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ノマドランドみた

先日見たノマドランドの記憶をたどる。

この映画に興味を持ったのは、かつて「アドレスホッパー」と呼ばれる、ノマド的ライフスタイルをしていたから。

この映画はある1人の女性がぼろい車と共に移動型生活をする、そんな映画。

あらすじを公式HPより拝借

企業の破たんと共に、長年住み慣れたネバタ州の住居も失ったファーンは、キャンピングカーに亡き夫との思い出を詰め込んで、〈現代のノマド=遊牧民〉として、季節労働の現場を渡り歩く。その日、その日を懸命に乗り越えながら、往く先々で出会うノマドたちとの心の交流と共に、誇りを持った彼女の自由な旅は続いていく──。
引用元:https://searchlightpictures.jp/movie/nomadland/special.html

作中に熾烈なアクションや壮大なゴールはなく、ひとりの人間の生き様を切り取ったドキュメンタリーに近い印象を受けた。

自分に刻んできたものを記す。

人々が出会い、別れ、また再開することが印象に残った。

そこで交わす言葉が、あるときは次の目的地を創り、誰かの人生を変えるきっかけになったり、またある時は傷になったりする。

主人公は帰る場所を喪失していた。

「“家“なんてただの言葉でしかない。それは、自分の中にあるものなんだ」

序盤のシーンで、女性が腕に彫ったタトゥーが物語のテーマかな。

「自分の心があるところがふるさと」と受け取った。

放浪気味のおじいさんは孫が生まれたことをきっかけに家族の元へ帰る。

若者は旅を続ける。

腕を骨折していた女性は自分がここで死んでもいいと思えた、壮大な景色の中に身を投じていく。

主人公に動画を送ってきてくれて、「帰れたのね」と頬を緩めた。

妹や友人に定住の誘いを受けるも、プライドか、はたまたしっくりこなかったのだろう、また旅を続けていった。

最後に一度、かつて自分が住んでいながら閉鎖された街へ帰ってくる。

そして最終的に再びぼろい車と共に旅を始める。

自分は埼玉の都市部に生まれたが、地理的アイデンティティを持たないと自覚する。故郷を逸してしているのである。

アドレスホッピングをしたとき、ここにならまた帰ってきたいと言えるような場所をいくつか見つけた。

人とのつながりや風土を通じ、新しい心の故郷が育まれていく。

ここが自分の境遇と重なる。

自由とは鎖の繋がれていない犬。

餌はもらえず彷徨い、孤独もあるかもしれないが、際限なく広がる世界へ突き進むことができる。

自分の幸せは何なのか、改めて突きつけられる映画でした。

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