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発達性ディスレクシアとUDLガイドライン

先日某セミナーに参加して分かったこと考えたことをまとめます.

学んだこと

・発達性ディスレクシアの定義は文科省で公表している定義などいろいろあるが端的に言えば神経生物学的原因によって読み書きにおける困難さがあることだ.

・読み書きに困難がある状態でノートやメモをとると「書くことで学ぶ」(一般的なメモやノートテイキング等の)方法自体が学習の障壁になる.

・英語だけのディスレクシアもある(高学年になってから,中学生になってか  ら診断される子供もいる)(言語・文字によって音素・音節・語に粒性と透明性があってなりやすい言語・文字というのがある.日本のかな、平仮名は英語やデンマーク語よりディスレクシアが表れにくいが漢字はかな平仮名より音が多く形が煩雑なので表れやすい)

・読み書きに問題がないが、数量の認識や扱いだけに困難がある場合、
程度が深刻であれば算数障害と呼ばれる.(私は当てはまりそう)

・ユニバーサルデザインな授業に関するUDLガイドラインがある.学びのオプションの用意,オプションを選択する自由と周りの許す雰囲気が大事.
→対応 黒板を写真にとってもいいいよ(これはいろいろな問題があるが)音声入力を認めるとか

・UDLガイドライン等チェックリストhttps://udlguidelines.cast.org/binaries/content/assets/udlguidelines/udlg-v2-0/udlg-fulltext-v2-0-japanese.pdf


講師の先生より発達障害について正しい知識や対応方法について知識が得られるサイト(教育者向けも保護者向けも両方ある)を教ええもらったのでみなさんぜひアクセスしてください。

・知って向き合うADHD
https://www.adhd-info.jp/educators.html

考えたこと

・ネット上などで「外国籍児童が発達障害といわれ、特別支援学級に入った」等書かれている方(たぶん、憤りをもっている?)をたまに見る.
必要なことが必要な人に届けばいいと考えれば、発達障害という診断を受けている受けていないにかかわらず、だれでも困ったら必要な配慮が利用できる雰囲気があればなんの区別もなく、困ったら助けてもらえる、といういい流れができるのではないかと思う。外国籍児童生徒も明らかに困っているからゆっくり学べる場所に移動したと考えればいいだろう.憤りを感じること自体がちょっと問題なのではないだろうか.
所属(外国籍や発達障害や、グレーであるとか特別支援や普通クラスなど)に関係なく困ったら助けてもらえる、助けるからね、助けよう、助け合おう、ということを学べるのが学校だと思う.合理的配慮という言葉もいずれ自然になくなっていけばいいなと思う.合理性よりも困っている事実が重要だ.
しかし,なかなか簡単なことではないということは分かる.











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