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自己責任論が好きじゃない理由

遡ると19年前の10月になるようです・・・

言葉の使われ方が変わった時

2004年10月、イラクで人質になって殺害されてしまった香田証生さんのことは、私にとっては記憶に新しく、同じ季節が近づいたことも相まってか再び考えさせられているのかもしれません。

私の立場は、当時の社会民主党談話とほぼ一致していると感じたので、
この事件そのものについては、
それをシェアしておきたいと思います。

この事件を機に、
世に「自己責任論」がはびこりました。
この時から、自己責任という言語に、
必要以上に、“救いようがない”“弁明の余地なし”といった批判的なニュアンスが込められるようになってしまいました。
それ以前はもっと、自分が取り扱える範疇の枠組みをとらえていた言葉だったように思います。
しかし一旦、そのように使われ出した言葉を、
たった一人で、フラットなニュアンスで使おうと試みても、
まるで二階から目薬状態・・・

私にとって使いにくい言語になり、19年間ほとんどと言って良いほど、適切に使える場面に遭遇できなかった気がしています。

活動時に自分の物を持ってくる場合

活動を始めて、一年目。
ドローンを持ってくるメンバーさんが居ました。
かのこで初めての精密機器の登場でした。
持って来た子に、
「壊れてしまう可能性があることを承知した上で出してもらえるか?」を尋ねました。
彼はよほど壊れないということを知っていたようで、
大丈夫と言って、活動で使いました。
他のメンバーさんも操縦を楽しみました。

この時も、自己責任で物は持ってきて、の一言で片づけることには、違和感を感じていて、その都度話していくというようにしていました。

それは大丈夫?という物が登場した時に確認するという感じで2年が過ぎました。

立て続けに物が壊れる

2学期になって立て続けに、メンバーさんの持ってきた物が壊れるということが起きました。
一つはとても希少な物だったようで、
壊してしまった方も申し訳ない気持ちでいっぱいになるし、
壊された方もとても悲しい気持ちになっていました。

この時、そこに居た全員での対話が生まれました。
法律をたてにして語ろうとするメンバーが出てきたり、
とにかく弁償だという話に傾きそうになりましたが、
もう買えないかもしれない代物だということで、
話しは息詰まりました。

その中で、
メンバーさんから、持ってくるものはすべて「自己責任なんじゃ?」という発言が出ました。

確かにそうかもしれないけれど、
かのこという場で、それで本当に良いのだろうか?という疑問と、
元来の私の自己責任論嫌いが発動して、
もう少し考えてみようということをその場でも提案しました。

責任の取り方を学ぶ

こういう時、学童期の子たちは何でも学びに変える可能性を秘めていると感じています。
持ってきた人が悪いとは言えない場合というのはないだろうか?
みんなもそれを楽しませてもらった場合、その子だけ残念な気持ちを残して、それで本当に良いだろうか?
そもそも持ってきたその子のせい、と言われてしまうような社会を私たちは本当に望んでいるんだろうか?
そんな疑問とともに、率直に語らいました。

私も代表として責任を感じました。
持ってくる物について、明確にメンバーさんたちに最近は伝えてきていなかったなぁ、とか、
物損についての保険などもあいまいなままだな、とか。
そしてそれも伝えました。
弁償を強く訴える子も居ましたが、
責任の取り方をいろんな角度で考えてみた機会になったと思います。
結果、その物は修理を試みることにはなりました。

責任は感じる人の方に流れる

責任は重力に逆らわないかのように、
感じる人の方へと流れ、重くのしかかっていくように思います。
自己責任論を論じる人は、
他人です。
でも責任を感じているのは、「自己」です。
自己責任は、自分が語るならまだしも、
他人が語ることそのものがおかしいのかもしれません。

そして、
自分の責任を棚に上げているからこそ、
他人の自己責任を平気で言えてしまうのかもしれません。

これまた、必要以上に誰かが責任を感じすぎてしょい込むと、
本来、感じるべき人の責任まで肩代わりすることにもつながるので、
感じすぎず、されど無責任になりすぎずという塩梅があるのだと思います。

かのこで大切にしている「オーナーシップ」にもつながる視点です。

自分の人生の主人公は他ならぬ自分自身であるということ、
自分の人生の舵取りをとることをこども時代から身につけることができるように、
私は私の責任において、この活動を続けていきたいと思っています。

香田さんの二十回忌の追悼を込めて・・・



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