『あーとま塾2018「社会包摂」』のレポート

2017年度より可児市文化創造センターアーラにて行われている「劇場に関わる人のためのアーツマーケティング・ゼミ「あーとま塾」。僕は年3回行われるこのあーとま塾に2年間参加させてもらっています。ほかの劇場の方々と話している時に、このあーとま塾でどのようなことをしているのか聞かれることがあります。

あーとま塾の軸に据えられているのは「文化政策」「社会包摂」「マーケティング」の3つのテーマ。他の劇場などで行われるセミナーなどではあまり扱わないテーマも取り上げられていますので、実際どんな感じなんだろうと思う方もいるようです。

そこで、毎回提出するレポートのうち一つを備忘録も兼ねて、ここに掲載してみようと思います。これはアーラが行なっている数々の事業に関するレポートではありませんし、あーとま塾で見聞きしたことのみを書き記しているわけでもありません。「学びとしてのワークショップ」をだいたいいつも考えている僕が、このゼミに参加して考えたことを整理したものです。この回は社会活動家の湯浅誠さんがゲストにいらした回でした。

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あーとま塾2018 第2回「社会包摂」レポート

 今回のあーとま塾では、「社会包摂」について、第1日目に社会活動家の湯浅誠氏のレクチャーをはじめとしたプログラムを聴講し、第2日目にアーラ・澤村氏のリーズプレイハウスについてのレクチャーを聞いたのち、児童向けプログラムのロジックモデルをグループごとに討論し、制作に挑戦した。
 社会活動家として多くのプロジェクトを実践されてきた湯浅氏の社会包摂的活動の例や、大切にして来たことなどの話を聞く中で、私自身が考えている公共劇場・ホールが大事にしていきたいこととリンクすることがいくつもあり、とても意義深い学びの場となった。


1. 「社会包摂」という言葉


 アーラが行なっている事業の基本に「社会の中での孤立を防ぐ」という軸があることを、昨年のあーとま塾を通じて知った。「包摂」という言葉から、一部では「包む側」と「包まれる側」がいる、というイメージを抱くこともあるようだが、ここでは”social exclusion(排除)”に対しての”social inclusion(包摂)”の意味であり「(社会的に)排除しない=孤立させない」といった意味で使われているので、「一緒に一つの輪を作る」イメージが近いのかもしれない。

2. 参加する立場の転換と場のデザイン


湯浅氏の活動「炊き出し」の事例より
 レクチャーの中で、炊き出しの話があった。経済的に困窮し、いわゆるホームレス状態になった人々に、湯浅氏達が炊き出しをして食事の提供を行っていた時のこと。炊き出しを続けるうちに、受け取る側に変化が現れ、「(炊き出しを行っている人たちは)何か下心があるに違いない」というようなことが間接的に聞こえてくるようになったという。ボランティアの運営スタッフ側も「なんで(善意で行っているのに)そんなことを言われなくてはならないのか」と思うようになってしまったそうだ。
 湯浅氏は「これはまずい」と思い、対策を考え、「作ってあげる」「もらう」という関係性を変えることを最終的に思いつき、炊き出しから共同炊事へと形を変化させた。材料は用意するけれども「我々だけでは人手も足りないし、作りきれない。助けて。」とあえて伝えると、飯場でまかないを作っていたことがあるような「おっちゃん」が、「しょうがねぇなぁ」と言いながら作り出す。何百人分もの食事を作っていたような経験がある「おっちゃん」は、若いボランティアスタッフにそのやり方を「教える」立場にもなった。そして周りにいた他のホームレス状態の人たちもこのプログラムに参加し始めた。
 この「施される」側から「一緒に行う」、あるいは「教える」という関係性、立場の変化が起こり、自分の得意なことを活かせる「場」ができた。誰かに自分の為したことが認められる場はコミュニティとしてとても居やすい場であり、その中で自己効力感が実感できてきたのだと推察する。
 「自分が誰かの役に立てる」、「自分には(にも)できる」という体験を伴った自己効力感は、「これからもそうなっていくだろう」という予見となる。この自己効力感なくしては「施される」繰り返しが続いてしまうだろう。
この「立場の変化」、「自己効力感」を生み出す場をデザインすることは、公共劇場が行う包摂型のプログラムにおいても、とても大切な要素だと考える。

3. 「客」と「コミュニティ」


 今回湯浅氏から伺った炊き出しのプロジェクトでは、食事を「提供する側」のスタッフと「受け取る側」の者という枠組みから、「協働する」という枠組みに変化したことが大きなターニングポイントであったと聞いた。「提供する側」に対して「受け取る側」は(金銭の授受はないが)「客」の立場だ。これに対して協働する枠組みの中では食材を提供する側も、作る側も、対等な立場でコミュニティに参加する「参加者」になったのではないかと推察する。
 これまで公共劇場で行われて来たプログラムの多くは、鑑賞事業にせよ教育関係の事業にせよ、「提供する側」と「受け取る側」の枠組みであった。しかし、学習環境デザインから考える「ワークショップ」は「教える側」「教えられる側」という枠組みではなく、あくまで「フラットな」関係で、各々が持っている知識ややり方を「分かち合う」「気づき合う」ような関係を作り出すことを基本にしている。つまり、参加者を客というよりも、むしろひとつのコミュニティへの参加者として迎え入れる。まち元気プロジェクトの多くは、コミュニティの形成に関わるプログラムが多いと見受けている。
 炊き出しのプログラムと演劇や身体表現などの芸術を通じたプログラムは、一見すると異なる活動に見えるかもしれないが、上記のような理由で本質的な部分で両者は共通している。

4. 公共劇場は生きるための学びの場


「教育」・「学習」・「学び」
 あーとま塾を終え、宇沢弘文氏の「社会的共通資本」を再び読み出した。その著書の中で宇沢氏はこう述べている。「教育とは、一人一人の子どもがもっている多様な先天的、後天的資質をできるだけ生かし、その能力をできるだけ伸ばし、発展させ、実り多い、幸福な人生を送ることができる一人の人間として成長することをたすけるものである。」(「社会的共通資本」宇沢弘文、岩波新書、2000年)
 また、この「社会的共通資本」を読み進める上で非常に大きな手助けになった書籍があるので、ここで紹介したいのが「経済学は人びとを幸福にできるか」(宇沢弘文、東洋経済新報社、2013年)である。こちらの書籍は、宇沢氏の考える「経済学」のありかたについて、そして氏の考え方や生きた環境を解説した池上彰氏の前書きもあり、氏の考えや氏自身についてより容易に知ることができる。宇沢氏の講演も収録されていて、経済学と医療、福祉、教育、環境などについて歴史の流れとともに解説されている。
 「社会的共通資本」の中で宇沢氏は米国の哲学者ジョン・デューイの学習論にも触れている。デューイは「人間の自発的な成長を促すための環境を整える」のが教育の役割だと考えた。
 今の学校を考えた時、学習環境をデザインし、「一人一人のもつ独自性を大事にする」ということは現在の学校では、ほぼなされていないと感じている。学校では正解があること、知識を伝えることが重要課題になっていて「できる」ことや「わかる」ことへのアプローチは重視されている。
 しかし、正解がないこと、あるいは解がたくさんあることについてはあまり重要視されていないように思える。宇沢氏の言う「社会的共通資本としての教育」は、一律に授業の形で知識を与え、獲得した知識の量を「テスト」で計測し、成績をつけることだけで達成できるのだろうか。「一人一人の子どもがもっている多様な先天的、後天的資質をできるだけ生かし」ているのだろうか。

「学び」としてのワークショップ
 現在の学校で、すぐに一人一人にアプローチした方法を取るのは実際問題として難しいだろうとも思う。しかし、公共劇場はその部分を引き受けて学習環境のデザインをすることができる。音楽や演劇、身体表現のような芸術といわれる分野は、文化と密接な関わりがある。文化の中に埋め込まれたようなもの、例えばコミュニケーションやいじめなどについて、コミュニケーションそのものを題材に学ぶのではなく、「演劇の活動を通じて(活動目標)、コミュニケーションについて経験を獲得する(学習目標)」という、階層性のある目標を設定できる。まち元気プロジェクトでも演劇のプログラムを用いながら、児童・生徒同士のコミュニケーションを改善するワークショップ・プログラムや、乳幼児を持つ母親同士のコミュニティづくりのためのワークショップ・プログラムなどを行なっている。
 これらのプログラムを通じて参加者は、ある文化の中で「大切だが明文化されていないようなことがら(私はこれを衛館長が言う「社会的相続」の一部だと考えている)」に次第に慣れていく、あるいは出来るようになっていく過程を体験している。その過程こそが「学び」そのものであり、第三者から見た時には、その人の思考、行動が変容していくことを「学習」と捉えることができる。
こうしたコミュニティや学習に関わることがらは、公共劇場が社会機関あるいは社会教育機関であると説明する際に有用であると考えており、引き続き以下のような書籍を参考にし、コミュニティ・エンゲージド・アートやワークショップ実施の論拠の一つとして結びつけ、考察したい。

・「「学ぶ」ということの意味」(佐伯胖)
・「状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加」(ジーン・レイヴ、エティエンヌ・ウェンガー)
・「ワークショップと学び1  まなびを学ぶ」(苅宿 俊文、 高木 光太郎 ほか)


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