切しないと語っていらっしゃいました。忘れちゃうようなアイデアは、忘れていいんだそうです。

とても印象に残っているですが、執筆は短距離走のようなものだとも仰っていました。メモをしたら、そのアウトプットで満足されちゃうんだそうですよ。これってすんごくわかるんです。その場で叫んだ即興のラップと、前もってフレーズを考えておいたラップの違いのようかと想像します。そりゃあ、その場で口をついで出た新鮮な言葉の方が、多少は不恰好かもしれないけれど何倍も力強いでしょう。

その代わり、ストーリーの場面やシチュエーションに相応しい文章があふれてくるよう、脳の思考回路を常に瑞々しくクリアにされているんだと推察します。できるだけマルチタスクの沼にハマらないように努め、目の前の作品づくりに全集中できるような環境維持に心血を注いでいるんだと思うんです。ぐっすり眠って、気持ちよく起きて、決まった時間に決まったことをこなして平常心をキープし、執筆時間や空間に余計なモノやコトを持ち込まない努力をされているんだと。わたしも、誰からも邪魔されない日曜の朝などには、この「頭がスッキリして瑞々しい状態」を味方につけて、ガンガン書き進めることがあります。

でも、ここだけの話ですが、若い頃のわたしはネタ帳を持っていました。わたしは西尾さんのような天才ではないので、何らかの努力と、自分は努力をしたんだという裏付けが必要だったんです。本を読んで「このフレーズは涙が出るほどカッコいい」とか、「このシーンをわざわざ冒頭の書き出しに持ってきて、そのあとで細部を語っていく展開は神だな」とか、「この締め方は美しい」とか、「ここでこの言葉を選び取るセンスって、なんかすんげ〜」とか。気になったものは、忘れないように手書きでノートにしたため覚えておいて、いつでも記憶の向こうからサッと取り出せるように、頭の中の引き出しに収める訓練をしていました。
あ、もちろん、そのまんま丸パクなんてしませんよ。あの小説では、こんな感じの展開の時に、こんなフレーズを持ってきていたが、じゃあわたしはさらに捻って、こういう考え方で結んでみようとかね。

それ以前は、思考の連携がうまくいかない、ピピっと求める表現が出てこない時、ひたすらパソコンの前に座って集中力を研ぎ澄ましながら、考えてもみなかった展開の妙案が降りてくるのを待ったものです。言葉を紡ぐ行為って、まるで言葉の神様が天からやってきてメッセージを授けてくれるかのように思っていたので。若いですね(笑)。

でも、ある時から、この「神恃み」はやめました。前述の地道な訓練の連続が功を奏してか、わざわざネタ帳を開かなくても、自分なりに次の言葉や展開が出てくるようになったんです。頭の中が波紋ひとつない湖面のように澄みわたり、書きたいテーマについてあれこれ思考した時、それにこだまするように言葉が湧いてくるようになったら、もうこっちのもん。ちょうどゾーンに入った感覚で筆が進むようになりました。

作業も夜型から朝型になりましたよ。夜に書いた文章は、なんだかとかく夜の匂いがまとわりついているものですが(他のライターさんの原稿をチェックしてると「あ、これって徹夜で書いたな」とすぐにわかります)、朝の方が論理的に思考できるのかニュートラルに筆が進みます。睡眠によってあれこれリセットされてて、とりわけ頭の中が1日の中で最もスッキリしている時間帯ですもん。夜にありがちな無駄な高揚感とか熱量みたいなものが邪魔をしない、抑制の効いた文章が書けるんだと思います。

だから、その前提として必須になる、集中力を高める準備と、集中できる環境づくりの方にこそ意を注ぐようになりました。起きたら歯を磨き、熱いシャワーを浴び、コーヒー豆を挽いて、湯を沸かし、ドリップして、仕事部屋のカーテンを開け、軽く机上を掃除します。いざ仕事に取りかかってからカミさんの声で興を削がれてしまわぬよう、家の中のやるべきことは全部済ましてから机に向かいます。これを日々のルーティンにしています。

スピードの遅速は、ひとえに思考のやわらかさ、確かさ、反応速度に依るものだと思っています。悩み事を抱えていたり、何か別のことに忙殺されたりしたら、頭の中は瑞々しい状態に保てません。気の利いたアイデアなんぞ一切ひねり出せず、どっかで読んだようなつまらない文章しか思い浮かばず、パタッと手が止まって焦りだけがつのります。

日々のブログを書いたり、何か書き物を趣味にされている方は、それぞれご自身の流儀や作法をお持ちでしょうけれど、名作と呼ばれる小説や随筆をもう一度読み返して、大好きな文章を拾い集める訓練を試してみてははいかがでしょうか。ほんとに遊び感覚でもいいので。
きっと、その人ご自身のカラーや価値観が表出したステキな言葉たちが並んで、一冊のネタ帳ができあがると思うんです。そしてそれは、その人なりの言葉が湧いてくる泉となって、遅速のみならず文章の巧拙にも大きく影響していくんじゃないかとも思います。


ちなみにですが、この約3400字程度の駄文も、昨夜カミさんが晩ごはんを作っているのを待ってた1時間弱くらいの間でガーッと書き上げ、今日の仕事が一段落してから30分くらいで見直してフィニッシュです。誤字脱字があったらごめんなさい。



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