次の世代の放置たるゲーム:求める要素


私が求める黄金郷はあるのだろうか。
本稿では、前回語ったような広義の放置ゲームではなく、狭義の放置ゲームについて語りたい。
ここで語る要素は、あくまで筆者がほしいと思っている要素を書き連ね、それについて熱く語っているに過ぎない。

残念ながら日本語圏でこの狭義の放置ゲームに該当するゲームに出会ったことがない事もあり、うまく言語化出来ていないというのが実態ではあるが、

放置少女と言ったら中華系ゲームはこの放置ゲームの定義から外れる。
ゆけ勇者、僕の魔界を救って、冒険者ギルド物語、宇宙戦艦大作戦系統もこの放置ゲームの定義には含まれない。
クッキーを焼くゲーム、なめこゲーム、ペンギン島と言ったクリッカー系のゲームも同様に定義に入らない。

Progress questやGodvilleはこの放置ゲームの定義に含まれる。
Twitchで誰かが動画視聴をしているのをリアルタイムで見て、コメントを加えてプレイに干渉する事は、この放置ゲームの定義に含まれる。
友達に恋人ができて、その顛末の話を聞きつつ適当なアドバイスを挟みつつ、その恋愛が成就して結婚した子供の写真がどんどん育っていく様を眺めてニヤつく事は、この放置ゲームの定義に含まれる。

という位置付けだ。放置出来ないのに放置ゲームと呼んでいる日本語の定義に問題がある、嘆かわしいものだ。

干渉したり、または一切干渉せずただみるだけ、もしくは数ヶ月とかみず放置し、思いついたように見返して、おお、ここまで進んだのか。成長したなぁ、と感じる行為が、この狭義の放置ゲームそのものである。
この体験をゲーム性として凝縮した形で実装して喜びを得る事がゴールである。

ゲームでなくとも、さまざまな実生活の体験やコンテンツが、この放置する事で進む展開、予定調和の結果と、想定外の展開というようなものを得る事ができる。
ただ現実の時間の流れはゆっくりである。

それをゲーム性として、短く、楽しいと感じる要素を濃縮してあげる事が、私の考える放置ゲームの本質になる。

未来の予見性と不確実性

近い未来は、その状況を見ると予想できる。しかし少し未来の話となるとどうなるか予見しづらくなり、期待を裏切られる結果になる。

アクションゲームが苦手な実況主が、スーパーマリオ2を初見プレイするという企画を始めるとしよう。
あなたはまず、最初のステージで毒キノコを知らずに取りマリオが死ぬことや、落とし穴にハマり死ぬことを期待するだろう。その実況主のゲームの進捗が進む事そのものが喜びではない。期待した事、予想された展開が得られる事に、喜びが生まれる。

ただし、これが同じ調子で続くかというとわからない。何日も挑戦し続ける事により、序盤のステージは難なく安定してクリアしていけるようになるかもしれない。全クリアは1週間後かもしれない、1ヶ月後かもしれない。
あなたはコメントで偉そうにアドバイスをする事もできるし、何もせずに見守ることもできる。
あなたの行動がなくとも物語は進む。干渉する事で良くも悪くも変わるかもしれないが。

不確実性を実装する - 三体問題

ここでの三体問題は、互いに重力相互作用する三質点系の運動がどのようなものかを問う問題を指し、全然規則性が見られず混沌とした動きを繰り返す様となる。

仮想的な世界を構築し、眺めていて楽しいというものを実現するための最も根源的な考え方になる。

対なる概念として、時間経過と共に経験値をつみ、レベルが上がり強くなるというゲームがある。敵を倒した数に応じて経験値が溜まり、キャラクターはどんどん強化されていく。
キャラクターが強くなることでの変化、楽しみが生まれるだろう。
この展開は線形的な事象である。ただ成長していくだけだと飽きがくるため、あの手この手の試行を凝らし、成長させる事に喜びを得るようにするのが一般的であろう。
キャラクターが成長するというのは予見できる未来であり、その結果何か新しいスキルを得たり、倒せない敵を倒せるようになることで進展が得られる、というのが新しい経験や刺激に相当する。

プレイヤーが行く先を一つ一つ丁寧に実装して刺激を常に与え続ける方式である。莫大で潤沢な開発リソースがあるところがこの方式を取る。しかし、その開発コストの代償として、プレイヤーが遊ぶ対価として課金圧を加えるようになる。
その課金圧の代表的な方式としてガチャを採用したビジネスモデルがあり、ガチャを実装するとプレイング体験が損なわれ、ガチャでの出で大半の関心が持っていかれてしまう。

しかし、ここで重要なポイントがある。プレイヤーが進む先を一つ一つ丁寧に開発、実装しなくとも、アルゴリズムにより不確定性を再現し、はるかに少ない開発リソースにより、楽しさと独自性を提供し続ける事ができている実例があるではないか。

三体問題による、3つ以上の要素が独立して変化する事に伴い、ゲーム内の展開に影響を与え、その展開ごとにプレイヤーが取るべきアプローチが変わってくるというゲーム性である。5年どころか8年間もプレイヤーが辞めずにプレイし続ける事ができる、その根幹となる思想である。

緩やかなるキャラクターの成長と、三体問題の思想に基づく不確実性を組み入れたゲーム展開、ゲームシステムは単一であるのに、プレイヤーの進捗により、そのイベントが望ましいものから、望ましくないものに切り替わる。
信じられないだろうが、Godvilleではあえてキャラクターが負けて瀕死になる方がメリットが生まれるという展開が多くある。きちんと観察して評価する事で、どう介在するべきかが変わってくる。脳死でクリックしていれば進捗するようなゲームとはそもそも次元が違う。
最適な行動の解が常に自明であるゲームで、スクリプトやマクロで連打すれば進捗するようなものが楽しいのか?

アイテムドロップ率が直接上がるような概念は入れてはいけない

装備するとアイテムドロップ率が上がるようなアイテムや要素は持たせてはいけない。

代わりに、敵遭遇率が上がる装備とし、間接的にアイテムドロップの実効率が上がるというように、1クッション以上置くべきである。

敵遭遇が増える事により生存率が下がるその代償とバランスといった要素が必要だ。財宝を大量に抱えた状態での帰還時にはむしろ敵遭遇率が下がる装備の方が、アイテムロストのリスクを鑑みると実効効率は高くなるかもしれない、そのようなトレードオフを持たせるべきだ。

 間接的に効果が得られるようにする理由は、その効果が発現させるために、最適な環境を作るために調整と干渉を行う余地を生まれさせることにある。「視力が良くなり、遠くのものでもものを見つけることができるようになる。代わりに夜目が効かなくなる」効果を得たとしよう。アイテムドロップ率を最大化するためには、道中移動中、探索している時間がながければ長いほど効果が大きくなる。反面、敵と交戦している時間が殆どを占めるような事態であるならば、その恩恵はあまり受けられない。あえて、その効果を最大限活かすために、敵と交戦を避けるようにキャラクターに干渉することが有効かもしれない。

 様々なフレーバー、様々な要素、可能性を秘めている。ここでポイントなのが、冒険者ギルド物語のような系統で、とにかく良い装備を揃え強くしたいというインセンティブが強く、結局より良い装備を手に入れるために周回しているということである。装備を揃えるというプロセスが、間接的にアイテムドロップ率を最大化するための手段のひとつなのである。アイテムドロップ率が上がる効果は冒険者ギルド物語にも複数存在し、トレハンパズルと呼ばれるような形で組むことが必須化されてしまっっている。装備を整えてダンジョン攻略の可能性を0.1%でも押し上げる努力は極めて大変なものになるのに対して、装備するだけでデメリットなくアイテム獲得率が1.5倍に上がるというものが存在するという始末。結局その装備の存在はゲーム寿命を縮めるのに加え、トレードオフがほとんど存在しないこともあり、そのような要素は失敗であると私は評価している。

 なにより、ゲームの世界観を演出することはとても重要であるのに対して、アイテムドロップ率という概念は極めて抽象度が高く、ゲームシステムとしての説明となっている。なぜアイテムドロップ率がそれだけ高くなるのか?を世界観を交えて説明する必要がある。それを怠り、ただシステム的にその効果を提供し、必須となる呪いアイテムとさせることなど、愚策もいいところである。特に自由なはずのキャラクター編成がそのトレハン要素に縛られるために制約が生まれてしまうという本末転倒な事態に落ってしまっている。

 世界観の構築と、それを尊重することは重要である。特にそれが、人間を模したキャラクターが活動するものであるならば。ゲーム慣れした人間であれば極めて抽象度の高いゲーム概念であれど、類似したゲームの経験から理解してついていくことができる。しかしゲーム経験の浅い層にプレイさせてみると、その抽象度の高さは理解できないというハードルになる。
 反面、世界観に沿ったゲームシステムを丁寧に構築していくと、違和感なく少しずつ理解をしていき、うまく行かなかったときの反省の際にも、ゲームシステムとしての仕様ではなく、その世界観を交えて解釈をすることになる手がかりになるだろう。
 何十回、何万回も試行を重ね検証し、システムを人力リバースエンジニアリングにより解明し、その数式に基づき対応するそうはごく一部である。そしてそれらの層も、最初はエンジョイ勢から始まったことを忘れてはならない。
 新規勢でよくわからない層だからこそ、本来はアイテムドロップ率を優遇するべきなのだ。残念なことに、日本語圏系のインディー系放置ゲームと呼ばれているジャンルでは、これが真逆になってしまい、知識量が少ないとアイテムドロップ率が圧倒的に少なく、熟練者の何倍も周回してようやく対等なアイテムドロップ率になるというようなビルドになっていたりする。熟練者は4年間毎日数十回周回して希少なレアを狙う。この人たちは特段相手にしなくてもいい。大切なのは初心者、新規勢だ。よく分かっていないそうが、ストーリー進行するために、同じダンジョンを何十回も周回しなければキーとなるアイテムが手に入らないデザインであることでの脱落が懸念される。初心者で、わからないからこそ、大盤振る舞いしておくべきである。


インフレのない装備ビルドのデザイン:持たないことで生まれる価値

冒険者ギルド物語2や、それに類するゲームにおいて、ゲーム終盤にかけて装備が洗練され、より上位で効果の高いものに置き換えていくというプロセスがある。基本的にインフレする方向ですすみ、バージョンアップがあればさらなるインフレ、追加されたギミックや効果が付与されたものが出てくるであろう。
 ゲームを飽きさせないために延々とコンテンツ追加をし続けて、装備ないしそのビルドを複雑化させ続ける必要があるのだろうか?

 否。そんな事はない。延命のためにコンテンツ追加、それに伴うギミックや新しい効果の実装など不要ではないかと、遠方ロシアで商業的に成功を収めているゲームを観測することで考えるようになった。

 大切なのは、ビルドの構成であり、状況に対応してどう立ち向かうか、プレイヤーが検討して判断する裁量が用意されている事である。
 装備が永続して消耗しないデザインで、ユーザが組み上げる必要がある場合、永遠に効果がインフレ、新規機能の追加をし続ける流れが生まれていってしまう。
しかし、装備が消耗する、効果が有限であり、また代償のあるものであるならば?

 あなたはドラゴンを討伐するというクリアに1週間ほどかかるキャンペーンに従事しているとしよう。
 ドラゴンは強力なブレスと爪による物理攻撃が脅威だが、魔法攻撃はしないとする。
 この場合、ブレス耐性と爪による攻撃の耐性があり、ドラゴン特攻の効果のある武器があると良いとする。
 それらの効果が得られるエンチャント装備を揃えれば良いとなる。

 そして、エンチャント装備は装備をするとキャラクターの体力を奪う代償があるとしよう。強いエンチャント装備であればあるほど代償は大きく、複数のエンチャントがあればそれだけ代償が大きくなる。
 このキャンペーン下では、魔法耐性のあるエンチャントは外した方が有利であり、石化耐性や麻痺耐性、毒耐性と言ったらものも必要ない。
 持っていれば次のキャンペーンでは役に立つかもしれないが、装備させておく事で生まれる代償とのトレードオフが生まれる。そもそもキャンペーンが終わるまでに消耗してエンチャント効果がなくなっている可能性も高い。

 持たない事によるメリット、わざと外す事がビルドとして有利になる、このような要素が含まれると、コンテンツ追加に依存せず、何年もプレイし続ける事ができるバランスを秘めるゲームが出来上がる。

行動には対価と代償が生まれるバランス

いかなる行動にも対価と代償を求められる可能性を秘める。
 それは確率の世界で、95%の確率で代償は生まれないかもしれない。しかし5%の確率で手痛いしっぺ返しが生まれるかもしれない。
 あえてリスクを冒してまで行動を取り、更なる対価を求めるか、静観すべきか?
 このトレードオフが常に存在する事により、ゲーム進行の様々の状態においても、動的で同じ展開がなかなか生まれない、最適な解が異なっていく事態が生まれる。
 あえてキャラクターを死なせる事で生まれる対価を狙うというのも当然ある。

 ドラゴン討伐のために首都から100キロ以上離れた山奥に入り込む必要がある。防御力が重要だからとフルプレートアーマーを装備したらどうか?進行中にスタミナ切れとなり、道半ばで急速や体力補充にリソースを割く事になり燃費が悪くなるだろう。そしてめでたくドラゴンを撃破しても、そこにある金銀財宝を持ち帰る際に、フルプレートアーマー分、35kgとしよう、35kg分、財宝を持ち帰れる量が減る事になる。
トレハン効率を最適化するためには、装備の量は勝てるギリギリまで減らした方がいいトレードオフが生まれる。そしてこのトレードオフはロールプレイの説明に合致するシステムとなる。
 砦の防衛といった拠点防衛では、フルプレートアーマーのメリットを最大限預かれる。トレハンの要素は少なく、報酬は砦の監督者から与えられる。最大限装備を着込み万全の防衛で挑んでもデメリットがない。
 今キャラクターの関わっているミッション、キャンペーンにより、必要となるビルドが異なるとはこういうことである。アクティブにプレイするならその最適なビルドに調整するのが良い。リアルが忙しくてリアルタイムな応答が出来ない場合、例えばライトアーマーに無難なショートソードを装備し、どのようなミッションでも無難な生存率と成功率が期待されるビルドにすると良いだろう。
 このような、ゲーム進行の状況に加え、あなたのリアルの状況に合わせたビルドや進め方を常に構成していく遊びが理想である。

 常にこうするべき、という王道な、固定化された正解のあるゲームにしてはならない。
 もちろん大半においてこうするのが定石、というのはあっても良い。

神器クラスの装備ドロップが得られる事による効果

 装備が永続しない、消耗しロストする状況下での神器装備の獲得の意義はなんだろう。
 一つの解として、神器があるから得られる進捗と、それを評価する仕組みである。
 先の例で言う、ドラゴンを討伐するというキャンペーンがある。これはグローバルイベントであり、自分だけでなく他のプレイヤーも同じキャンペーンの影響下にある。他のプレイヤーと疎結合に、影響しあってゲームが進行していく。
 そんな中、世界を征する壊れたドラゴンキラーという、ドラゴン特攻が付きまた極めて効果が噛み合ったエンチャント効果を秘めた装備を手に入れた新米プレイヤーがいるとしよう。
 その装備の力があれば強力なドラゴンに対して効果的に戦え、極めて高い貢献度が期待できるだろう。
 それにより、1ヶ月のキャンペーン期間として、その間の貢献度から、上位に入り込む評価を受け、またトロフィー機能といった表情制度により、その装備のビルドも含め新米プレイヤーが記録され公開される事になったらどうだろう。
 名声と思い出としての記録である。
 Godvilleにおいても類する短期間(3ヶ月間周期)の表彰制度がある。ランキングに載ってもゲーム進行になんら影響のない名声しか得られないが、そのために延々こだわる人たちがたくさんいる。

 そのキャンペーンに噛み合った効果の超レア装備が、それも複数手に入ったとしたら歓喜するであろう。

新米もベテランも対等に組めるシステム 

オンライン要素、コミュニティ要素は重要なリテンションにつながる。1年目だろうと12年目のベテランであろうと並べてプレイできるデザインが望ましい(Godville では無課金1年プレイヤーと12年目廃プレイヤーがチームを組んでプレイが出来るバランスになっている)

 レベルやリソースの差により狩場が異なるや、目標が異なり噛み合わないという事態になるのが日本語圏で展開されるゲームで大半かもしれない。
 レベルや装備のインフレありきでデザインしているゲームアプローチによる限界なのか。結局は、それはただのプレイする事で強くなり続けないといけないという固執観念によるものでなないだろうか?
 強くなったという感覚は、相対的なものであり、絶対値が上がり続ける必要などない。
 ベテランと新米とが組んで遊べることのできないゲームに何の意味がある?筆者がいくつものゲームをプレイすることで感じた違和感がこれである。ほぼ同じレベル帯でないと組めないチームバランスというものは辟易する。そして、ほぼ同じ時期に始めたプレイヤーたちとしか協業・連携できないという極めてお粗末な商業ゲームも体験したこともある。

 筆者が考えるゲームデザインは、根本的な要素として、三体問題に基づくゆらぎの繰り返しに過ぎない。状況が変則的に変わっていく中で取るべき最適な行動をプレイヤーが判断して、干渉するか、何もしないかを判断して決めていく。この概念において、インフレという要素は必要ではなく、他のプレイヤーは、正しく不確実性要素の1つである。そのプレイヤーがアクティブであり、自分の陣営側として接してくるのであれば、自分自身の生存率に貢献するプラスの要素になるかもしれない。逆に、アクティブであるが相手側陣営にたっていた場合にはマイナス要素になるだろう。
他のプレイヤーで放置している非アクティブユーザである場合、味方の陣営にいることは相対的な不利を招くであろう。これらのように、状況に応じて、有利になるか不利になるのか変わっていく。同じプレイヤーであっても、今日は敵で明日は味方になるかもしれない。これは、放置ゲームとして、ゲーム内のキャラクターが決めることであり、プレイヤーが決めるような要素ではない。

コンテンツの制作に利用するAIシステム

 理想的には動的にコンテンツを生成する仕組みであることが、筆者が考えるあるべき姿の放置ゲームである。しかし実際問題として、1ユーザごとに24時間常に動的にコンテンツを前後の状況を踏まえて生成し続けるとなると、そのAI利用にかかる費用は膨大なものになってしまうだろう。

参考例としてよく上げているGodvilleの例のように、コンテンツとしてキーとなる部分は要所であり、全体を通じて動的にコンテンツを生成し続ける必要があるものではない。

では、どのようなコンテンツをAIが生成させ、かつコストが少ない状態で住むであろうか?

その一つの可能性として、グローバルコンテンツとしての、キャンペーンと言う考えがある。このキャンペーンは、上の例では1週間としているが、1つのキャンペーンを生成する際に、そのキャンペーンがどんなものなのかを説明するためのテキストコンテンツが必要となる。また、キャンペーンを構成する複数のミッション(またはクエスト)も用意する必要がある。これらのミッションは、キャラクターが同接するのかによって変わってくるため、いくつかの立ち位置に応じたミッションツリーを用意するのが望ましい。上述の例でいうと、ドラゴンを討伐する陣営と、ドラゴンの守り人としての陣営、さらに漁夫の利を狙う第3陣営もあってもいいかもしれない。
 キャラクターは自分自身のアライメントや、過去の履歴から、どの陣営に与するのかを自動決定する。キャンペーンが開始される前の準備期間において、プレイヤーが干渉してどの陣営に入るべきか決めるというのもあるかもしれない。干渉しなければキャラクターが所定のロジックに基づき重み付けされたランダム要素により決めた陣営に参加して活動をすることになる。
 その際の発言テキストや、ストーリーイベントの展開は多数にわたるが、とはいえパターンはたかが知れている。予めAIに想定問答集を自動生成させ、出来上がったテキストをそのまま貼り付けて流すぐらいの勢いがあってもいいだろう。
 グローバル展開するという強みは、たとえプレイヤーが10000人いたとしても、生成するコンテンツは、そのキャンペーンの、開発者(ないしAI)が想定する事前定義したシナリオのパターン分だけ用意すれば良いという点だ。事前定義したシナリオ以外の展開は発生しない。たが、それでいいだろう。そのキャンペーンが終わったら、その結果を踏まえて、次のキャンペーンを生成することになる。そうなると、プレイヤーは、あたかも動的に物語が進行していくという感覚を得ることができる。また、キャンペーンの結果により、ゲーム内の世界が激変するということも実現できる。ゲーム内の世界(とはいえ、想定しているのはテキストベースでの世界であるが)で、ドラゴン討伐に巻き込まれた小さな集落が燃え上がり地図から消え去り、廃墟となり魔物が徘徊するようになるダンジョンの扱いになったり、討伐によりNPCの騎士が命を落とし、今まで首都の守衛所で彼に会えていたものが、もう会えなくなってしまったり、というような変化が演出できる。

 エルディア王国のクーデターキャンペーン

 もう一つ例をあげよう、エルディア王国がクーデターを起こるというキャンペーンを考えてみよう。エルディア国王派の陣営か、クーデター陣営か、不関与中立かのどれかを選ぶことになる。
 エルディア国王派の陣営は、今までエルディア王国に関わるミッション(クエスト)を多く請け負っていたキャラクターは、自然とそちらの陣営に参加するだろう。逆にエルディア国王に反感を持つ陣営は、例えば圧政に不満を持つ勢力や、反乱勢力を支援する貴族やギルドたちが傭兵を雇うかもしれない。お金目当てで傭兵となり参加するキャラクターも出てくるだろう。

 このキャンペーンの内容は、なんとエルディア国王は過去にクーデターにより政権を奪取した簒奪王アラリックであり、クーデター陣営は、先々王の実の王子フィンがエルディア王国奪還のために味方を呼び募った奪還戦であるという。しかも簒奪王アラリックは他の王子や王女を病死や事故死に見せかけ次々と暗殺していき、その地位を確実なものにしてきたという。唯一、フィン王子だけが、魔法により女の子として隠れたことによりその魔の手から逃れたという。
 このフィン王子のエルディア王国奪還作戦の成否や、その結末は、参加するキャラクターたちの功績にかかってくる。どちらの陣営に属するのか、そしてその陣営でどれだけ貢献度を上げるのか。フィン王子派の王国奪還作戦に与しない人の心を持たないやつは果たしているのだろうか

 このキャンペーンが、クーデター陣営の勝利に終われば、簒奪王アラリックは退位し、悪の根源であったヴェルター宰相もその職を解かれ、牢獄に繋がれた姿を晴れて拝むことができるようになるだろう。そして晴れてフィン王子が王位につき、エルディア王国は元の秩序を戻して平和になるかもしれない。
 逆に、エルディア元国王派の陣営が防衛に成功した場合は、クーデターの首謀者のフィン王子は良くて国外逃亡、おそらく処刑であろう。そしてフィン王子の支持を表明した騎士ランシェロットや小間使いのペーター、フィン王子とゆかりの深い旧聖家ハリントン家、それの分家でフィンに使えているマーレも没落、投獄という事態に陥り、彼らは歴史の表舞台から消えることになるだろう。つまりこの展開を選ぶということは、もうマーレの笑顔が見られなくなるということだ。覚悟はできているのだろうな?

 キャンペーンの展開により、その後のストーリーが変わる。そのストーリーは開発者が関与して方針付させることもできるし、ゲーム内で発生した内容をAIに食わせて、その結果を吐き出したものを採用してしまってもよいだろう。
 次のストーリーは、もうエルディア王国が舞台とならず、別のイベントにフォーカスしたお話になるかもしれない。また、たとえフィン王子が勝って王位についたとしても、リアル時間で半年後に発生した新たなキャンペーンで、外国から支援を受けて蘇ったヴェルター元宰相がエルディア王国で暗躍するというキャンペーンが出てくるかもしれない。

 これらのストーリーに、一人一人のプレイヤーの影響下にいるキャラクターたちが関わってくることになる。場合によっては、そのキャラクターの一人がメインキャラクター相当として、物語に大きく影響を与える名誉につけるかもしれない。

 筆者が考えている放置ゲームはテキストベースゲームを前提としている。そのため、このような劇的な変動が発生するような展開であっても、テキストの整備でなんとかなる。もしグラフィカルな演出のあるゲームであれば、各キャラクターのグラフィックから王国から、そして次々に現れては消えるキャラクターたちと、その会話に基づいたモーションの制作なりで大変だろう。特に展開に応じて何十パターンにも及ぶ分岐が考えられるようなストーリーで、日の目を見ることのないキャラクターやモーションも作らないといけないということにもなりかねないというのは、私なら心が折れそうだ。
 ただ、AIが大幅に支援したスクリプトをベースにしてしまうことにより、たとえ多少の破綻や齟齬があったところで、勢いでなんとかなるだろう。

 最近のゲームにおいて、オープンワールド系のゲームで非常に細かいニッチな状況にあってもきちんと想定されて作り込みされているものの存在を観測している。AAA級だからこそできる技であろうが、今の御時世であれば、個人規模のレベルであれ、GPT−4レベルのAI支援があれば十分なんとかなるレベルにあると考えている。
 ゲーム進行のすべてがこのキャンペーンに関わるものである必要はまったくない。キャンペーンに関わらないミッションをこなすというのも十分あり会えるだろう。むしろ、キャンペーン期間中に、キャンペーンに関連するミッションは偶発的で稀かもしれない。そのキャンペーン関連ミッションでも、ミッション開始のテキストと、ミッション達成時のテキストが存在するだけでも、そのミッション内の処理は、標準的なランダムイベントで占められたものであっても最低限のポイントは抑えられているのではないか。
 街の人のリアクションや、その人並みは、キャンペーンの展開ごとに徐々に変わっていくかもしれない。要所要所で、変化に気づける、その程度の変更が少し含まれる程度で十分ではないか。
 結局はテキストベースのダイアログで展開されるGodvilleライクゲームなのだ。





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