[ヘアケアの歴史]昔も今も変わらない女性の美意識
あなたは、何日に1回シャンプーをしますか?
今では毎日髪を洗うのが当たり前ですが、日本のシャンプーの歴史は意外に浅いのです。
初めて今のような液体シャンプーが発売されたのは、昭和5年(1930)ライオン油脂 「スミダ髪あらひ」という商品。
ヘアスタイルの歴史を辿ると、その当時の女性の美しさや美意識に触れることができます。洗髪やヘアケアを通じて、当時の文化とヘアスタイルを振り返ってみましょう。
今回は「飛鳥時代から江戸時代」をご紹介します。
髪を洗うのは、年に数回!?
日本での洗髪が初めて確認されたのは飛鳥時代です。
それまでは儀式として髪を濡らすことはあっても、衛生的な意味で髪を洗うという発想は無かったと言われています。
6世紀に仏教が伝来したときに、心身を清める沐浴のため寺院に浴堂が設けられました。そこで始めてお湯や水を使った洗髪がはじまりました。そのときに洗髪剤として植物の実や皮を煮出したものを使っていました。
平安時代になると、女性の美しさの条件は“艶のある長い黒髪”でした。貴族の女性は「垂髪(すいはつ)」といって長く垂らした髪型が主流でした。お手入れは「髪油(かみあぶら)」と呼ばれる植物性の油を使って櫛でとかし、お香で香りつけていました。
平安時代中期に成立した「宇津保物語(うつほものがたり)」に、洗髪の様子が書かれています。
それによると、身長を超える長い髪を洗って乾かすのが朝から日暮れまでの一日がかり。
侍女たちが、女性の両側に並んでお湯で何度も洗うのですが、髪が長くて多いので思った以上に時間がかかったとあります。
洗髪剤は「泔(ゆする)」と呼ばれる米のとぎ汁や「澡豆(そうず)」という小豆の粉や「灰汁(あく)」という灰を溶かした水の上澄みなど使っていました。自然乾燥なので乾かすのがまた大変。丈の高い棚の上に敷物を敷いて、その上に髪を広げて乾かしていたとあります。
洗髪は年に数度くらいですが、枕草子に「心ときめきするもの(心がときめくもの)」 として 「頭洗ひ化粧じて、香ばしうしみたる衣など着たる」(髪を洗って化粧をし、良い香りの着物を着る)とあります。長い髪を洗うのは大変だったようですが、当時の女性も楽しみにしていたのでしょう。
出典:ポーラ文化研究所
江戸時代中期になって、洗髪は月に2〜3回に
江戸時代に入っても公家や上級武家の女性の「垂髪」や「下げ髪」といって長い髪を垂らす髪型でした。
一般の市民の間では、女歌舞伎や遊女が結った「兵庫髷(ひょうごまげ)」や「島田髷」、「勝山髷」などをまね日本髪の原型が出来上がります。結い上げる髪型も複雑で造形的になるにつれて整髪料に「鬢付け油(固形の油)」が使われるようになります。
髪についた鬢付け油を洗髪するのも大変で、乾かすのも自然乾燥ですから一日がかりでした。
江戸時代はたびたび大火があったため、一般の町人は防災の観点から内風呂はありませんでした。銭湯は多く、庶民の社交場になっていましたが、お湯を多く使う洗髪は禁止されていました。
一般の町人は温かい日に縁側や庭先で、たらいにお湯を入れて洗っていたそうです。
鬢付け油は「泔(ゆする)」と呼ばれる米のとぎ汁では落ちきれないため、布海苔などを使った手作りシャンプーを作っていました。
江戸時代の美容書「都風俗化粧伝(みやこふぞくけわいでん)」によると、布海苔を熱いお湯で溶かしてうどん粉をいれます。よく混ぜたものを髪に揉み込み、お湯ですすぎ最後に水で流せば、油も臭いもキレイに落ちて艶もでたとあります。
どの程度キレイに洗えていたかは気になりますが、明治時代に石鹸が一般に普及するまでは洗髪剤として広く使われていました。
出典:Japaaan magazine
当時の女性はオシャレをとても楽しんでいたんですね。
髪のお手入れに使う材料は少なく、衛生環境も悪く、髪型は身分や風習で決められていた不自由な時代。そんな中でも「美しくありたい」という思いは今と同じだと、文献や絵画などから感じられます。
しかしヘアケアに使う材料は植物や海藻が原料ですから、ある意味ではオーガニックコスメといえますね。
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この記事は 永森博明 が書きました。