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Anger is the name of an angel

朝起きて不条理な気分になって怒り狂った。なんて珍しい。とても久しぶりのことだ。でもその怒りの根底は悲しみ、傷つけられたという思いなのでパワフルになるタイプの怒りじゃない。エネルギーがごっそり抜けるタイプの怒り。悲しくなったので怒った。もう怒ってないけど胸は痛い。よしよし、わたし。

傷ついた人は自分が傷ついたという事象を正当化して他者を傷つける。手負いの獣は差し出された手に噛み付く。どれだけの正当性を装っても、他者を傷付けるために書かれた言葉は「叫び」にしか聞こえない。その人は傷ついているんだなあと立体的に感じる。私も傷ついたけど、相手には癒せないだろうと思う、私よりずっと傷ついているからね。怒りをぶつけることで、なにを結果的に求めているのか分からないのだろうなとも思う。自分がやられたことを他者にしてしまうのだねとも感じる。つまり相手の問題なので私が怒ったところでなにも産まないし、私には同じ傷がない。でも、その混乱するエネルギーを感じるから、自分がその対象となった意味はあるのだろうな。つまり、どちらか癒さない限り終わりはないのよ。であれば私が癒すというアクションを選ぶよ。自惚れでなく、できないかもしれないけど。地球をとりまく混沌の想念を少しでも減らしたいってことは、向けられた想念を無視しないことだ。

とりあえずやること。エネルギーをいやってほどタプンタプンに注ぎ込む、向こうが外に求めなくていいほどに注ぎ込む。そういうイメージであり現実の行い。実験でもある。どのような現実として立ち上がってくるのか。

そしてこんな時に独りではないこと。周りの人々の愛。みんな優しいし、私もその人も優しい。だから自分のことを酷いやつだなんて思わないし、そういうゲームはプレイしない。

久しぶりの感覚で、冥王星が山羊座に逆行って感じする。大切だけど大事(おおごと)じゃない。自分の血の気の多さを久しぶりに思い出して、笑ってしまう。

まあ、なるようになる。って感じ!

🌈虹🌈

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