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[ヘアケアの歴史]色褪せない、大正レトロから昭和初期のモダンガール

激動の時代をたくましく生きた近代日本の女性たち。和と洋の良いところを上手に組み合わせ、独自の文化を作っていました。当時の画像から、今も色褪せないファッションとヘアスタイルを考察します。

大正時代初等

ヘアスタイルは束髪(三つ編みのアレンジ)くずし。
香油や水油など粘度の低い整髪料を使って作っています。才色兼備の「女学生」は当時の憧れの的。「ハイカラさんが通る(大和和紀による日本の漫画)」の影響もあり、ハーフアップ・大きなリボン・袴にブーツの装いは今でも卒業式で人気があります。

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出典:https://ameblo.jp/6008473/entry-12598251410.html


大正時代中期

ヘアスタイルは耳かくし。
「短い髪への憧れ」はあるけれど、当時は髪を切ることはタブーだった時代。髪にウエーブをつけ、サイドに流して両耳を覆い、毛先を後頭部でまとめた髪型を「耳かくし」と呼びました。整髪料はポマードなど重めのもので固めていました。和服にも洋装にも合う髪型で大人気でした。
画像に「千代田ヘアートニック 最も進んだフケ取り香水」と書かれています。このようなヘアケア剤が売られていたことから、当時は頻繁にシャンプーをしていなかったことが想像できます。

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出典:https://kamigata-jpboss.blogspot.com/2019/11/blog-post_393.html


大正時代後期

ヘアスタイルはショートボブ。
結い髪ではなく“断髪” に帽子、スカート丈はヒザ下、ヒールにソックス、小さめのバック。モダンガールの登場です。近代化への過度期の空気感は今見ても新鮮です。

都市部に限定されていましたが、モガ(モダンガール)と呼ばれる当時の先鋭的な女性たちは、和の文化の中で意思を持って髪を切ることで自己を表現しました。新しいものを面白がり、西洋のファッションを取り入れた女性たちが時代の先端文化でした。

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出典:https://fasshongazoku.blogspot.com/2020/10/blog-post_791.html


まとめ

1914(大正3)年から1918(大正7)年の大正初期に第一次世界大戦が起こりました。戦時中は世界的な品不足から、日本は好景気になりましたが戦後は大不況に陥ります。
1918〜1920年にはスペイン風邪が世界的に流行。1923年には関東大震災。その後の慢性的な不況は日本を戦争に向かわせる大きな要因となりました。
昭和に入り近代化が進み、新しい中産階級が生まれます。庶民の生活は洋風化が進み、便利になりました。しかし都市部と農村、貧富の差といった格差社会が広がっていきます。
洗髪剤は1926年に葛原工業より「モダンシャンプー」が出ましたが売れず、その後1932年に花王から「花王シャンプー」が発売されました。しかし庶民には石鹸や昔ながらの麩海苔の洗髪が一般的でした。
昭和15年に男性はカーキの国民服が義務化され、女性にはモンペ着用が奨励されました。否応なしに服装選択の自由を失っていきます。
ファッションはその時代と社会を表すものです。モダンガールたちの進化はここでいったん小休止し、第二次世界大戦後まで息を潜めることになります。残念です。
今では考えられない厳しい時代に生き生きとファッションやヘアスタイルを楽しんだ先人たちがいたことは、私達に勇気を与えてくれます。

史実から当時の人々の心意気を感じることは、未来を考えるための気づきや原動力になります。みなさんも「!」や「?」が生まれたらぜひ教えてください。ご意見・ご質問をお待ちしています。

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この記事は 永森博明 が書きました。


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