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対話の時代

先日,愛知県立大学の公開講座平田オリザさんの「対話の時代に向けて」にZoomで参加視聴しました.その中で私の印象に残った話をつらつらと…
実はTwitter仲間のはまちさんと一緒に参加したので間違いがあったらきっとはまちさんが正してくれると思います(笑)が,短めに私が学んで,ぜひみなさんに共有したいことをまとめようと思います.

私はあなたの敵じゃないですよ

日本人はたいてい,話しかけられると緊張する.
しかし「私は敵じゃないですよ」
という人に対しては誰でも心を許すというお話に,すごく納得.
例えば, 最近はコロナ禍で難しくなったけど,飛行機や電車やバス内で偶然隣り合わせになった人に話しかけるか話しかけないかという場面があります.
お国柄や育った環境なども左右しますが,こちらからアイコンタクトをしたり軽く会釈するだけで,積極的に話しかけないまでも「敵じゃないですよ~」と表明していることになって,なんだか快適な旅になったりもします.
家族との関係においてもなるべく笑顔で肯定的な言葉を使えば「敵じゃないですよ」と表明できて,若干ではあるが良い関係や話しができたりすることも自らやってみて納得しています.

シンパシーとエンパシーの違い「あるホスピスの話」

皆さんはシンパシーとエンパシーの違いが分かるでしょうか.
例えば何か災害があったときに,「かわいそうだ」と思うことがシンパシー(同情)ですかね.(私は折り鶴自体を否定はしないけど)簡単に言えば、被災地に折り鶴1万羽送るとかいうことのようです.
エンパシーは一定の行動を指すのではないけれど,相手の立場に立つ,「他人の靴をはいてみること」です。(エンパシーのことを英語の「相手の立場に立ってみる」って慣用句でbe in someone's shoesって言うんですけど、それがブレイディみかこさんの「他人の靴を履く」っていうエンパシー本のタイトルになってます(とはまちさんに教えてもらいました))

相手や状況によってその質は変化し得るものですよね。平田オリザさんが講演の中で話したあるホスピスでの話.
余命いくばくもない夫とその奥さんがホスピスに入って、強い薬がどうしてうちの夫にだけ投与されるのか、奥さんが毎日毎日看護師さんに聞いてくるので、看護師さんたちはそのたびに懇切丁寧にどうしてその薬が彼女の夫に必要なのかを説明するのですが、毎日彼女は繰り返し繰り返し「どうしてうちの夫にばかり薬が投与されるのか・・」と訊いてくる。
それが数日続いた時回診の主治医の先生にその奥さんが同じことを聞いたそうです。その時、
主治医は一言「奥さん、辛いね

この一言で、奥さんは号泣し、二度と薬のことを言わなくなったそうです。この主治医の先生の一言がまさに、奥さんの言葉の向こう側の(要するに薬がどうのこうのじゃなく、辛いんだ、という)気持ちを観察によってくみ取ったエンパシーによる一言だったのです。

会話と対話の違いと「対話」の重要性

日本語教師なら目にしたことがある「会話」という言葉。
これは「対話」と全然違うモノでした。
会話は、感性の合う人同士,話したい相手と話したい事を話して「だよね!」「だよね!」「ちがうよね?」「ちがうよね!」って話すこと.
対話は、感性も意見も違う相手と「同意はできないけど、そう考えたりそう思うことは理解できる」ことを伝え合うこと.
そして、対話には長い時間や,エネルギーがいるけど,これからはますます国や文化や言語や…何もかもが違う隣人とも「対話」をしながら共生していかないといけないということ.
これらを講演の中で学びました.

(はまちさんにメモしてもらったことを元に書いていますが)
要するに会話と対話は違い,そして今後大切になってくるのが「対話」なのです。
また,重要なのは,会話は相手と自然にできるものだけど「対話」は相手にも対話しようという気がないとできないし,伝え合いたい説明しあうという根気と努力が必要なものです.そして一足飛びに完遂するものではないのです.
そこが非常に難しい点です.

コンテクストのあるコミュニケーションだけが人に残された最後の領域

さて、AIや人工知能が発達して戦々恐々とした世の中になってきましたが,私たち人間がこれらに勝る力を持っている領域が,コンテクストの中でのコミュニケーション、観察によるコミュニケーションです。
相手が伝えたいことを表面的な言葉や見た目だけでなく、日ごろの観察や対話から導き出し、発話することです。(前出のホスピスの話も)
例として、子どもが「お母さん!今日宿題やっていかなかったのに先生は怒らなかったよ!」とニコニコ顔で帰ってきたら、AIなら膨大なデータを元に「宿題はちゃんとやっていかなくちゃだめです」と答えるでしょう。
でも、子供がニコニコして帰ってきた、そのことを日ごろから観察して分かる人間のその子のお母さんなら「え!?先生、すごい!優しいね!ww」と笑顔で答えてあげれば子どもは心から満足するでしょう!というお話もありました。子供がニコニコ顔で一番にお母さんに伝えたいことは「先生優しい!,うれしい!」だからです.私もそう思います.
(教育的観点からは、この後に「次は宿題やっていってね」と言うべきともありましたがwwwそれはさておき…)

会話は,分かりあう文化
対話は,説明しあう文化

対話の言葉はこれまで日本では育まれてこなかったので,
まだまだ対話がへたくそな国なのかもしれません。すりあわせる無駄な時間を作ってこなかった,多民族社会ではなかった日本には対話の言葉は必要なかったからです。(講演会の中で平田さんは,パリ講和会議の議事録に日本の発言は全くなかったということを教えてくれました.説明しあう文化がないということの例として)

今、私たちは分かった会話を楽しむだけではなく、違和感を説明しあい、「同意はしないけれど理解はする」といったことを示していく「対話」の態度が必要です。
多文化共生ということにもとても必要なものです.

(最後に今のロシアについてもお話がありましたがここでは控えます.が,私が理解したこととして,ドストエフスキーやチャイコフスキーなど素晴らしい文家があり,芸術を生み出した国と理解しあえないわけがない,と)

平田オリザさんおすすめの絵本


私は読んだことがなかったのですが、読んでみたいです.紹介します.
どうぶつ会議』ケストナー 岩波の子どもの本


最後に

価値観や意見が合わない相手と説明しあうということが,今の子どもたちや若者にはなかなかないと思います.必要にせまられたらやるのかもしれませんが,今のところそういう子どもたちは少ないと思っています.
私は,大人が対話するところをどんどん見せていったらいいと思います.一番小さな身近な単位で家庭という単位があります.
その中で「同意はしないけど理解はする」ということを目標に説明しあう態度を大人自体が子供たちに見せてあげることが小さな多文化共生の一歩になると考えます.
そして対話ができるリーダーが育まれていったらいいなと思います.


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