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待ち受けていた現実②

留置所や拘置所、ましてや刑務所から出所してきた人は全然夜寝れないと聞いたことがあったのだけどその噂は本当だった。
身体は疲れ果てていたはずなのに何時になってもまったく寝れないのだ。
刑務所では毎日21時消灯でその30分後には眠りについていた。毎日8時間以上寝ていたのに。それが刑務所のようなせんべい布団でもぺったんこの枕でもなくふわふわの布団でフカフカの枕で寝れるのに全然寝れない。電気も真っ暗な部屋で寝るのも数年ぶりだったので最初はなんか怖かった。
ちなみに刑務所や拘置所、警察の留置所では絶対に部屋が真っ暗になる事はない。収容者の状況を外から刑務官たちが確認できるように結構明るめのオレンジ灯がついている。彼らが恐れているのは逃走とかではなく収容者が自殺する事なのである。

眠れない夜は1日や2日では終わらなかった。その後数週間とその現象に悩ませ続けられるのである。

次の日僕は仮釈放の間、月に一回就職の状況や、日々の生活などの現況報告をするために保護司の元へ向かった。
この保護司が僕との面談の情報を地域の保護観察所に報告する役目を担っている。
僕の保護司は家から車で5分のところに住んでいる70歳くらいの女性だった。元学校の教師。とても人の良さそうなおばあちゃんだ👵
その保護司のことは詳しく書かないが、僕が行くといつもお菓子とコーヒー☕️を出してくれるいい人だった。

早速僕は次の日から動き始めた。
刑務所の中で構想していた新しいビジネスを始めようと昔の知り合いや、付き合いのあった社長に連絡をとり始めた。
全財産15万円のお金が全くない僕はまずは資金援助をしてくれる人を探さなければならなかったからである。

まずは1人目。娑婆にいた時から気軽に1000万単位のお金を融通してくれていた20歳ほど年上の車屋と不動産業を営んでいる社長のA氏からだ。
電話番号が変わってないかは心配していたもののその他に心配することなど何もなかった。きっと喜んで僕の再出発のために力を貸してくれるものだと確信があったからだ。まるで、ずっと抜けれなかったレンジLINEをやっとブレイクして見事なレジサポ転換を果たしたチャート📈でのエントリーのように!

ブルルルル。電話の呼び出し音が数回なった後社長の声が聞こえてきた。

自分「社長お久しぶりです。〇〇です。昨日刑務所から出社してきました。」

A氏「おー!出てきたのかー。それはよかったなー。一度コッチにこいよ。飯でも食べにいこー。」

自分「はい。ありがとうございます。」

その後刑務所での話や近況報告など軽く話をして後日会う約束をしてから電話を切った。
いい感触だった。

他にも何人かに電話をかけてみたが、知らない番号のせいか誰も電話には出なかった。

そのあと、数人からコールバックがあり、刑務所から昨日出所したこと、今は実家にいることなど話をして後日飯でも食べにいこーという約束をして電話を終えた。

その2日後、A氏と食事をする約束をしていたので愛知県名古屋市の繁華街錦3丁目に向かった。
数年ぶりの錦は相変わらず賑やかで楽しそうな場所に感じられた。特に女性に免疫がなくなっていた僕はひっきりなしに通り過ぎるホステスや仕事帰りのOLを見て時間を潰していた。

よし。また返り咲いて絶対ここで遊んでやるぞ!

そう思いながらこの先の未来に期待を膨らませていた。

そうこうしているうちに約束の時間になり社長との待ち合わせ場所のお店へと向かっていった。お店に予約名を告げて入り、部屋で社長が来るのを待っていたら、まもなく社長がやってこられて笑顔で握手をしてくれた。

それから豪華な食事をご馳走になりながらいろいろお話や娑婆での出来事など聞かせてもらいお酒も進んできたところで、僕はビジネスのための資金援助のお願いをしてみた。

僕の予想していた回答は
「わかった。〇〇がそう言うなら貸してあげるよ。で、いくらくらい必要なんだ?」

というよくな感じだった。

しかし、皆さんの予想通りその期待はまるで、強固なレンジLINEを突破して見事なレジサポ転換を果たしたのにも関わらず、ロットを張ってエントリーした瞬間に大陰線が発生したかのように予想もしてなかった答えが返ってきたのだった。

つづく


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