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愛想笑いのたびに感じる敗北感…ビジネスパーソンの心を蝕むものの正体

土日祝日だろうが、入校日や校了日だろうが毎日更新している弊社編集部のnote。
私は週1で担当しています(週2担当もいます。頭が下がります)。たった週1でも、終わりなき起伏のない日常を送っている「こどおじ」(子供部屋おじさんではなく、空気階段のもぐらさんが言っている「孤独なおじさん」)としてはしんどいです。
「書くことがねえ……!」
そんな私は、他の編集者のnoteをたまに読むと自己嫌悪に陥ります。
「ああ、オレは編集者として、というか、ビジネスパーソンとして終わってるな」と。
かれらの熱量や仕事人としての意識が半端なく高いので気後れ感MAXです。新人編集者の記事なんて、キラキラ眩しすぎて直視できません。

さて。
冒頭をネガティブに書いたところでお届けしたいのが北畑淳也『世界の思想書50冊から身近な疑問を解決する方法を探してみた』で、A. R.ホックシールド『管理される心』(世界思想社)を紹介している箇所です。

ここでは、「なぜメンタルをやられるのか?」というテーマで解説しているのですが、これを読むと、仕事をするうえで、追従笑いをしたり、頑張ってます感を出すパフォーマンスをせず、たまには本心をさらけ出しほうが精神衛生を保てるんだということに気づかされます。
すると、「めんどくせーな、オレの記事なんて誰が読むんだよ」と思いつつも、週1でこうした記事を書かせてもらえるのは一周回ってありがたいことと思えるようになります(なるか?)。なぜかって、こんなふうに自分の本心を少しでも公にさらけ出せるのですから。ある意味、このnoteを書くという行為は、読者へ対するというよりも書き手のメンタルヘルスに寄与しているのです。
以下、本記事用に一部抜粋・改編してお届けします。


なぜメンタルをやられるのか?

 日々会社勤めをする中で、「精神的にまいっている」と感じたことはありますか。
 恐ろしいのは、「メンタルがやられる」という現象には共通点がないことです。
 たとえば、仕事がうまくいかない人だけに起こるのであれば、解決は容易です。どうすれば実績が出るのかをみんなで考えたり、評価制度を多少いじって結果へのウエイトを少し緩めることで解消するでしょう。しかしこの現象は、仕事が絶好調で順風満帆に見える人にも起きています。私自身、営業成績で会社のギネスを更新した翌月に休職した人を見たことがあります。ドラマではあまり見られないような光景が現実では起きるのです。
 本節では、現代社会で多くの人の感情を苦しめる状況を描いた1冊を紹介します。アーリー・ホックシールドの『管理される心』です。「感情労働」という概念を提起した本として有名なのですが、「なぜ多くの人のメンタルがやられるのか?」という本テーマについて考える上で非常に示唆に富んでいます。

メンタルをやられる原因

 まず、「メンタルをやられる人」が現代社会で増えている原因についてホックシールドの見解を見ていきましょう。
 一言でいうと、産業構造の変化に伴い、「肉体労働」に対して「感情労働」の割合が増えたことです。つまり、昔に比べて、多くの人が賃金を得るために肉体よりも感情を酷使する社会になったのです。
「感情労働」という言葉はホックシールドが提起した概念ですので、少し詳しく見てみましょう。
 まず、〈感情労働は、個人が持つ自己に関する意識への挑戦〉を強いるものです。つまり感情労働は、自分のあり方に関わる労働ということです。そして、〈「ほんとうの自己」と感じているもの〉と〈内面的なあるいは表面的な演技との間に不一致があるときには、それは何とかしなければならない〉と考えることを要求するのです。
「感情労働」という行為は、本来的に自己の所有物であるはずの〈感じ方や感情の表し方に関する規則が経営者側によって設定されている〉のです。つまり、感情労働は、本来の自分と演技している自分とで不一致があり、経営者によってどのような自分を出すかを決められる労働ということです。
 逆に、〈「高潔な野人」のような人間は(中略)ただ「自然に」笑うのだが、ウェイターやホテルのマネージャー、客室乗務員といった仕事をこなせる見込みはほとんどない〉のです。
 ありのままに感情を表現することは「感情労働」とは正反対なのはいうまでもありません。

感情労働を構成する表層演技と深層演技

 それゆえ、「感情労働」を行うには「演技」が求められます。
 実際、彼は「感情労働」を2つの演技段階に分けています。1つが表層演技の段階で、もう1つは深層演技の段階です。それぞれがどういうものかを見ると「感情労働」の正体はより鮮明になります。
 まず、表層演技のほうですが、これは〈自分がほんとうに感じていることを他者に対してごまかしている〉状態で他者と対面することをいいます。つまり、「表層」という言葉が指すとおり、ある感情を抱いていることを相手にアピールするものの、根底では自分がそのようには感じてはいないという自覚があるのです。たとえば、「クソみたいな客だな」と思いながら笑顔をにっこりつくって接客をするのは表層演技といえるでしょう。
 一方で、2つ目の深層演技はこれより一段深い演技です。なぜなら、深層演技は〈他者を欺くのと同時に自分自身をも欺いている〉からです。

メンタルをやられる人たちの末路

 ここまで2つの演技について触れました。彼が「感情労働」を定義づける上で力点を置いているのは、もちろん深層演技です。思ってもいないことを訓練によって思うようにし、演技することでギャラをもらう劇団員と、消費者が求める感情を演じることで賃金を得ている感情労働者は本質的に同じだと彼は考えているのです。
 ただし、両者の間には明確な違いがあります。演技終了の合図があるかないかです。つまり、劇場であれば、幕が下りれば演技は終了し、幻想は消えるわけですが、日常生活で行われる深層演技にはこのようなサインがありません。これは些細な違いに見えるかもしれませんが、実は感情労働の危険性を示す大きなな違いです。
 なぜなら、他者の期待に応えるために〈感情をますます支配や操縦の対象とし、多種多様な管理の形に従わせ〉ようとする終わりなきループに入り込むからです。
 もちろん、ご自身が生涯を通して自分自身を完全に欺き通せるのであれば心配には及びません。しかし、多くの人が現代社会で精神に支障をきたしているのは、この自己欺瞞による歪みが原因です。
 本来の自己と演技する自己の区別がついている間はまだ大きな問題は起きません。問題はこの区別がつかなくなるときです。
「感情をコントロールできる」と聞くと、一般的にそれは「良いこと」とされます。確かに、嫌なことがあるとすぐに泣き出す大人が目の前に現れたらドン引きします。しかし一方で、すべての感情をコントロールし尽くし、そのつど他者が望む感情を自在に表出できる人のほうがもっと恐ろしいかもしれないというのがホックシールドが伝えることです。
 いずれにしても、記憶に留めておきたいのは、今の社会は「感情」を差し出すことで対価を得るということが非常に広く見られる社会構造になっています。それゆえに、ここまでに書いた話に無縁でいられる人は極めて少数であり、誰もがいつの間にか気づかぬ間に自己欺瞞による精神崩壊を起こす可能性があるのです。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


(編集部 いしぐ ろ)

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