20231011

明日発売のモーニングに自分の出張読み切りが載るというので久しぶりにポストを開いたら「重要」「親展」といった類の警告色を放つ書類がわんさか出てきて、さっき夕食を買いに出たのにな、とか思いつつもう一度コンビニへ向かう。
「親展」とはあんたにすごく怒ってますよ、という意味の熟語で、この熟語について義務教育中に習うことはない。そもそも「親」という漢字は小学2年生で教わるのに、「展」という漢字は小学6年生で習うあたり、この国の意地の悪さが透け見える。

最寄りのコンビニへ向かう途中で死んだゴキブリと生きたゴキブリを見かけた。

ATMへ寄ったあと、店内をぐるっと一回りしてレジへ向かう。雑誌棚には、モーニングはまだ陳列されていない。
3,4枚ほどの書類をレジに並べる。すみませんお願いします。
いつも深夜お世話になっている店員さんが手際よく年金やら水道やらのバーコードを読み取っていく。

「57000円、このお取引は現金またはnanacoのみのお取り扱いです。」

「現金」ボタンを押して、さっきおろしたばかりのぴんと張った6枚の紙きれを投入する。
57000円。

原稿料をページ1万として、5.7ページ。
アシスタントさんには日給1万でだいたい2pの背景を担当してもらうので、
2pしっかり描き終えたとき懐に残るのは1万。つまり5.7万円生み出すには、11.4p必要なわけで、これはだいたい丸3日間机にかじりつく必要がある。
つまり日給は1.9万、時給というのは割り算で変わるので、割る方の数が2桁以上になる場合あまり計算しないことを勧める。

こんなもんかあ、といった感じだ。
今日の朝何を食べたか、そもそも食べたのかすら思い出せない生活のなか、スキニージーンズの布がどんどんあまりはじめ、右耳が突然詰まったように聞こえなくなりながら絶望的な気持ちで原稿が遅れているむね担当に報告している日も税金は取りたてられるわけで、決して少なくない枚数の現金がレジに吸い込まれるときに思う。
1,2,3,4,5,6。
こんなもんかあ。

「楽観主義者はドーナツを見て、悲観主義者はその穴をみる」
と言ったのはヒプノシスマイクの飴村乱数(あめむららむだ)くんで、さらに元をたどればそれはオスカーワイルドの格言とされている。

おれは最近すごく悲しかったり怒ったりしていて、それはドーナツの穴を見るようなものなのだが、同時にドーナツの穴を見続ける人たちにもまた怒っている。
痛みそれ自体を見つめてもそこにはなにもない。痛いという事実があるだけで、痛みについて考えても痛みについて深く理解し、使いこなせるようになることはない。そんな日は訪れない。

「親展」とはあんたにすごく怒っています、という意味の熟語である。

結局怒りとは、おれであり、またあなたたちに残された、自分よりずっと大きな構造への再帰的な真似事としての娯楽なのだなあと思う。


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