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人生の扉#03 ソニーという会社で

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【連載「人生の扉」について】
FOSC代表理事の小山さんに、どのような会社人生を歩んできたか、そしてそれを支えてきたものは何かを「人生の扉」というシリーズで語っていただきました。
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1.ソニーの社風

ソニーという会社は経営者、上層部ほど革新的で変化を好む特性がありました。良いと思うこと、部下の積極的な提案に関して変化を恐れずそのチャレンジを応援します。

一方、人事部にはサテライトオフィスの活性化のための勤怠管理の簡素化等、何か新しいことを提案すると、会社のルールだからと言って、なかなか一歩を踏み出そうとしないコンサバティブなT大卒の入社したての若手もいたりして、いろいろでした。(思い出してみると自分の新入社員時代も生意気でモラル、ルールにうるさかったのですが・・・)

2.権限と責任

若手が思い切って活躍できるよう、積極的に若い人に権限と責任を持たせることが日常茶飯事に行われていました。実力主義の徹底も見事です。私は高卒ですが、課長、部長、センター長になるにつれてT大、K大、W大の部下も増えていきました。自分の上司であった方がいつの間にか部下に、ということも。卓越したリーダーシップと期待を超える成果、そして何よりも、その個人の成長を良く観察しているので客観的な評価、登用がなされるのだと思います。

3.いつも120%の負荷を与える上司

20代も後半になって仕事も順調にこなしていたころ、なぜか私に仕事が集中し始めました。
上司に「となりのYさんは暇そうにしているけど、この仕事も私ですか?アップアップですが...」と伝えると。
「そうかそうか忙しいか、それは良かった」と言われ唖然としていると
「小山君にはいつも120%の負荷をかけることにしているのでゆとりがあっては困る。でもね、120%を4年続けたら処理能力は2倍になるのだからこんな良いことはないと思うよ」とあっけらかんと言われ、以後どんなに大変な仕事をAsignされても一言も文句を言わなくなりました。その時から、〝どうしたら出来るか〟と常に前向きに考える思考回路が醸成されたのです。

4.なぜソニーに入社

高校2年生のころ大学受験を目指して準備を重ねていた私ですが、実は我が家には私を大学に進学させるほど家計に余力はありませんでした。日ごろから、父は私にアルバイトして学費を自分で稼ぐのであれば進学してよいと言ってくれましたが、私の心の中は常に揺れ動いていました。

そんなある日、父が1冊の本を買ってきました。ソニーの盛田昭夫著書の「学歴無用論」です。この本を読んでいくうちに、こんな素晴らしい経営者のいるソニーに入社できたらうれしいな。ソニーならいくらでも成長できるチャンスがあるなと思いました。著書やその後の盛田氏のインタビューで、学歴も大切だがそれ以上に自分を磨いていくことが大切であると言っています。学校には2名の募集案内が来ました。受験した2名はともに合格。私は施設部門、もうひとりはオーディオ事業部へ配属になりました。

5.1986年FM推進組織誕生

ファシリティマネジメント(FM)という言葉が少しずつ世の中で聞かれるようになってきたころ、ファシリティ管理担当部長のT氏からワンストップソリューション可能な総務を作る、FM推進の組織だ!と説明がありました。

これまでの総務部は、必要な手続きがすべて各課単位の縦割りになっており、社内のユーザーから見ればお役所仕事そのものと感じていたに違いありません。引っ越しは庶務課、什器備品の購入は調達業務課、電話・FAX、Telexは通信課、工事は施設課、そのようにそれぞれに依頼書を記入し依頼しなければならなかったのでした。

T氏は、社員にとってこんなに不親切な総務部はない!、もっと社員のためになる利便性の高い組織を作り運営しなければ駄目だ!と訴え、FMを推進するオフィス管理課が誕生しました。このオフィス管理課には、部下として各課の係長1名以上が兼務でアサインされました。絶対に各課が協力できる体制にするためです。このオフィス管理課のミッションは、ワンストップソリューションだけではなくオフィススタンダードや社内家賃制度、そしてスペースポートフォリオ戦略へと広がっていきます。

1987年には係長、課長として統括課長を拝命しFM推進のこの組織を引っ張っていくことになります。

続く

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