#3 DJ Fox-shingo誕生

さて、前回触れました『K‐POP』との出会いなんですが、当時アングラで関東ではオールでのクラブイベントがチョコチョコ開催されておりまして、飲み友達の間から『関西でもK-POPイベントをやりたいなぁ』って話が盛り上がってたんです。そんな中、一番ネックになるのが『DJ』の確保。もちろん当時はまだまだネット環境もそれほど整備されておらず、今みたいに『PC‐DJ』さんも量産されていない時代でした。その頃のDJスタイルはレコードとCDを使ってプレイするのが当たり前でした。そもそのもK-POPの音源自体、当時は関東では新大久保界隈、関西ではミナミか桃谷辺りのコリアタウンで韓国でバカ売れしていたアーティストのCDや、コンピレーションCDの『海賊版』くらいしか売られてない時代でした。

話は戻って『DJさん、どうしよう?関東から呼ぶしかないかな?』なんて話をしてた時に、『俺やりましょうか?』なんて気軽に手を挙げてしまったのが私のDJ人生の始まりでした!汗。 それからは、当時バカ高かった機材をローンで買い、音源集めも開始。どのくらいだったかな?月に4~5万くらいは韓国CDを購入するのに費やしてたかな? 今ではあまり考えられないかも知れませんが、向こうの音楽シーンの流行り廃りを確認するツールってのが、韓国のCD販売サイトのチャートだったり、上で触れました『海賊盤CD』を取り扱ってる店に、日本でいう『Music‐Station』やら『Count Down TV』みたいな歌番組を勝手にダビングして販売してるところもありまして(笑)それを当時の中心メンバーが店をあげてイベント開催に協力?尽力?して頂ける飲み屋に持ってきてくれてたんですね。それをダビングしてもらったりしながら流行を追ったりしてましたね。あとは、月に何度か韓国旅行に行くメンバーに『現地でCDを大量に購入』してきてもらったり(1度に日本に持って入れる数は知りませんが、当時は20~30枚くらい頼んでました。。。汗)イベント開催するまでには2~300枚くらい(それ以上かも)は集めてたと思います。 ただ、音源集めるだけではDJのスキルアップにはなりませんで、次に挑戦したのはお世話になるクラブに『水曜の20時~24時まで練習させて欲しい、お客も呼んで売り上げ協力します!』ってのを頼んでみましたら快諾して頂き、それからは『布教活動』と称し、その時間はK-POPの音楽と映像が流れる店内で韓国アイドル談義や踊りの練習なんかが出来る場としてジワジワ認知される程になってきました。思うに、毎週水曜、平日の開店早々から10~20人くらいの人間が雪崩込み、ワイワイ騒ぎながら健全に遊んでるってのは、お店には迷惑なのかな?って思ってたんですが、逆に感謝されだすという訳の分からないスパイラルに突入していき、挙句の果てには仲間内に回していたビデオを布教活動の一環で発売(当時は汎用されてたメディアはVHSくらいまでだったかな? のちにCD-RやDVD-Rが家庭用に手軽に利用できる時代になるのですが…)すると用意していたのはほとんどなくなるという大反響!(ビデオを用意してくれていたメンバーは編集⇒ダビング作業を、サラリーマン生活をしながら、夜を徹してやってくれてたにも関わらず、確保できる数は時間的に限られてました…そんな時代だったんですよ、、、) そんな地道?な布教活動を半年くらい続けたのかな、確か。。。 そして第1回めの伝説のK-POPイベントを開催するに至りました。

会場を開けてみるまでは、お客さん何人きてくれるだろう?ってメンバー皆不安だったんですが、蓋を開けたら日本全国からK-POPファンが集結し、集客も売り上げも大成功したイベントに。。。涙。 そのイベントがキッカケで全国にK-POPつながりの友達も増え、第二の音楽人生の素晴らしいスタートが切れましたw

ほんと、まだまだつながってる友達も多く、DJをやる決意を持った事は人生の転機になったと思います。


次は… K‐POP DJからCLUB DJ へ…ってお話でもしましょうかね?

次回に続く!(ちびまるこ風w)



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