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Prismaticallization(プリズマティカリゼーション)プレイ感想

1999年にアークシステムワークスから発売されたサークレイト・アドベンチャー・ゲーム(リンクはSuperLite版)。

ジャケットがメチャメチャオタクカッコいい

積みっぱなしになっていたのを三連休でプレイした。
ネットでは内向的で衒学的な主人公の語りがウザいとか書かれていたけど全然気にならなかった、むしろこういうの大好き(精神がイキリ高校生オタクなので)。

グーで負けた。グーで負けるというのは、保守的なために敗北したかのような、苦い後悔が残るものだ。

Prismaticallization/射場荘司

提示されるフラグを立てるか立てないか選択し、何十周(場合によっては何百周)も周回して試行錯誤するゲーム(なのでサークレイト・アドベンチャー・ゲーム)だけど、保持可能なフラグ数が5つと厳しく、セーブデータも3つしか持てず、早々に無限ループに入ってしまったので、同時に購入していた攻略本を読んでプレイした。攻略本通りやってもなぜか幾つかのルートに入れず、一部は自力で攻略することになり、フラグやシステムを理解できたので結果的に良かったと思う。

テキストボックスが小さく文字がデカいのでワンセンテンスが小気味よくまとめられており、テンポがメチャクチャ良かった。
一番好きなのは澄香ルート(ジャケットの子)。

ネットでは電波キャラとか言われてたけどちょっとエキセントリックなだけと思った
(キャラクター紹介では「頭悪い」と書かれている)


以下ネタバレ

「自ら踏み出すことができなければ、それは何も変わらない。前に進むことは、それだけで素晴らしい。」というこのゲームのテーマが最も明快に描き切られていたのが澄香ルートだったと思う。

Prismaticallizationの主人公は行動できない。自分を取り巻くものに対して批判的な思考をこねくり回すだけで、外に対しては何もしない。そしてそのことを自分で認識した上で、周囲と軋轢を起こさないようやり過ごしている。

受験勉強しているだけでこれ

おそらく彼は懐疑主義者ではないが(多分懐疑主義そのものはバカにしていると思う)、そのスタンスはすべてに対して懐疑的である。懐疑に対しても懐疑するといよいよ立ちすくむしかなくなってしまう。そして他者に対しては臆病になる。

我々はしばしば、他者の心を見誤り、曲解し、そこから衝突やすれ違いが生まれる。相手がどう思っているか、何を考えているかが不安になり、そこから不信や怖れが生まれる。他者の不透明さは、我々が人生のなかで経験する苦悩の主な原因のひとつだ。
他者の心をめぐる苦悩から逃れることはできるのか。他者の心を確実に知ることは果たして可能なのか。「他我問題」とも呼ばれるこの問いに対して、哲学者たちはしばしば絶望的な回答を提示してきた。曰く、真の意味で他者の心を知ることはそもそも不可能である。なぜなら、人が認識できるのは他者の外面的な振る舞い(表情、身振り、声など)だけであり、心はそこから推し測るしかないからだ、と。
これは哲学において「懐疑論(懐疑主義)」と呼ばれる伝統的な立場の一形態だ。

古田徹也「このゲームにはゴールがない ひとの心の哲学」P14-15

澄香ルートにおいて主人公は澄香に対して多少友好的ではあるが、それはやり過ごすよう振舞っているだけで、本心では彼女を拒絶している。

しかし親友の雪乃との関係に悩んでいた澄香は、彼の「他者を信頼しろ」という、当の本人が信じていないアドバイスを、微妙に誤解したまま、他者への不信を軽々と飛び越える。

そして飛び越えた先には主人公もいた。

彼はそれに応え、行動した。

激アツシーン(写っているのは主人公ではない)

よく「好きの反対は無関心」と言われるが、同じように「信頼」の反対は不信・懐疑ではなく「拒絶」ではないかと思う。主人公はこれまで懐疑というポーズを取っているように見えて、周囲を拒絶していた。

他者を他者として受け入れるというのは、たんにその存在を受け取り、受容すること、すなわち、自己の一部ないし自己の拡張とすることとは違う。しかしまた、相手を完全に理解不可能な存在として拒絶することでもない。それでは、たんに受け入れないということに過ぎない。ここから導かれる唯一の帰結は、他者に対してしばしば懐疑的なまなざしを向けること自体が、他者を他者として受け入れることを部分的に構成する、ということだ。逆説めいた言い方をするなら、他者を受け入れることには素朴に他者を受け入れないことが含まれるのである。

古田徹也「このゲームにはゴールがない ひとの心の哲学」P204-205

懐疑主義が反転して全てを信じるようになったのではなく、また処世術として信じる「ふり」をするようになったのではなく、疑いながら信じ、信じつつ疑うという形に彼は変わったのだろう。

このゲームは所謂「ギャルゲー」を期待してプレイすると裏切られるが、美少女キャラクターとの遭遇・交流と、それによって(主人公の)世界が変わるという意味ではかなり本質的な意味での美少女ゲーム的であると思う(これは俺が勝手に定義しているだけだけど)。

自分にはコントロールし切れない、ままならない、不確かな他者の存在と、その他者との言語ゲームは、我々にとって忌避すべき悩みの種であり、ときに悲劇の原因ともなる。にもかかわらず、それは同時に、我々が求めてやまないものでもある。不信と懐疑を呼び込む他者の半透明性は、我々のこうした両義的な切望に対応している。それゆえ、我々は生き続ける限りこの半透明性から逃れられないし、完全に逃れようともしない。

古田徹也「このゲームにはゴールがない ひとの心の哲学」P274

キャラクター・シナリオ・ゲームシステムが噛み合っていてテンポ良くも重たいゲーム体験だった。

あとオタクが大好きなタイプのロリキャラもいます(俺も好き)。


最後に萌え画像共有して終わります。この夢のシーンと水着シーン回収で本編攻略と同じくらい時間かかった。

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