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将来の夢は西の魔女 森野狐

 雨の日になると、家中の窓を開けた。ぼつぼつと窓を叩く雨粒が本当に雨なのか確かめるためだ。屋根を打つ音、外壁を伝う音、コンクリートを叩く音、車のボンネットに落ちる音。それが時々雨音に聞こえないと思うことがあった。こんなに重たく、不思議な音がしているものだから。

「もしかしたら、落ちているのは蛙かもしれない」

 雨になるとワクワクして窓を開けてみる。家には多分20個以上窓があった。大きな一軒家の窓を一つ一つ開けるのは、なかなか骨の折れる仕事だ。それでも、律儀に雨のたび、窓を開けた。テレビを見る父を跨ぎ、ゲームをする姉をよそに、料理中の母の側、ただ窓を開き雨粒を眺め、落胆して閉じる。家の中の窓のどれか一つが、自分の理想としている世界につながっている、とすっかり信じ込んでいたのだ。そんなことを信じていたのは、ぜんぶ母のせいだ。

「時々違う世界の雨もくるよ」

 そんなことを母が言ったものだから。
 世界がまだ箱庭のように小さい頃、私に世の中の情報を教えてくれたのは、紛れもなく母だった。母は台湾の少数民族の一人で、非常におかしな人だった。後から知ったが、母は統合失調症を患っていた。それも相まってか母から教わる世界というのは現実味のない大胆な彩りをしていた。

「龍さん、挨拶した?」
「あ、ごめん。ただいま、龍さん」

 いつもありがとう、そう言いながら玄関の龍の置物に挨拶する。我が家では家に帰る時、「ただいま」と2回言う必要がある。1回目は家族に、2回目は『龍さん』に。龍さんと呼ばれている置物は胴体が細長く蛇のようで、猛禽類によく似た鉤爪のある右前足に水晶を握っている代物だ。風に揺蕩う長い髭が波打って宙に浮いている。その置物は我が家の守り神だった。

「この龍、家族守る。霊、龍さんのおかげ家の中入ってこない。怖いもの外逃す。家守る。大切な神様」

拙い母の日本語は私をワクワクさせた。余白の豊富な物語のように、虫食いだらけの宝の地図のように、母の言葉はいろんな想像の余地を残して私に伝わる。母との会話の際は言葉と意味を繋ぎ合わせ、なんとか理解しようと努めた。

「じゃあ毎日家の周りを龍が飛んでいるの?」
「そう」
「お母さんはそれが見えているの?」

 母は微笑み、そして頷いた。母は同じように幽霊も見えたし、精霊も見える。そのため、我が家のトイレは電気を消すことが禁止されていた。ごく稀に、迷い込んだ霊がトイレに籠ることがあり、夜中に母がトイレで出くわすと非常に怖いらしい。龍が守ってくれているとはいえ、そういうことは稀に起こるようで、少しでも恐怖心を軽減させるためトイレの電気はつけっぱなしにされた。害のない霊は風来坊で、家にやってきては去っていく。私がそれらの存在を知ることができるのは母が急な叫び声をあげたり、独り言のように誰かと喋っていたりするからだ。ある時、そっと母に聞いてみたことがある。

「おばけは本当にいるの?」
「いるよ、優しいおばけ、こいつ。悪いおばけちがう」

 私の手をとって母は宙を撫でるように手を動かす。何も感じない、ヒヤリともしない。けれども確かにそこに何かはいる、と思えた。私の頭と同じぐらいの位置で、母さんの手と私の手が空気を撫でる。何度も。

「名前はなんていう人?」
「聞かない、成仏できなくなる」

 成仏。そうか、今ここにいるものは、おばけなのだ。亡くなった魂。死者。そう思い直すと急に怖くなって、私は母の手をきゅっと握りしめた。

「こわいか?」
「こわくないよ」
「つよいこ、いいこ」

 宙を撫でていた時と同じように、母が私の頭を撫でてくれた。そこでやっと怖さも、得体の知れない感情も消し飛んだ。母が「つよいこ、いいこ」という時、私は本当に強くていい子になれた気がする。何かのおまじないのように、本当にその言葉の通りになるのだ。

 ある冬の日にインフルエンザにかかった。
 高熱が出て意識が朦朧としていた。熱は全く下がらず40度近くまで上がっていて、私は関節の節々が痛かった。そんな時、母は薬を用意したり、熱冷ましシートを額に張ったりしなかった。母はいつものように真っ赤なお札に水だけで、染料も墨もつけず、ただ水だけで何かの文字や記号を書きつけていく。似たようなお札を10枚ほど量産すると私の額に一つ置き、残りは私を囲むように配置した。 
 その日、私は41度の熱を出していた。まだ症状が軽い頃、姉が悪戯っぽく「人間の脳みそって40度以上の熱に晒されると固まるんやって」と脅されていた。脇で図った温度は41度。私はすっかり怯えていた。自分の脳みそが熱した卵のように白く固まるところを想像していた。それでも、熱い、苦しいというのも辛くて私はただ黙って横になり、家族に全てを任せていた。弱音も吐かない私に母はいつもの言葉を放った。

「つよいこ、いいこ」

 涙も目の淵で止まったような気がする。母の言葉は生きた言葉でそれは私を簡単に覆す。きっと魔法の言葉だ。本当に効き目があり、その通りになる。
 母はきっと魔女なのだ。この日確信した。私のお母さんは絶対に、絶対に、魔女なんだ、と。

「今朝は41度あったんですよね?ええ、すごいですよ。もう37度ですもの。何か薬でも飲みました?」
「薬ない、なにもない。勝手下がった」

 小児科が開院してすぐに行くと医師が驚きに声を上げる。インフルエンザで薬もなしにすぐに熱が下がるのは珍しい、とひとしきり不思議がった。その後「運が良かったね」と微笑まれ、美味しいキャンディーをもらった。どうして本当のことを話さなかったのだろう?と不思議に思って母を見ると、母はウインクしてみせた。お札と母のおまじない、そのおかげであることはまごうことなき事実なのだ。私の母は、東の魔女だったのだ。
 言葉に力が宿り、見えざるものを見て、科学では説明のつかない色んなことができた。ツボを押すと吐き気や体調不良を治せた。病気の時に何をどう煎じて飲めば治るのか知っていた。霊を寄せ付けず、熱を下げるお札の書き方も知っていた。そして、たくさんの草花の名前を知っていて、なおかつそれらを育てるのがすこぶる上手だった。
 母が魔女であったように、私も魔女になりたい。
 小さい頃は母に弟子入りしたつもりで、母に付き纏っては「あれを教えて」「これを教えて」と喧しい子どもだった。母は「誰にも言っちゃダメよ」と前置きをして、いつも丁寧に教えてくれた。あの虫食いの日本語で、一生懸命。

 そんな母が蜃気楼のように突然消え、数年経った。
 母の世界が異様なことは、外の世界との繋がりができてからすぐわかった。母は一体なんだったのだろう。母の教えは、一体なんだったんだろう。その疑問を心に残しながら、私は大学でいろんな授業を受けた。その中で出会った「人類学」という学問を通し、私は母のことをやっと「理解」した。
 母の異様な行為のほとんどが少数民族の土着の信仰によるものなのだと授業を通して知った。数々のおまじないやら、お札やらは、偶像崇拝の一種で、簡単にいえばただの民間療法だった。根拠も何もない、ただの信仰。本当にそういうものがあるわけではなく、それはただの文化的な行為、儀式なのだった。あの世界は、母の色眼鏡の世界だったのだ。
 私は何も知らなかった。何もわかっていなかった。世界は、私が思ったような場所ではない。自分と世界に大きな隔たりがあるように感じた。
 魔女は世の中にはいない。それは物語の存在なのである。

 けれども、私はきっとそういうことを知ったのが、あんまにも遅かった。

 ベッドルームに、雨音が響いている。私はその音を聞きながら、やっぱり落ちているのは雨粒ではなくて、飴や蛙かもしれないと思う。あるいは、龍が横切っているのかも。夜中にホラーゲームをやると、母はよく「龍が暴れてる!霊いっぱい!集まってる!」と怒鳴ってくるのだ。そういう日は決まって嵐だった。
 今住んでいる家は実家よりも窓が少ないから、簡単にすべての窓が開けられる。今ではもう片端から窓を開いて、自分の理想の世界につながっているたった一つの窓を見つけようなんて馬鹿げたことはしない。
 それでも、ふと思う。どこかの窓が、母の見ていたあの世界につながっていたらいいのに。
 母の世界には精霊がいた。その精霊は挫けそうな子供のそばに寄り添って、素敵なものを見せてくれるという。だから、足元には十分気をつけて帰るように、といつも言われていた。おかげで私は、誰よりも四葉と野花を見つけることができた。あの世界には龍がいた。龍はみんなをいつも見守っていて、いいことも悪いことも全部見ている、という。だから、怖がらずいいことをしていいらしい、だって龍が見ているから。龍が見ていると思ったから、私は大好きな友達に恥ずかしがらずに感謝の手紙を送れたし、人が見ていない時もいい人であろうと思えた。いじめられても怖くなかった。龍が全部見ていると信じていたから。
 一つ一つの話はもしかしたら少数民族の文化や信仰ではなく、傷つきやすい繊細な子供だった私を励ますための空言だったのかもしれない。私は母が与えてくれた生ぬるい小さな世界で育ったものだから、いまだに世の中の荒々しさに気圧されている。
 一体どうやって龍や精霊がいない世界で生きていけばいいのだろう。私にはわからない。わからないから、それらがいない世界を思い描くことが難しい。

 そういうわけで、将来の夢や、未来の展望、キャリアプランなんてことを聞かれると、混乱してしまう。一般的な世の中には龍も、精霊も、霊も、お札も出てこないからだ。私が慣れ親しんだ世界とは遠く離れている。育ってこなかった夢を、人間は想像できない。
 だから、これは一風変わった夢かもしれない。私の夢はこういうものだ。

 西の魔女になること。

 森に住み、ひっそりと自給自足をして暮らす。そして雨になると家中の窓を開いて、落ちているのが本当に雨粒なのか確かめる。毎日好きなだけ本を読み、少しでも世界のことを知ろう。草花を育てるのは苦手なので、せめて植物のことは真剣に学びたい。筆跡が子どもっぽいので、代わりに絵を描くことにしよう。気が向けば物語を書いてみたっていい。
 そうやって誰にも干渉されない小さな自分の箱庭で過ごす。番人はドラゴンの置物にしよう。人間は怖いから、近辺の村と街に「あの森には魔女が住んでいる」と噂を流し、一切人を寄り付けないようにするのだ。置物のドラゴンだけではきっと全員を追い返すのは難しいかも知れないけれど…。
 もしも、噂をもろともせず、肝試しに子供がやって来た時は、ただ話がしたい。作った物語を語ってもいい。それは人を見守る優しいドラゴンの話や、いい子にしか見えないピクシーの話だったりするかもしれない。そして最後には、世界は怖いところじゃないよ、と言ってまた広い世界に送り出そう。
 そしたら、お札の代わりに手紙をたくさん書こう。東にはもう立派な魔女がいる。だから私は西の方で一風変わった魔女になるつもりだ。

 それが夢で、今はその夢に前よりもちょっとだけ近い場所にいる。

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