「あのころはよかったな」にひそむ魔法
ヨーロッパに住む、3つちがいの姉がいる。
「結婚したい結婚したい」と一昨年ごろまで騒いでいた姉も、今年の春、 現地で出会ったすてきな人と結婚した。一人の女性から「妻」という顔をもつようになった。
が、いまやLINEで「結婚早まったかなぁ」とこぼすときがある。旦那さんは外国人だから、文化の壁もあるのかもしれない。
わたしが夏休みに、ぶらりと海外へ行くのを見て、「いいなぁ。どこでも行けて。わたしも昔のようにひとり身だったら自由に行けるのに」ともらしたりすることもあった。
その度わたしは思うのだ。
「ずっと住みたいと思っていた場所に住めて、好きな人を旦那さんにできて、お姉ちゃんはないものねだりだ!!」と。
会社を出れば、潮のにおいのする冷たい夜風が肌をふれる。2週間前は「日が沈むのが早くなったなぁ」と冬の気配を感じていたのが、今日の夜風だけで「あぁ、冬がきているんだな」という確信へと変わった。
冬がくると、夏に会いたくなったころがあった。灼熱のコンクリートを歩くだけで汗がでるのもいやで、大通りでもわずかな日陰を探し、にげこんでいたあの時期が、冬がくると恋しくなる。
どんな思いで帰り道、コンビニでパピコを買っていたんだっけ? と思い出したくなる衝動にもかられる。きっと「食欲はないけど、冷たいものだけは食べれそう…あ、2つ入っているパピコにしよう」という感じだったのかな、いい時間だったな、なんて思い出す。
会いたいと思ったのは夏だけじゃない。花のにおいがどこかからして、やわらかな空気に包まれる春もそうだ。
予想以上に気温が高くなった日に「あぁ、こんなに暑くなるなら今日ヒートテックを着てくるんじゃなかった」と後悔しながら歩く時間も、冬がくると待ち遠しくなった。
なんてことを思い出すと、「あぁ人のこと言えないや。わたしも、ないものねだりだったな」と思う。
いまのわたしは、あまり「ないものねだりをする」人間じゃなくなったかなと思う。というのは、あるときふと気づいたからだ。「あのころはよかった」にひそむ魔法が。
あのころの、ドラマや映画はよかったよね
あのころの、あの歌手はとてもよかったよね
あのころのあの人は、とてもやさしくてね…よかったのよ
あのころの若者はなぁ
よく耳にもすれば口にする「あのころはよかったな」ということば。
いやいや待って。あのころにも「いま」という時間が流れていたときがきっとある、というかあったはずだ。だけど、当時の「いま」の良さをちゃんと感じていたと思う人はどれくらいいるのだろう? とふと思うことがあった。
人は「あのころ」という幻影に思いをはせてしまいがちな生き物だと思う(そして「いつか」という将来にも)。
「あのころはよかったな」ということばには、「数年後からみたら、いまが「あのころ」になる」という魔法がかけられているはずだ。
その魔法に気づけば、いつか「あのころ」になる「いま」を大事にできるようになるかもしれない。そうしたら、きっとないものねだりも少なくなるかもしれない。淡々に流れていく日々も愛せるかもしれない。
そんなことを、冬の訪れとともに、じぶんに言い聞かせています。
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