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その「いつか」は、やってこない

「なにか、やりたいことはあるの?」

と聞かれると、ウッと構えてしまう。即答しないと「なんも考えていない子なんだな」と思われてしまうのもいやだし、かといって、思ってもいないかっこいいことばを並べるのもいやだ。「いずれ海外ではたらきたいと思っています」という昔からある思いは伝えて、乗り切ってきた(つもりだ)。

自分の人生をふりかえりながら就職活動にのぞんだのは、もう5年前になる。

例年よりも雨がつづく今年の9月と10月、就職活動以来、まじめに自分を見つめてみる機会があった。

「やってみたいことを100個かく」というものを、初めてやってみたのだけど、意外と書けないもので。「え、わたしってこんな人間だったの? もっと書けるでしょう?」というじぶんに対する残念な気持ちでいっぱいになった。

でも、あとから考えると「数じゃないよな、いま自分がどう感じているか、じぶんを知る手段の一つなんだよな」とも思った。

書いた内容を見返すと、「あれもこれも、ずっと前から思っていたことなのに、やりきれてないな」と気づく。いまはいまで、しごとは忙しいけれど、楽しいしやりがいもある。友だちや先輩にもめぐまれ、とても幸せな日々を送っているとも思っている。

でも20代後半に入り、口にしたことはなかったかもしれないけど、心のどこかで

「いつか、逆転ホームランをかますんだから」
「いつか、生涯寄りそえる人に出会えるはずなんだから」
「いつか、大きな仕事をやりとげるんだから」

そんな「いつか、いつか、いつか……」を知らず知らずのうちに、呪文のように唱えていたのかもしれない。

そう気づいてから、ただ思う(願う)ことはなんて簡単なんだろうと思うようになったし、ただでさえ時間がすぎるのは早いのに、なにもせず「いつか、いつか」と時間がすぎるのはいやだなぁと思うようになった。

noteをはじめようと思ったのは、心の中にひそむその「いつか」がやってくるようにしたいと思ったから。

マガジン名を「あかさたな」にしたのは、子どものころにあたりまえのようにおぼえる「五十音」のように、ただ過ぎ去るあたりまえの出来事などもしっかりと刻みたいと思ったから。

スーっと流れていく日常の中で思うことが、じぶんをきっと形づくっているはずだと思うのだ。

これもじぶんだ、とあきらめ、認め、いやあきらめない、と思ってしがみついて、数年後に「あぁ、なんてひどい文章なんだ」と半ば笑い話のようなものになれば、きっとそれはそれで成功なんじゃないかな、と思う。

とは思いつつ、じぶんのために綴っていくこの文章たちが、どこかのだれかに共感してもらえたら、だれかのあるきっかけにつながったら、それはそれでうれしいものだ。

#日記 #エッセイ #決意

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