【書籍】イノベーターズ1 天才、ハッカー、ギークがおりなすデジタル革命史
本書では、コンピュータ、プログラミング、トランジスタ、マイクロチップ、ビデオゲーム、インターネットといった、現代のデジタル社会を支えている技術が誕生する過程が詳細に描かれている。これらテクノロジーが生まれる歴史を学ぶと、テクノロジーとはたった一人の天才によって生み出されるのではなく、過去からの技術的蓄積の上に成立していることがわかる。
情報技術の歴史を紐解いた書には中野明「IT全史――情報技術の250年を読む」があるが、その中の「コンピュータ」「インターネット」の歴史をより詳細に記述しているのが、本書「イノベーターズ1 天才、ハッカー、ギークがおりなすデジタル革命史」である。
「イノベーターズ1 天才、ハッカー、ギークがおりなすデジタル革命史」の記述の特徴としては、一人の天才の発明に焦点をあてるのではなく、過去の多くの天才たちの発明がどのように繋がっているのかに焦点をあわせて記述されている。コンピュータの歴史をここまで詳細に記録している書籍は他にはないと思う。本書より、1843年~1972年までのコンピュータ業界の歴史を見ていきたいと思う。
1843年:バベッジの解析機関に関する「注釈」をラブレス伯爵夫人エイダが発表する。
1847年:論理的推論に代数学を応用する体系をジョージ・ブールが考案する。
1890年:国勢調査の集計がハーマン・ホレリスのパンチカードマシンで行われる。
1931年:アナログの電気機械式コンピュータである微分解析機をヴァネーヴァ・ブッシュが製作する。
1935年:オンオフスイッチとして真空管を使うことをトミー・フラワーズが考案する。
1937年:汎用コンピュータ概念を記録した「計算可能数」をアラン・チューリングが発表する。
1937年:スイッチ回路でブール代数が事項できることをクロード・シャノンが示す。
1937年:電気回路による計算機をベル研究所のジョージ・スティビッツが提案する。
1937年:ハワード・エイケン、大型デジタルコンピュータの構築を提案するとともに、ハーバードに埋もれていたバベッジの階差機械の部品を発見する。
1937年:ジョン・ビンセント・アタナソフ、12月の夜に車をえんえん走らせていたとき、電子計算機を発想する。
1938年:ウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカードがパロアルトのガレージで会社を立ち上げる。
1939年:円筒による機械式ストレージを採用した電子計算機をアタナソフが完成する。
1939年:チューリング、ブレッチリーバークでドイツ軍暗号の解読に取り組む。
1941年:電気機械式ながら、きちんと動作するプログラミング可能なデジタルコンピュータ、Z3をコンラート・ツーゼが完成する。
1941年:ジョン・モークリー、アイオワのアタナソフ宅を訪れ、コンピュータのデモをみる。
1942年:アタナソフ、それなりに機能するコンピュータを真空管300本で構築するが、海軍に召集される。
1943年:ドイツ軍の暗号を解読する真空管式コンピュータ、コロッサスがブレッチリーパークで完成する。
1944年:ハーバードマークⅠが稼働する。
1944年:ジョン・フォン・ノイマン、EINAC開発のためにペンシルバニア大学へ行く。
1945年:プログラム内蔵コンピュータについて述べた「EDVACに関する報告書、第一草稿」をフォン・ノイマンが著す。
1945年:ENIACの女性プログラマー6人が研修のためアバディーンに派遣される。
1945年:ヴァネヴァー・ブッシュ、「我々が思考するように」を発表し、個人用コンピュータの概念を示す。ブッシュ、「科学ーはてしなきフロンティア」を発表し、政府資金による産学研究の推進を提案する。
1945年:ENIACが完全稼働する。
1947年:ドランジスタがベル研究所で発明される。
1950年:人口知能に関するテストをチューリングが提案する。
1952年:世界初のコンピュータコンパイラーをグレース・ホッパーが開発する。
1952年:フォン・ノイマンが高等研究所で近代的なコンピュータを製作する。
1952年:UNIVACがアイゼンハウアーの大統領選勝利を予測する。
1954年:チューリングが自殺する。
1954年:テキサス・インスツルメンツがシリコントランジスタを開発し、リージェンシーラジオが発売される。
1956年:ショックレー半導体研究所が創設される。
1956年:人口知能に関する会議が初めて開かれる。
1957年:ロバート・ノイス、ゴードン・ムーアらがフェアチャイルドセミコンダクタ社を立ち上げる。
1957年:ソ連がスプートニク衛星を打ち上げる。
1958年:高等研究計画局(ARPA)の設置が発表される。
1958年:ジャック・キルビーが集積回路(マイクロチップ)の実証を行う。
1959年:フェアチャイルド社のノイスらもマイクロチップを独自開発する。
1960年:「人間とコンピュータの共生」をJ・C・R・リックライダーが発表する。
1960年:パケット交換方式をRAND研究所のポール・バランが考案する。
1961年:ケネディ大統領、人を月に送ることを宣言する。
1962年:スペースウォーゲームをMITのハッカーが作る。
1962年:リックライダー、ARPA情報処理技術局を立ちあげ、初代局長となる。
1962年:「人類の知性の増強」をダグラス・エンゲルバートが発表する。
1963年:「銀河間コンピュータネットワーク」をリックライダーが提案する。
1963年:エンゲルバートとビル・イングリッシュがマウスを発明する。
1964年:ケン・キージーとメリーブランクスターが全米横断バスツアーを敢行する。
1965年:テッド・ネルソン、「ハイパーテキスト」に関する最初の論文を発表する。
1965年:「マイクロチップの能力がほぼ毎年2倍になる」とするムーアの法則が提唱される。
1966年:スチュアート・ブランド、ケン・キージーとともにトリップ・フェスティバルを主催する。
1966年:ボブ・テイラー、ARPAトップのチャールズ・ハーツフェルドを説得し、ARPANETの資金を引き出す。
1966年:パケット交換という用語をドナルド・デービスが案出する。
1967年:アナーバーとガトリンバーグでAPRANETの構成に関する議論が行われる。
1968年:ラリー・ロバーツ、APRANET用IMP開発の入札募集を行う。
1968年:ノイスとムーアのインテルにアンディ―・グローブが加わる。
1968年:ブランド、ホールアースカタログを刊行する。
1968年:エンゲルバード、ブランドの助力を得て「あらゆるデモの母」を開催する。
1969年:ARPANETノードが設置される。
1971年:「シリコンバレー、USA」というコラムの連載をドン・ホフラーが業界紙エレクトロニクスニュースで始める。
1971年:ホールアースカタログの終焉パーティーが開かれる。
1971年:インテル4004マイクロプロセッサ―が発表される。
1971年:電子メールをレイ・トムリンソンが発明する。
1972年:アタリ社のノーラン・ブッシュネル、アル・アルコーンとともにボンを開発する。
このような歴史を見ると、天才が突然あらわれて、現代のテクノロジーが生まれたのではなく、過去の技術的蓄積の上で発明がなされているのがわかる。各時代の天才は、その前の時代の天才たちに触発されて、アイデアの着想を得ている。そして、それはこれからも同じである。2021年現在も過去の技術的蓄積から様々な発明がなされている。2100年から2021年現代を眺めたとき、歴史家はどんな出来事を年表に記録するだろうか。歴史の本を読むと、そんな未来のことを考えさせられる。
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