祖母のこと

今年7月、大好きな祖母が98歳でお浄土へ旅立ちました。どんな時も前向きで気丈で、気品を忘れずにいた祖母。日々の姿から大切なことをたくさん教わりました。

2月の98歳の誕生日の頃、まだ元気だった祖母への思いを文章にまとめていたものがあります。祖母の思い出に残しておきたいと思います。

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祖母は先日98歳の誕生日を迎えました。多趣味で、1人時間の使い方が上手な祖母です。(講演を聞くのが好きで、足が悪くなる前は多方面の色々な方のお話を聞きに出かけていました)小さい頃から色々なところに連れて行ってくれました。美術館やクラシックコンサートなど、良いものを見聞きさせようとしてくれたのだと思います。温泉にも毎年一緒に行きました。思い出は数えきれません。

読書が好きで、テレビも好き、新しい俳優やアイドルの名前もいつも私より先に知っていました。長い間小学校の先生をしていたこともあり、人の名前を覚えるのがとても得意です。

90歳を超えるまで毎日三食台所に立っていました。1人分のお味噌汁を毎食作っていましたが、よそったときにはお鍋に残ることなくお椀きっちりの量になるのには毎度驚きました。(具は毎回違うのに!)
ご飯を多く炊いた日は、お茶碗1杯分150グラムずつをきちんとスケールで測って冷凍していました。

何年か前に、祖母の一日を聞いたところ実にきっちりとルーティンをこなしていることに驚いたものです。

朝は目覚めたら、すぐにお布団から出ずにラジオを聞きながら横になったままできるストレッチをして体を目覚めさせる。

そして、朝ごはんを食べた後、新聞を隅から隅まで読む。(かなり時間をかけて読むと言ってました)
お仏壇に手を合わせて、お経を声を出して唱える。それからお掃除をする。そうこうしていたらすぐにお昼ご飯の支度の時間になるそうです。

お昼寝を30分、3時のおやつを食べて、夕方はお庭を散歩、そしてまたお経を唱える。夕刊に目を通すと、また晩ごはんの支度の時間になると。毎日やることが多くて忙しいと言ってました。

あとスクワットを毎日100回していると言ってました。浅めのスクワットでしたが、それでも100回ですから相当のものです。

食事で気をつけていることは、たくさんの種類を少しずつ摂ること。野菜もとるけれどお肉やお魚を必ずしっかり食べていました。祖母と旅行や食事に行っても、いつも私と同じ量を完食していました。

好奇心が強い祖母は90歳を過ぎた頃に、「スマホを持ってみたい」と言い、
扱えるのかしらと家族皆が思っていましたがすぐに夢中になり、元来の好奇心の強さが仇となりました。90歳超えてのスマホ中毒。。。
とにかくシャキッと姿勢の良かった祖母がスマホ首になり、みるみる首が90度曲がってしまいました。スマホは恐ろしいものだなと思ったものです。

首が曲がってしまっても、変わらず自分1人の3食の食事をきちっと作り、掃除をしていました。シャキッとしていた時より倍の時間がかかっても、きっちりと1日を丁寧に過ごしていました。

その頃、祖母が私に「私がこれからどうなっていくかよう見とき(よく見ときなさい)」と言いました。人が老いていく過程を私の姿からよく見て学べということだったのか、とてもおばあちゃんらしい言葉だったので印象的で今でもよく覚えています。

90度首が曲がった祖母は、体のバランスを崩してある日とうとう転倒してしまいました。背骨を骨折し、1ヶ月入院することに。
お見舞いに行くといつも気丈にしていましたが、90歳を過ぎて背骨なんか折ってしまったら流石のおばあちゃんももうここまでか。見ときなさいって言われたとおり、まさに人が老いて弱っていく過程を目にしてすごく悲しかった。

ところが、、、
1ヶ月に及ぶ入院生活の間ずっと寝ていたせいか、退院の頃にはなんと90度曲がっていた首も姿勢もまっすぐに治っているではありませんか。アメージング!祖母はいつもこうして不死鳥のように蘇る人です。

退院後は、安心して過ごせる老人ホームでの生活を選びました。見事な決断っぷりでした。入居の日には、自宅を出る時きっちり片付けて、今までありがとうと手を合わせていた姿が印象的でした。

ホームで3食提供してもらう生活となり、「急に自炊しなくなったら流石の祖母も認知症になるかもしれない」という心配もよそに、今も変わることなく頭脳明晰、毎日日記を書き(阪神の試合結果を毎日書き込んでいます)、新聞を読み、テレビ欄の見たい番組に赤丸をつけて楽しみにし、読書もして、時に俳句をしたため、手芸クラブにも入り、毎日のスケジュールを忙しくこなす祖母です。

先日は、「最近英語をしている」との言葉に驚かされました。見せてくれたノートには、Sunday、Tuesday、Wednesday、、、と書いてありました。カレンダーを見て書いたのかな。可愛い祖母です。

たまに「何か欲しいものはない?」と聞いたらよく「なんでも良いから本と、それと化粧水、乳液、ナイトクリーム 、チョコレート」と言いました。
お肌のお手入れは欠かしません。このリストに「口紅」が加わることもあります。

いつも綺麗にされてるとか、シミがひとつもないと言われるのだとよく喜んでいました。

娘が「おばあちゃんは歳だからと諦めたりしないところが素敵やね」と言いましたが、本当にその通りだと思いました。

耳が補聴器をつけていても聞こえにくくなり、スムーズに会話することが難しくなったのが少しさみしく、以前のようにもっとたくさん色んな話がしたいです。
祖母が1日でも長く元気でいてくれることを願います。

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ここまでが2月に書いた文章です。

これから5ヶ月後の7月に祖母はお浄土へ旅立ちました。老衰でした。4月頃、食べた物を戻したのをきっかけにそれから2度、肺炎や発熱で入院をしましたが、退院後、祖母の大好きなホームで最期を迎えることができました。

良いホームに入居できる幸運にも恵まれ、「ここにいると安心。ありがたい。みなさん良い人ばかりや」といつも言ってました。いつ訪れても安心した様子で穏やかに過ごしていました。

亡くなる前日、熱がありお医者さんに「しんどいですか?」聞かれても「しんどいことありません」としっかり答えていました。気丈で凛としていて、終いの時まで自分らしくあろうとした祖母。たまに「長生きも大変や」と言っていたように、98歳まで生きるのは日々しんどいことも多かったでしょう。本当にお疲れさまでした。最後まで強く生ききったおばあちゃん、よく頑張ったね。

私が思う祖母のすごいところは、自分をとても大切にしていたところ。自分本位ともいえますが、以前からそれは実はすごく立派なことではないかと思っています。
人のことを気にする前に、常に自分と向き合って自分の内外をしっかりと整えていました。自分本位でもあったけれど、弱音を吐いたり人を頼ったり甘えたりすることなく、本質的なところで本当に自立した女性でした。人生をずっと自分らしく生きて完結させ、旅立ちました。

旅館に行ったら最後に「立つ鳥跡を濁さず」と言いながら部屋の中を整えてお部屋を出ていた祖母の姿を思い出すような、最後でした。

祖母も寿命には抗えず、その時ホーム長さんが教えて下さった表現を借りると「ろうそくの火が最後の最後に燃え尽きるように」寿命を全うしました。最期を迎えようとしている祖母を見て、「立派ですね」と言って下さったのがとても心に残っています。

しっかりしていて強烈なところも多い祖母でしたが、全てを含めてリスペクトする強い女性です。

遠い存在になったはずの今も祖母は私の心の中に居て、落ち込んだ時などに「おばあちゃんどう思う?」と心の中で語りかけます。不思議なことに間髪を入れずに祖母らしい答えが返ってきます。「済んだことは考えても仕方ない」とか。嬉しいことがあった時も心の中で報告したら「そうか、良かったなぁ」と懐かしい祖母の抑揚で聞こえてくる。そんな風に祖母の存在は今もなお、とても近くに感じています。

いつの日かお浄土でまた会える日を楽しみにしています。
倶会一処」



【おばあちゃんのすごいところ】
人に頼らない
人に期待しない
起こること、現実を受け入れる
その上で、粛々とすべきことをする
前向きにやる
泣き言を言わない
知的好奇心を持つ
学ぶ姿勢を忘れない
毎日欠かさず日記をつけていた
80代から漢字教室に。漢検の勉強
97歳で英語書いていた
人の名前を必ず覚える
ありがたいが口ぐせ
毎日のルーティンを大切にする
お経を朝晩読む
朝ベッドで目覚めたらまずはラジオをつけて、手足の先端を動かすことからはじめる
1人分の量のお味噌汁をきっちり作る
ご飯は150グラムずつ計って冷凍
健康でいることは家族に迷惑をかけないように健康でいるように頑張っていると言っていた
精神的に人を頼らず
前向きに、自分を大切にする
文藝春秋を定期購読
本を読み、新聞を読み、ニュースを見て、学びや今起こっていることを知ろうとする
ホームのイベントなども参加して楽しもうとする。
目の前のことを一生懸命し、楽しむ
身だしなみに気を配る
お正月や節目にはきちんと正装する


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