見出し画像

湯布院の金賞コロッケの話


私が初めて湯布院の金賞コロッケを食べたのは、もう何年も前だろう。

私は大分市に住んでいて、温泉街湯布院までは車で40分。温泉が好きなので湯布院は大好きで、同じくらい湯布院のお土産屋さんで一番賑わっている通りが好きだ。

金賞コロッケは気がつくとその通りに登場していた。訪れる時間帯にもよるが、いつも人気でだいたい小さな行列ができている。人気に対して小さな行列ですんでいるのは他でもない、合理的な売り方だ。

つい最近行った時も、金賞コロッケの店は小さな行列をなしていた。店はテイクアウトのみなのでとても簡単な店構え、隣の空き地に簡単なプラスチックのテーブルと椅子が置かれている。そこはコロッケを食べる人で常に埋まっている。

「金賞コロッケ3つですね。はーい!ありがとうございま〜す!」と元気な売り子さんの声が、通りすがりの人にも聞こえてくる。

小さな店の中では、コロッケ製作所としてせっせとコロッケを作り続けている人が2、3人。作るそばからどんどん売れるのだから、そりゃあ作りがいがあるだろう。

ショーケースにはたくさんの種類のコロッケが並んでいる。その全てが、冷めてしまわないようにヒーターで温められており、ほんのりときつね色に色づいている。コロッケそれぞれが「サクサク」「じゅわじゅわ」と音を立てているような気がしてくるほど、『私たちはほんとうに出来立て』と訴えていることが伝わってくる。


私は金賞コロッケのファンになってもうだいぶ年月が経っている。金賞コロッケに並んでいる他のコロッケを、色々と経験済みだ。

チーズコロッケ。メンチカツ。かぼちゃコロッケ。肉じゃがコロッケ。グラタンコロッケ。カレーコロッケ。


あなたがもし金賞コロッケに来たら、「並んでいる間に何を食べるか決めよう」とのん気に考えて、案外順番が来ても決められなくて、いざ順番が来ても「えーっと」と口ごもってしまうだろう。

それくらいショーケースの中のコロッケはどれも、それぞれに美味しそうに見えるのだ。誰だって迷ってしまう。

けれど私は知っている。好きだと思う色々なコロッケを試してみたけれど、結局は『金賞コロッケ』が一番美味しいのだということを。

定番の、金賞コロッケの『金賞コロッケ』。それはまさに彼ら金賞コロッケの自信作で、特に何かを告げる必要はなく、宣伝する必要もなく、ただただとにかく売れるコロッケなのだ。

他のコロッケはただのおまけ、引き立て役にすぎない。全てのコロッケを食べてもまだなおお腹に余裕があるのだと言うなら話は別だが、たいていの場合、コロッケを一つか二つ食べればお腹いっぱいになってしまう。だから選別には慎重になる。

私は金賞コロッケの近くまで歩いて来て、「やはり」と小さくため息をついた。行列は小さな店の前を経て道路にまでのびている。

せっかく来たのだからもちろん並ぶつもりだ。並ぼうと近づいていくと、その列のほとんどの人は韓国人か中国人なのだと気がついた。

湯布院は中国や韓国の観光客に大人気だ。いつも大型バスが湯布院の駐車場にたくさん停まっているし、公衆トイレには専属のスタッフが常駐しトイレットペーパーを流すよう注意喚起している。

彼らが団体で湯布院を訪れ「これが有名な金賞コロッケか。絶対に並んででも食べようね」と言いながら、全員で並んでいるわけだ。

私はふと、外国語が聞こえてきたのでその声のする方を見やった。スタッフのお姉さんは日本人でありながら、軽快に韓国語でコロッケを売り、そして中国語でもコロッケを売っていた。

『コロッケを売る』ということに関して、必要最低限で最も合理的で、それでいて(おそらく)完璧なセリフでコロッケを売りさばいていた。そのスピード、小気味良さ、コロッケに関する質問を受けた時の迅速な答え方(お客の質問が分からない時には独自の分かりやすい英語や日本語を交えて対応をしていた)、すべてが見惚れるほどの完璧なセールスだった。隣の男性スタッフも同じだった。

私はモロッコに旅行した友人の話を突如思い出していた。

「モロッコのセールスはすごいよ。たくさん旅行をして、断るのも慣れてると思ってたけど、モロッコでは、日本語で流暢にセールスしてくるの。ちょっと古いけど、日本で流行ったギャグとかも知っていてさ...」

聞くところによると、セールスの一生懸命さが尋常ではなく、それに笑顔で感じもよく、「まあいいか、どうせお土産は買うし」ということで友人はほだされてスリッパか何かを買ったということだった。

確かに、『一生懸命さ』と言うなら、それを垣間見た時に私の心は動く。『頑張ってセールスしている姿』に賞賛を贈る意味で、何かを買うということもある。

ふと気がつくと、私の前のお客の中国人は、「えーっと、これとこれと...」みたいな感じでコロッケの種類に迷いながらしどろもどろ。

日本人のスタッフは「これとこれですね。はい、1200円で〜す!」とどんどん進めていく。私は中国人観光客の「もうちょっと迷いたかったのに」という表情を見逃さなかった。

人それぞれ性格は違うと言っても、国民性というものはある程度理にかなっていると私は思っている。

いやはや金賞コロッケのスタッフさん達、迷える子羊の中国人観光客にも毅然とした態度でプロフェッショナルなセールス。むしろゴリ押しするのは中国人の専売特許だと思っていたけれど、ここ湯布院では違うのだ。

「好きですよ。コロッケも、そんなあなた達のセールススタイルも」私はそんなことを考えながらニヤリとする。

そんなこんなをしている間に、お店が迅速に売りさばくおかげで行列は徐々に短くなっていく。キッチンにはコロッケを次から次へと揚げているスタッフがいる。コロッケは作っては売れる、作ってはまた売れる。

そして私の順番が近づいてくる。

私は6歳の娘と一緒に行列に並んでいた。娘が「どのコロッケにしようかなあ〜。どれにする?」と私に聞いてきたので私は「金賞コロッケにするよ。」と自信満々に答えた。

「チーズコロッケとかも美味しそうだけどね、ほんとうは金賞コロッケが一番美味しいの。どうしてだか分かる?一番売れるのが金賞コロッケだからだよ。どんどん作っているからいつも出来立て。どんどん売れるから、もっと美味しくしよう、ってどんどん美味しくなる。だから一番美味しいの。」と私は説明した。

「それに前にチーズコロッケを食べてみたけど、やっぱり金賞コロッケにしとけばよかったって思ったんだよねえ。やっぱり金賞コロッケがいいの。」と私は誰にともなくつぶやいた。

その時私は視線を感じて、ハッと後ろを振り向いた。私たち親子の後ろに、若いカップルがいて、私の話を聞いて急に話すのをやめ、じっと私たちを見ていたのだ。

しまった。色々なコロッケを試したい若い衆に水を差してしまった!

「やっぱり金賞コロッケに...」という声が背後から聞こえ私は、

「それはあなたの自由だから、どうか好きなコロッケを選んで」と言いたい衝動に駆られた。けれど私は考え直した。

「一番美味しいのは金賞コロッケなんだ。それはあくまで私の意見なのだから、言ったって良いではないか。」その意見を小耳に挟んでもなお、チーズコロッケを頼みたいと思えばそうするだろうし、頼まないならそれで良いのだ。

長年金賞コロッケを食べ続けた私には、自負がある。美味しいのは金賞コロッケ一択。確かに遠回りはした。他のコロッケを食べたことは良い経験ではあったが、私の一番ではない。それは明白なのだ。リサーチと研究と実践に基づいた...

私の番になった。

「金賞コロッケ8個」
「はい、金賞コロッケ8個ですね、ありがとうございま〜す!袋いりますか?」
「すぐ食べるのでいらないです」
「はい、ありがとうございま〜す!」


スムーズ極まりないオーダーと支払いを終えて、私の手元にはテカテカした紙に包まれた、ほかほかでカリカリの金賞コロッケ。

コロッケとしては少し薄い感じのフォルム、太陽のごとく熱々で、サクサクの食感。
甘味はまるで肉じゃがを長時間煮込んだような、深みのある味わい。とろりとしたじゃがいもとひき肉、ピリリときいたブラックペッパー。それでいてあくまで「僕はおやつである」というのを主張してくるような、軽い口当たり、味わい。何個でも食べれそうだ。

私は必ず2個は食べる。調子が良ければ3個。

金賞コロッケを手にした後は、いつも同じだ。コロッケを食べながら、お土産屋さんを巡る。コロッケはどうせすぐに食べ終わるけれど、食べ終わった後の私はエネルギーに満ち溢れている。

アツアツのコロッケを食べた後の満腹感、満足感。金賞コロッケのためだけではないとはいえ、わざわざ車で40分かけてここまで来たという、達成感。

「私は今朝、金賞コロッケを食べようと思って湯布院に来た。そして、無事食べることができた。」

私は突発的願望が自分のプランによって完成した時、この上なき幸福感を感じるのだ。

売れるコロッケを見ていてためになることは他にもある。

金賞コロッケのスタッフが美しくも軽やかに、コロッケを売りさばく姿。一生懸命に仕事をする人の姿はそれだけでも素敵だが、モノが右から左へと、どんどん売れるのを見ているのはシンプルに楽しい。

私を爽快な気分にさせ、コロッケを食べながら「これだよこれ」という理由なき確信に満ちた気持ちにさせ、結局のところ「今日は良い日だったなあ」という結論に持っていってくれる。

「ただのコロッケで今日が良い日になるなんて」と信じられないかもしれない。

けれど湯布院の金賞コロッケは、なんと言っても今まで何度も私を励ましてくれた存在だ。悩みがある日も、嬉しい日も、疲れている日も、
「そうだ、金賞コロッケを食べに湯布院に行こう」と思い立って。

コロッケ自体をサポートする人々も、なかなかの働き者で気持ちが良い。コロッケが飛ぶように売れていく様子をなすすべもなく見守らなければ、お目当てのコロッケが買えないと言うのもまた良い。

逆に私がコロッケにしてあげられることなんて、あるのだろうか。
その美味しさ、ピュアでシンプルな魅力を、こうして少し語るぐらいだ。

ありがとう、金賞コロッケ。これからも凛とした働き者の姿を見せて、私の勇気の源になってくれたら本当にうれしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?