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マシュマロのように柔らかく

いたずらが楽しくなってきた坊や

4月から保育園に通い始めた坊や。

5月病ぎみだったのが最近は楽しくなってきたようで、家でやっているようないたずらを保育園でもしているとのこと。

具体的には(1)食事中にコップのお茶をわざとこぼす(2)テーブルやイスなどの上に立つ―の2つ。

今週、坊やを迎えに行くと、年配の保育士さんに「お友達のお茶もこぼして先生たちの反応を見てるんですよ。家でちゃんと叱っていますか? ダメなものはダメだとちゃんと教えてあげてください」と言われた。常々「ダメ!」とは言っているけど、甘やかしているように見えるのだろうか? 叱りが足りないとでも言うのだろうか?

叱って言うことを聞くのならとっくに聞いてる

叱って言うことを聞くのならこれほど楽なことはない。叱ればいいだけだ。でも叱っても言うことを聞かないからパパも困っているのだ。

そもそも、子供に限らず叱ってうまくいくのか? 何度も同じミスや過ちを犯す人はいっぱいいるし、叱って効果があるのならこの世はもっといい世の中になっている。厳しい教師のいる親や学校や塾の子がすごくなって、五輪とワールドカップは北朝鮮が優勝するだろう。

マシュマロ実験

マシュマロ実験というものがある。研究者が子供の前にマシュマロを1つ置いて「今から20分食べずに待っていてくれたらもう1個あげるよ」と出ていって子供がどうするかという実験だ。

待っていた子は待てなかった子に比べて理性的に我慢する力があり、その後の人生を見ると大学入試の成績が優れていたらしく、言うことを聞いて待てる子はいい、と言いたい時によく引き合いに出される。

この実験には賛否あるそうだが、私もこの実験と、実験を支持する人々の論法には懐疑的だ。

大人の言うことを聞いて待てる子は成績がよくても幸せかどうかは分からない。我慢する人生よりその場ですぐおいしいものを食べ続ける人生のほうが学歴や収入は低くても幸せかもしれない。

あと、これはスティーヴン・コトラーの『超人の秘密:エクストリーム​スポーツとフロー体験』に書かれていたが、エクストリームスポーツで超人的な能力を発揮する天才というのはマシュマロを20分待つような現実原則で動く子供ではない。常に刺激を求め続ける快楽原則主体の子供が成長して天才と称されるようになるそうだ。スポーツや芸術で活躍する子はマシュマロをすぐ食べてしまう子なのかもしれない(スポーツや芸術でも1万時間以上の退屈な練習を根気強くやる能力が要るそうだがそれはまた別の話)。

マシュマロのような柔軟性で

とにかく、マシュマロ実験をうのみにせず、たとえルールを逸脱するようなことをする子供でも、親としては叱り飛ばすようなことはしたくない。それこそマシュマロのような柔軟性で、マシュマロのように柔軟な子供を優しく見守ることも大事ではないか。

「みんなちゃんとやってるでしょ」と2歳児に言っても分かるものだろうか? 分からないだろう。保育園の集団生活で規律を守ることは保育士にやってもらって、家では規律がなるべく必要でない状態にしておいて(コップは蓋つきのものにする。本当に登ってはいけない場所には登れない状態にしておく。など)、あとはなるべく楽しく能力を伸ばせるような環境にしたい。

ただでさえ共働きで一緒に過ごす時間が少ないのに、ダメダメ言って窮屈な家庭にしたら人生がつまらなくなる。自分が子供の頃、そんな人生を送りたいと思っていたか? 私の場合、最初からレールを踏み外しまくった人生なので坊やの自由をなるべく尊重したい。管理重視の人間がいろんなところにうようよいるが、個性豊かな坊やと彼らの間でうまく調整してあげるのがパパの役割になってくるんだろうなあ。

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