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#4 CLUB DJ への転身

前回からの続きもあるんですが、K-POPS DJもだいぶコマシなプレイができるようになってきて、実は…東京、名古屋、大阪の三大都市ツアーも成功したこともあって、順風満帆に思えてきた頃、当時のイベントメンバーの中で不和が起きてきまして…最初は色恋沙汰やらなんやらがあったとは思うのですが、小さなサークルの中でグループを作って、だんだんと雰囲気がまずくなってきてたんですね。。。最終的にはイベント開催するも自分がはみごにされちゃって(DJは関東から呼んだみたい)  そこまでされたら『もう良いかな?一区切りしよっかな?』って思ってた頃に、別の友達から大量のVocal Houseの『Mp3』をCDで渡されて。『シンゴ、DJできるんでしょ?ならHouseのイベントもやってみない?』って軽く背中押されたんです。イベントに遊びに行くのも当時は毎週踊り倒してた自分としては、別世界からの光が見えた気がして。。。 

もちろんその頃には自宅にDJ PLAYは勿論、録音環境まで揃えてたので、最初は曲を覚える事から始めて、当時は『MD』だったかな?でつたないながらも曲を繋げて60分くらいに収まるような『Fox Mix』を仲良くしてもらってたカフェに持ち込むようになって。。。その辺りから、お店に来店されていた他のイベント関係者の気にとまるようになったとかで、月に1~2回、定期的にイベントに出させてもらえるようになっていきました。

それが2004年くらい。。。

それからというもの、定期的なイベントに参加しながら、心斎橋、梅田でレギュラーのイベントを持つようになり(急展開みたいに書いてますが、なんだかんだ足掛け5年くらいはかかったんじゃないかな?)CLUB DJとして突っ走ってたら、最盛期は週末は大阪のどこかでプレイ、月に1度のイベントでは、観客動員1,000人を超えるメガパーティにも参加してるDJにいつの間にかなっちゃってました。2005年~2008年くらいが自分の中でのピークでしたね。。。実際のところ、現場の第一線で頑張れるのって35歳くらいまでなのかな?って思ってたんです。さすがに昼の仕事もしながら、朝までのオールイベントでDJってのも体力的にキツかったのを覚えています。2010年くらいかな?レギュラーイベントから手を引いて、現場の第一線から退きました。

っとまぁ、CLUB DJ『Fox-shingo』の誕生から一気にここまで書いちゃいましたけど、ほんと濃密でスピード感のある日々を過ごさせてもらいました。

それからというもの、こんな自分の名前とプレイを覚えてくれる関係者の方や、音楽友達からの声がかかるイベントだけ、こっそりとプレイする隠居DJになっていくわけ訳ですが、音楽と一生関わりあっていきたいという夢は、この時も持っていたワケで。。。現に44歳になった今も、声がかかれば音を紡ぎに関西各地に飛んで行く日々は続いております♬

そんな中で出会う、『演劇』と『DJ』の融合が、コツコツと足音を立て始めていた事を、まだまだ実感していなかった自分がいました。

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