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隈研吾氏の初期作品。那須芦野・石の美術館 「STONE PLAZA」この建物で「イタリアの建築賞」


 特筆すべきは「STONE PLAZA」の運営会社は「株式会社 白井石材」です。個人が当時37歳の隈研吾に依頼したことに感動があり、隈さんも引き受けられた。


宝積寺駅は1899年に開業し、2008年に建築家・隈研吾が設計した駅舎に改築されました。

国際デザインコンペティション「ブルネル賞」で建築部門の奨励賞

こちらは商工会議所が依頼主だと聞きました。しばらく行っていませんが、自然素材を生かした環境にあった都会では出来ない仕事だと感じました。

2001年第14回村野藤吾賞受賞 (那珂川町馬頭広重美術館)

広重美術館は広大な自然の中の屋根が版画を飲み込んで、生き物のように感じました。  

詳細
所在 栃木県那須郡那珂川町
発注 馬頭町(ばとうまち)
設計 隈研吾建築都市設計事務所
竣工 2000年03月

*古い石蔵を再生した「石の美術館STONE PLAZA」は、芦野石を採掘、加工を行う「株式会社 白井石材」が、石を積み上げて造る組石造の代表的な建築物を造る目的から、1991年にプロジェクトが始まり、2001年にオープンしました。

石の美術館を初めて訪れたのは、2009年でした。

農協の米蔵がそのまま残った空間は、郵便局や酒屋のある町の繋がりにありながら、切り取られた別の世界でした。

規模は小さくても水面を渡る石の回路は緊張感があり、一歩一歩が刺激的です。

先日、近く迄用足しに行きました。やっぱり最初見たイメージ通り…20年以上経っても建築物は新鮮でした。


隈研吾が真面目に真摯に石とむかいあった建築だと思いました。

栃木県の三箇所の建築物はそれぞれ個性があって箱物をただ建築家が設計した。

どうだ!の印象はなく階段の駅舎は駅の広場を含めた空間も行き交う人のために…の印象がありました。


特別な県ではないのですが、那須町・那珂川町・高根沢町の田舎町に隈研吾の建築があるのは知的好奇心が湧きます。

しかも隈さん、自分の名前を売るでもなく、土地の自然にあった建物を一個一個丁寧に勉強を重ねられた人柄を感じます。

*先頃、磯崎新の設計した建物が壊される予定だと聞きました。
確か、インドから運んだベニガラ色の石だったと記憶します。
磯崎新氏は昨年(2022)亡くなった。

博多駅を出るとエンジ色の建物が迎えてくれてシンボリックで魅力的な建物でした。

1971年オープンからほぼ半世紀です。(旧福岡相互銀行の本店として開業) 業務上合わない建物になった…との理由に不信感はある。


隈研吾氏はその後、大変有名になられましたが、今も若い建築家がSTONE PLAZを訪れています。 

*那須町にはニキ美術館がありました。フランスの女流彫刻家「ニキ・ド・サンファル」と深く交流のあった館長の増田静江さんが開設した私設美術館。残念ながら閉館になりました。

(現:那須高原 藤城清治美術館)

1994年東京建築賞優秀賞を受賞した建物(開館は1994年。設計は竹中工務店設計部)です。四季折々美しい庭を建物内からも眺められました。

家から15分(車)。ニキ・ド・サンファルにいつでも逢えるため移住したと言っても過言ではなかった。


ちなみにSTONE PLAZ内ではルイ・ビィトンなどのファッション関係の撮影にも使われて、無機質な石との関係が魅力的な画像になっています。

米蔵では音響装置を整えてコンサートなどにも利用されています。

機会を作ってツアーにお出掛け下さい。

*美術館(殊に田舎町での…)の個人の維持管理は大変だと思いました。


直近(STONE PLAZ)に西行に憧れて、松尾芭蕉や小林一茶が訪れた「遊行柳」があります。

ありそうで今はすでに見なくなった周囲の田園風景に溶け込むように残されています。


遊行柳に続く奥の社のオオイチョウは圧巻です。

霊さんが住んでいるような気配を感じます。次の四季の訪れを感じると逢いに行きたくなる…のです。

丁度、代掻きがされて今今に苗を植えようとしていました。勿論マシーンを使って…

奥の細道。

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