#1 ときをこえ そらをこえ
キラキラと明るい、ベビーピンクの視界。不思議な形の木が並んでいて、その木が根をおろしている地面も、枝を伸ばす空も、遠目に見える湖も何もかもがピンク色をしている。そんな世界を見ている時――私はまた同じ夢を見ているんだな、って気付く。
小さな頃から何度も見ている夢。
いつからだったか、夢の中で夢だってわかるようになって、夢から出る方法も見つけた。切符を探せばいい。切符は道端に落ちていたり、木の枝にひっかかっていたり色々だけど、今回は服のポケットだった。ポケットから取り出すとまわりがホワイトアウトして――
見慣れた私の部屋の天井が見える。
そんな、いつもの夢。
今日はジンジャエールにしようか、それともジンジャーソーダにしようか。肌をジリジリと焼く太陽の光をうちわでさえぎりながら、愛染零は考えていた。友人の竜王冥花はそんなのどっちでも同じじゃない?と言うけれど、零にとっては一大事なのである。きりりとした辛さの中に優しさを絡めた梔子色と、光を取り込んできらめくすっきり爽やかなアザレアピンク。この干上がるような暑さにぴったりなのは…
「ピンクだ!」
決意を一人叫びながら、まだ自主練の部員が残る体育館の脇を通りすぎる。あーまたいつものか、とあきれた顔で彼女を見送ったのは、零の友人・今市紅生だった。
すぐ後にある楽しみを待ちきれない軽い足取りで、校庭を歩く。毎週金曜日の放課後は校庭の端にある青い屋根の部室棟の前で幼なじみを待つのが零のお決まりである。その幼なじみもちょうど部活を終えたらしく、大きな黒い鞄を下げて部室から出てくるのが見えた。
「ダイキ!」
零の声とほぼ同時に、彼も合図するように左手をあげる。中学生にしては体の大きな男子――新岩ダイキは、赤ちゃんの時からの幼なじみで野球部のエースピッチャーだ。物心ついた頃から将来の夢は野球選手になることで、実際その夢が叶う日は遠くないと、みんなが言う。そんなダイキの勝利の日に毎回居合わせていることが、零のひそかな自慢だった。
夏の予定や先生の噂と、とりとめのない話をしながら2人の足は自然と同じ方向へと向かっていた。部室棟の裏手にある門から左に曲がってしばらく進むと、生姜を専門に扱っている小さな店がある。併設のカフェでは季節ごとに生姜を使った色々な料理やスイーツが出されていて、生姜好き(周囲に言わせれば生姜オタク)な零にとってはたまらない場所なのだ。毎週でも毎日でも通いたいくらいだけれど、さすがにお小遣いには限りがある。そう悩んでいたところ、1週目の金曜だけ、とか決めて行くことにしたら?とダイキが提案したのが6年生の夏だった。それから月に1回、中学生になってからは3週目にも行くようになり、ダイキも用事がない日は付き合ってくれている。
「オレ肉巻きプレート食べよかな」
「ごはんついてるやつ?よく食べるね」
「よゆー。おやつおやつ」
豚肉は疲労回復にいいんだぞ、なんて言いながらぶーぶーふざける2人を、どんよりと重く厚い雲が追いかける。数秒ののち、1粒、2粒雫が降りだし、あっという間に激しさを増して全身を濡らしていった。
「うわ?!やべ、とりあえず俺んちへ……零?」
不審げな声になったのは、その相手が雨を防ぐこともしないで空を見つめていたからだ。
フリーズしている彼女の視線を追って空へ目をやると、わずかな違和感を覚えた。暗い鈍色だった雨雲が、少し赤みがかっている…?そう感じた次の瞬間、みるみるうちに百日紅の花のようなピンク色に染まっていく。
「零!何やってんだよ!」
強く言っても零が動く気配はない。呆けたように何かを見ている彼女はまるで撫子色のヴェールをまとっているようで、奇妙な美しさを放っている。普段の人懐っこい雰囲気は消え、近寄りがたさすら感じるほどに。
それにしても、夕焼けで空がピンクに染まるのはまれにあることだが、まだそんな時間でもないのに急に空全体がこんな色になるなんて聞いたことがない。ダイキは動かない零の頭に雑にユニフォームをかけながら異様な光景を眺めていた。
すると突然、頭にこつんと雨粒以外の何かが当たる感触があり、続いて2つ3つ、バラバラと降りだした。
「わっ!?なんだこれ、アラレか?!れーいー!!行くぞ!ほら!!」
あまりにあり得ない状況に、半分パニックになりつつもダイキはなんとか零を引っ張っていく。通い慣れた通学路の見慣れない景色と、よく知った幼なじみの知らない顔。フリーズしたいのはこっちの方だ、と思いながら。
帰り道で雨に降られたことを予想していたのだろう、ダイキの家につくとばあちゃんがタオルと生姜湯を用意して待っていてくれた。真夏とはいえ、ずぶ濡れになって冷えた体にはあたたかい生姜湯がしみじみと染み渡る。情緒なく一気飲みしておかわりをねだりながら、ダイキはちらりと零を見やった。
と、着替えは借りたものの、生姜湯にも手をつけず髪も乾かさないままぼんやりとしていた零が、おもむろに鞄から包みを取り出して口を開く。
「これ、なんだと思う」
二重にしたティッシュのねじり目をほどくと、半透明の淡いピンク色をしたグミのような粒が3つ、姿を現した。
見た目はどう見てもただのグミだ。それか、お酒のボンボンにこんなのがあっただろうか。
「さっき降ってきたやつ」
ぼーっとしてたように見えたのにいつの間に集めたんだ…、一瞬そう思ったがそれよりも、これが空から降ってくる?そんなことがあるのか。からかわれているのか、何を言っているのか、意図をはかりかねて今度はダイキが沈黙する。
「……生姜っぽい味がするのよね」
食べた。
言葉通りなら空から降ってきた何が含まれているのかわからない正体不明のものをぱくっと。爽やかな香りと辛味、そして広がるあたたかさ…うんたらかんたらと零は喋っているが正直何言ってんだこいつ、としか思えない。
これはからかわれているんだな、とダイキが流そうとすると、零が夢を見たのよ、と呟いて話しはじめた。
小さな頃から何度も見た、ピンク色の世界のことを。
思いつきのからかいにしてはやけに細かい設定があるんだな、と思ったが、口を挟めなかった。零がいつになく魅入られたような表情で話していたせいもあるが、それよりも夢の話なら数えきれないほどしているのにこの話は一度も聞いたことがなかったからだ。
一通り話し終えると彼女は、ぬるくなってきた生姜湯を何口かにわけてゆっくりと飲み干した。そのタイミングでばあちゃんから夕飯食べて行きなさい、と声がかかったので、2つのマグカップを流しに持っていきながら零が手伝いを申し出る。見れば外は雨なんてとっくに上がっていて、空は何もなかったかのように橙から藍色へと変わっていた。さっきの雨で食べ損ねたから、今夜は生姜をたっぷり使ったからあげになりそうだ。
さっそくもみこみ用の生姜を大量にすりおろしている零を見ていつも通りだな、と安心しながら、ダイキの脳裏には1つの疑問がこびりついていた。正確に言えばさっきの出来事全てにおいて「?」しかないのだが、特に気になるのは零が持っていた包みである。ダイキをからかうために仕込んでいたとも考えられるが、あの包みはティッシュペーパーだったのに少しも濡れていなかった。鞄の中にまで雨水がしみて教科書やノートまで濡れているのに、そんな雨のなか降ったものを濡らさずに持ち帰ることなんてできるものなんだろうか?
考えたところで答えがでるはずもない。2杯目の生姜湯を飲み終えてから、ダイキも夕飯作りの手伝いに加わった。
「――ってことがあったんだけど、どう思う?」
一夜明けて翌日。
零は桃色に色付けしたクッキー生地をこねながら、家に呼んだ冥花と紅生に昨日の話を聞かせた。
「夢でも見たんちゃうの」
「今さら中2病?」
「しんらつ!!」
冷ややかな言葉に落ち込む零を尻目に、2人は顔を見合わせてあきれ顔だ。
とは言うものの零だって、信じてもらえるはずがないことはわかっている。ただ、零には昔から何度も見ていた夢と繋がったような確信めいたものがあった。何かあとひとつつかめれば、夢の正体がわかるような、そんな。
「それでは見ていただきましょう、こちらがそのブツです」
生地を伸ばしていた手を止め、ティッシュの上に置かれたそれを見る。見た目はやはり、どう見たってグミだ。中身はどうなってるの、と冥花が言うので小さいナイフで半分に割ってみるとつやつやとした弾力のあるゼリー状で、やはりグミにしか見えない。
「ただのグミに見えるけどなぁ。誰かのいたずらと違う?」
紅生の言うこともわからないではない。けれど、いたずらで広範囲の空の色を変えることなんてできるだろうか?ドラマ撮影並みの大がかりな装置を使えばそれっぽくはなるかもしれないが、わざわざその辺の中学生に仕掛ける意味がわからない。それに――ダイキと同じ疑問を、零も持っていた。気が付くと手に握っていたこの包みが、あの雨の中でぐしゃぐしゃになってしまわなかったのはなぜなのか。朝になってあの場所へ行ってみたのだが、昨日の痕跡は何も見当たらなかった。
「それで、その夢と関係があるって根拠はなんなの」
「根拠…」
ピンクってだけじゃないでしょうね、まさか?と、冥花が詰め寄る。零は気まずそうに口をつぐんだ。昨日起きたことは事実でも、夢は夢でしかないのでこれといった根拠はないのだ。ただ零の中でそう感じた、としか言えない。それを察したのか、冥花はふぅ、とため息をついた。
まぁまぁ、世の中不思議なこともあるわな~、と紅生がとりなしたところで、クッキー作りの工程は型抜きに入った。シナモンと生姜の香りの漂う中、きちんとした性格の冥花はトランプ模様で統一して、紅生は弟にでもあげるのか、車や飛行機など乗り物の型で抜いていく。紅生が手に取った汽車の型で抜かれた生地を見た時、零はふと、あることを思い出した。
夢でいつも探している切符だ。夢から帰るのに切符が必要なのなら、逆に切符を手に入れれば夢に行ける?
ただの思い付きだ。夢に行きたいと、思っているわけではない。なんとなく、だけれど、零は生地の端を小さな長方形に切り取った。
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