SocialCapitalistという概念があっていいと思うよ

猫も杓子もコミュニティだ!と言われる時代、自らの色眼鏡を持って世の中に相対していく必要があると思ったコラム。


ベンチャーキャピタルが経済活動におけるものだとしたら、こちらは社会関係資本=ソーシャルキャピタルを生み出し、共有し、増大させるような存在がいっぱい増えるといい。

これは金がなくてもいいとかいう意味じゃない。経済活動と社会性の帳尻は何かしらであっているべき。

ちょっと世の中を善くするような取り組みがあれば、連鎖が循環・伝播していくんじゃないか。

たとえば地域の清掃活動をしてくれた人たちとか、ちょっとおまけしてくれたり切り捨てたりとか。
そういうのもあるし、意思のあるお金の使い方をした時、馴染みのお店からものを買った、馴染みの人から買ってもらったとか、プレゼントしたとか。
昔知人が友産友消という言葉を言ってたっけか。

その行為をしたことで、使ったエネルギーやお金が純粋な消費・獲得による移動で終わらず、一部が社会関係資本になり蓄積していくような感じがいいんだ。

そういうメガネをかけて世の中の環流を観れるだろうか。消費者的人格に支配されちゃいないか。前後左右、その先、過去未来、目を凝らしていけるだろうか。

そんな循環や、「目の持ち主」をさらに増やしていくような意識変容、行動変容を生み出せるようなコミュニティマネジャーが一流なんじゃないかな、と思う。


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